『知足日記』

『知足』とは、『生かされて、生きている』・『必要な物、必要な経験は与えられている』・『すべて必要。すべて良し』と知ること

【3108】「消えてゆく姿」と「起きてくる姿」という表現の違い・・・・について(^^;ゞ

2011-08-07 22:26:42 | 思索

事象(経験・体験)を、なぜ「消えてゆく姿」と表現するのか、

「起きてくる姿」と表現をする方が理解し易いのではないかという話をイトウ君としました。

 

彼の意見では、霊主肉従(精神中心主義・唯識)が、宇宙の真実の姿なので、

「起きてくる姿」という表現では、「まず、物理的現象を認めてしまう」ことになる。

 

「消えてゆく姿」だと、霊が主であり、事象(経験)が、それに従って起こる現象ということになるので、

そのほうが、事実を語る意味で正しいとのことでした。

 

★「消えてゆく姿」という表現だと、消える説明をしなければならないので、

まどろっこしく、二度手間に思えますが、

 

「消えてゆく姿」の方が、人間のありようの正しい表記という意見でした。

 

彼の説明をきいて、「消えてゆく姿」のが正しい表現だと思いました。


【3107】売れるも売れないも「言葉」である。 「経験」を言葉で語るなかれ!(^^;ゞ

2011-08-07 02:33:29 | 思索

先日から『老子講義』を読み返しています。

 

★私たちはコトバを生きているのではなくて、関係(経験)を生きています。

 

経験は「消えてゆく姿」です。

 

言葉(=思い・比較の思い・分析する思い)も、「消えてゆく姿」です。

 

売れるも売れないも、言葉である」と、やっと気付きました。(*^_^*

 

 

★「私」とは、関係性(経験)です。

 

生も死も、五井先生も昌美先生も白光も、言葉です。「思い」です。

 

それでいて、関係性です。(*^_^*

 

 

★「私(人間)」は、関係(なまの経験・言葉以前の体験)を生きている存在です。(*^_^*

 

過去の「私(人間)」も未来の「私」も、「言葉以前の体験」を続ける存在です。

 

 

★いや、「私(人類)は、今にしか存在しません!!

 

永遠に続く今(これも言葉です!)のなかの私、「今あるワタシ」が事実です。

 

その実感は、「思い」ではありません。(*^_^*

 

 

これからもずっと、「言葉以前の体験を続ける私」です。(*^_^*

 

 

★私たち人類は、コトバを生きているのではなくて、

関係性(経験)を生きている存在です。

 

【まとまりがなくて、すいません。(^^;ゞ)】