『知足日記』

『知足』とは、『生かされて、生きている』・『必要な物、必要な経験は与えられている』・『すべて必要。すべて良し』と知ること

【2984】誰でもが「神」です。 「真理」を生きているのです。 自分自身の人生の創造者なのです。

2011-04-20 04:52:48 | 思索

 

 

■「他人を救う」は、言葉(概念)です。(^^;ゞ

 

「他人」も「救う」も、単なる言葉です。

 

「他人」や「救う」という言葉に一対一で対応する事柄など、事実として存在しないのです。

 

ですから「他人を救えるのか?」という問い自体が、意味の無いことなのです。(^^;ゞ

 

他人に対する「私の不遜の思い」の表れなのです。(^^;ゞ

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■それぞれの人はそれぞれに、ご自分の人生の経験をされています。

 

「自分の経験」と「他人の経験」は比較は出来ないのです。

 

自分の経験は実感であり、他人の経験は「想像(概念・思い)」です。

 

「自分の人生の主人公は自分」なのであり、「自分の経験」があるだけなのです。 

 

気付けば、自分は「我即神也」という真理を生きていたのです。(^^;ゞ

 

気付くにしろ気付かないにしろ、誰でもが「我即神也」という真理を生きているのです。(*^_^*)

 

自分の想念で「他人」や「事象」を比較して、思い煩うことは一人相撲です。

 

■そういう中にあっての「私の思い」は、

「どうぞ、誰もが思い煩って苦しみませんように!」ということです。

 

これが「世界中から寄せられている日本への祈りのメッセージ」なのです。

 

この心(思い)は、誰でも持っている慈悲心(本心)です。

 

そしてこれが、「世界人類が平和でありますように」という祈り言葉の意味なのです。

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■以前にも書きましたが、

誰もが「神」なのですから、「その方(他人)は、いつ救われるのか?」などと私が詮索して考えること自体が、

「私の不遜な心(思い煩い)」の表れなのです。

 

その方(他人さま)は、神なのですから、時期が来たら必ず救われる(悟る)のです。

 

今救われていないだけ、今悟っていないだけなのです。

いつ気付くのかは、その方の人生の計画にゆだねられているのです。

 

その方はご自分の人生の計画の途中なのです。

 

「悟り・気づき」は、今世でなくても良いのです。

 

それくらい壮大な「人類の生命の歴史の進化の一部」を、私たちは生きているのです。(*^_^*)


【2983】お一人一人が、ご自分の人生の経験をしておられる

2011-04-20 03:42:37 | 思索

自分には、対社会的に大した能力はないと思うのです。(^^;ゞ

記憶力も悪いし、人々を率いるリーダーにもなれないタイプの人です。(^^;ゞ

理系や文科系の難しいことも、うまく理解できないので、

やれる仕事は、自営のお弁当屋さんぐらい(笑)だと思うのです。(^^;ゞ

 

それでも、祈ることは出来ます。(*^_^*)

 

祈る方法を知っていて実践できることは、とても有難いことです。(*^_^*)

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■「中心を得る」とは、「自分の人生の主人公に、自分がなる」ということです。

 

自分の人生は自分で創ってゆけるし、「いままでもそうして、生きてきた」と気付くことは誰にでも出来ます。

それが、「我即神也」という真理に気付くことです。

 

■気付くことが、「自分が神である」と知ることです。

 

「我即神也」に気付くと、気持ちがすっきりとして「自分は自分の人生を歩んでいこう」と思えます。(*^_^*)

 

■「被災者という人」がいるのではなく、一人一人が「被害という経験」をしているのです。

一人一人の人生の中に「被害」という個別の経験があるのです。

 

東電の社員さんも、現地で活動されている自衛隊の方々やボランティアの方々も、

お一人一人の人生の経験を、ご自分で選んでされているのです。

 

気付く気付かないに関わらず、神を顕現されているのです。

 

経験すること自体が、「神であること」なのです。

 

■私が「被災者」という言葉(概念)で、あれこれと考えることは迷い(間違い)なのでした。(^^;ゞ

 

お一人一人が災害の地で、ご自分の人生の経験をしておられるのです。

そのこと自体が尊いことなのです。