気ままな旅


自分好みの歩みと共に・・

また触れた人を救う優しさに・・・

2015-12-31 00:27:33 | 日記

年の暮れも迫る今夜、夜も遅く観るともなく或るテレビ番組を観ていた。 

ケンタッキー州商都ルイビル市に住め3歳の少女の肝臓移植にまつわる人々の温かい応援で無事成功した昔の話でした。

 遠い他州でのドナーが適合したものの豪雪で輸送手段がなく、残された方法はヘリによる輸送しかない。それとてひとりの力では不可能。地元ラジオ局の呼びかけで教会の駐車場をヘリポートに人々がスコップを手に駈けつけ無事に少女をドナーの待つ病院へ搬送できたルイビル市民の優しさに、また触れ知りました。

 それは、このblog欄で4月6日に投稿した「ケンタッキーのPilgrim教会からダンボール箱が我が家に届いた」と繋がったのです。 あの3月11日に起きた「東日本大震災」に米国中部の一つの田舎の教会が立ち上がって我が家への義援物資を送ってくださったことと重なりルイビル市民の優しさを再び思い起こしたのです。

 深夜に気持ちの良い話に触れ、投稿して床につきます。もう一度、古い4月のblogを読んで頂ければありがたいです。

終わり


あの古い「一行日記」は読むほどに懐かしい・・・11

2015-12-29 12:06:17 | 日記

  夜更かし爺が今朝は6時前に起きた。                    起きたというより、眠れなかたからである。                 「一行日記」は会社人生を終えようとしている時期を迎え、見納めために訪れているのが多い。

H11/04/14  筑波山郵便局 「社員旅行の湯西川温泉の翌日。最後の・・新緑の中、筑波山ケーブルカーで山頂へ。桜散る中、階段を十数段も降りのどかな山間のPost」と記してあった

筑波神社には毎年新年を迎えると、会社として祈願をし、お札をいただいている。   ゆっくりと山頂を歩いたことがない。この県は平野が広がっているので、一つだけ高くとくしつしてるのが筑波山ただひとつ。方向が分からなくなったら、この山を探せばよいと言われている。TVのアンテナもここに・・。             車も通れない山道の中腹に木立の中にひっそりと佇む小さな郵便局を見つけた。  なんでこんな所にと訝るほどに・・。でも、新緑の木立の中に・・絵になる。   これでこの地ともお別れかと思うと寂しいものだ。               ひとり車を走らせていた筈だと思いだした。

No.45 H11/04/22  沢辺郵便局 「「小野小町の館」、禅寺「向上庵」に出向く。山桜が点在し新緑萌ゆ山麓の美しさに感動。のどかな風景。新治村」と記してある。

この伝説は越後にもあると聞くがここにも小野小町の伝説があり今もここに伝えている。

座禅講をしたく探した。  寺門前に樹齢250年のしだれ桜の古木がある「向上庵」を見つけ、宿泊し座禅講話を聴いた。

厳寒の2月に裸足で足を組いみ一心不乱に心を癒さす。

講談本で有名な「ガマの油」口上は面白いものだ。   終戦後、東京の街角で良く口上を聞いたものだ。蛤の貝殻に入っていたものだ。傷が治るとは信じていなかった。

山頂から遠望すると、いかにも関東平野が広がっているのがよく分かる。

No.46 H11/05/21  下諏訪郵便局 「富士山、残雪の南アルプスそして新緑まばゆいばかり。山頂でNさんと蕎麦食味。諏訪湖が眺望。人生の歩むヒントを呉れた」と記してある。

JR線の駅で温泉があるのはここしかないかも知れない。            ご神木の諏訪大社、諏訪湖、アールヌーボの北沢美術館など文化がある。     人生のヒントを呉れたとあるが、これはいままでとは正反対の路を歩こう。第二と言う人生を・・。だと思う。そうなっているかは分からない。           気ままに歩いているから。

この頃、余りにも風来坊よろしく気まま過ぎる歩きをしている。

猿でも反省してるので・・。

終わり


昔の「一行日記」から想い出が蘇るか    10

2015-12-26 00:14:52 | 日記

  雨戸を開けると寒椿が花を咲かせていた。                    ふと、庭を見て、手入れが行き届かないままに年を越すことになるのかなと思った。       年老いた夫婦だけになり体力的に厳しくなってきたようだ。           目を瞑るかと思った。

その点、このPCは座ったままで楽しめるおとなの遊び道具だ。でも、腰と目が疲れる。 エコノミ症候群になりそうなので気をつけねばとも思う。

「一行日記」の4冊目に目を通した。会社人生の終わり頃の想い出が記載されている。

何処まで想い出が蘇るのか楽しみだ。

No.37 H10/07/07  久慈浜郵便局 「××社員による「お疲れさま会」を開いてくれた。日立港、久慈浜、そして豊かな家並み。静かだ!」と記してある。

会社の自室にいると、ノックされ車に乗せられ県北に高速で向かった。13年間共に苦労した社員が・・。何よりもうれしい!! 初めて観る県北の風景。忘れないように・・。ご苦労かけた。ありがとう! 会社再建を果たし、4年連続の栄誉を受賞したのは君らの力こそ故・・。誇れ!

No.38 H10/07/10 石和郵便局 「笛吹童子を想い起す笛吹川の鴨飼橋際の「うかい」にて後輩社長連による「ご苦労会」をして呉れた。この場で先輩の訃報を知る」と記してある。

北関東各地から集まってくれた後輩に感謝!ありがとう。徐々に仕事が離れて往く・・・。そして無縁に。正反対の道を歩きたい。第二と言う人生を・・。

この席上にI先輩の訃報の知らせが入る。黙祷。

 N0.39 H10/09 千代田下稲吉郵便局 「作日、横浜ベイスターズ優勝!幼き日の北京にあす出発。日航ホテルに前泊」と記してある。

待望の北京への個人旅行。この地で単身赴任生活を貫き通したことへのご褒美だ。幼き日に通った国民学校そして自宅は区画整理で見つからなかったが、同じ匂いがする胡同を見つけ満足。

このH27年終戦記念日に、この北京時代を自分史に纏め本にした。

No.40 H10/11/20 岳温泉郵便局 「「千恵子の見た空は青かった」同期会に全員が顔を揃えた。静かなこじんまりとした宿街」と記してある。

No.41 H10/11/24  岳温泉郵便局 「光太郎「樹下の二人」の丘から山と川を観た。万古焼きを四皿買い求めた。満足。」と手違いで二列になったと記された。

何をしてるのかと訝れ、説明をし称賛してくれた同期の友。千恵子記念館には絵の展示もされたことを初めて知る。ここは鮟鱇会の時にも寄った旅先でもある。どうも数回も来ているので混乱している。鮟鱇会はこのときでなく完全に自由の身になってからだ。余り回数が多いと想い出が浅く離散するようだ。

No.42 H11/02/18  北浦湖郵便局 「出島郷土資料館で歴史と湖を眺望。平野が続くのどかなの一言。北浦湖は静かだ。白梅が咲いていた」と記してある。

この湖に架かる北浦の橋は素朴で壊れそうな木造の橋。途中ですれ違う。心配だ。大橋とは別の橋なのか。どうもわからん。霞ヶ浦(西浦)とは別にあるとは知らない人は多い。航空写真にはある。もう直ぐ潮来だ。♪潮来出島のお月さま~・・。野口雨情作詞「船頭小唄」が心に沁みる。A先輩が好んで歌っていたのが懐かしい。

No.43  H11/02/18  桜竹園郵便局 「筑波宇宙センターを訪ねる。桜が咲き誇りすばらしい。農林省の桜と菜の花畑をも観た。つくばの街中が桜満開」と記してあった

宇宙センターの夜桜は赴任先の仮寓の窓から好ポジション。これが最後の見納めと思ったことが懐かしい。もう一度住んでみたい街だ。

 次回は米国の東海岸にある「ケネデイ宇宙開発センター」を想い起したので紹介したいと思う。

終わり


古い郵貯一行日記から何を想い出せるか    9

2015-12-24 22:22:12 | 日記

 目覚まし時計の針を7時にしておいた。 「リリリ~ン」と鳴った。        きょうはこれと言った予定がない。 自分の椅子に座りコックリ コックリするのが至福の時間だ。

 郵貯証書の空白部分を「一行日記」にしたのが5冊もある。全部で100局100場所を訪ねたことになる。このうち想い出深いところを再訪することにした。 どうなるか楽しみに読み続けている。

 No.33  H10/06/19  小布施郵便局 「Aさんからの送別祝いに「北斎美術館」へ。街中は樹の文化を感じる。岩松院で天井絵も観る」と記したる。

ありがとう!!Aさん感謝

 No.34  H10/06/19  戸隠神社前郵便局 「雨の中、山を登る。途中、大久保茶屋の西屋で旨い山菜の天ぷらと蕎麦を食味す。旅館の佇まいがよい」と記している。

 6月末退任を控え、白根山、志賀高原を抜け想いでになるコースを案内をしてくれた。特に志賀高原には学生時代の夏の合宿に青春の忘れられない輝くものがある。

 No.35  H10/06/23  第一生命館内郵便局 「昔に心を馳せるながら散策。脇田和の個展に触れる。レ。ミゼラブルを協会で観る。皇居前のオフィス街はいつ歩いても懐かしい」と記している。

東京の本社にいた頃でも、ほとんど歩いたこのない皇居前の日比谷交差点。堀端の真鯉。GHQ本部、アイスクリームの天ぷらなどが去来した。わざわざ行く所ではないだけに懐かしい。。

 No36 H10/06/29  筑波大学内郵便局 「夏の陽ざしに並木の影は実にきれいだ。今日退任する。留学中に良く娘の頼みで図書館通いをした筑波大キャンパスに向かった。懐かしい一語に尽きる。もう、昔の話になった」と記してあった

会社人生の最後の日を迎えた。 後、一年は残るが・・。図書館で当時の技術レベルでコピーし、Faxで海外へ送信。読めて手助けになったのか、聞いたことがない。父娘ともに頑張った。学内の銀杏並木は秋には素晴らしい憩いをくれたものだ。

 

 これで3冊9編分が終えた。 後、2冊を読み起こして見たい。

終わり


古い日記から想い出を呼び覚まそう   8

2015-12-23 23:15:29 | 日記

  暫く読んでいなかった郵貯の古い「一行日記」を読み始めた。                      驚くほどに当時を呼び覚ますことができた。

紐どいてから今回で8編になる。この盛岡の平成10年と言うことは、もう17年以前の話である。 

No.29 10(1998)/05/13  盛岡山岸郵便局 「盛岡グランドホテルに泊まる。朝、山腹に雲の間から射す陽に緑が動くのを見た。墓参。岩手の山々は美しい」と記してある。

ここ盛岡の墓所は先祖代々の菩提寺にある。                                                 遠隔地であるが何故かこの地に来ると心が和むから不思議だ。                        現役の頃、兄が眠るこの地なら赴任してきても良いと思った程だ。        先祖の地とはこんな磁力があるものなのか。                  明治初期に住んだ地を求め不来方城の辺りを歩いたこともある。         我が家のルーツ5代を探り江戸末期までは遡れた。

No.30  10/05/13  渋民郵便局 「石川啄木記念館にバスで新緑に薫る中を往く。帰路車中より大きな虹を観た。館長が親切。永年の夢実現。渋民駅は売り子の女性のみの素朴な駅」と記してあった。

旧盛岡銀行跡の「啄木賢治の青春館」を訪ね、若き日のふたりを知る。        駅前から市営バスで小岩井牧場の牧草地を抜け「記念館」に向かった。        素朴な佇まいの館だ。帰路はタクシーを呼んで貰い渋民駅にでる。          売店の売り子が駅員兼務?・・駅も素朴過ぎる程素朴な無人駅のようだ。       永年の「夢叶う!!」     

No.31  10/05/29  佐原関戸郵便局 「伊能忠敬記念館を訪れる。 生家と小野川沿いのあやめ。煉瓦造りの三菱銀行。蔵造りの蕎麦やで食味。佐原の旧街並みを雨の中を歩く」と記してある。

小雨降る中、傘もささず歩いた。あやめが実に綺麗な花を咲かせていた。川沿いの船寄せ、蔵の2階で食味した蕎麦、昔を忍ばせる風情を楽しんだ。伊能忠敬の偉業に感服。

 No.32  10/06/18  野沢温泉郵便局 「デイゼルカー1両。千曲川沿いの戸狩野沢温泉駅で下車。のどかな風景だ!斑山文庫:”おぼろ月夜の館”を観る。歩いて会場へ・・。」と記してあった。

在任最後の会議に迎えのバスに乗らず、ひとり、どこまでもローカルな一両デイゼルカーで千曲川を眺め、ドアーの開閉に戸惑いながら最寄りの駅に降りた。夏日で暑い中を背広姿で彷徨う。温泉の外湯の多いのに驚く。こんな姿で誰も歩いていない。二度と来ないこの地を忘れないように・・。会議のホテルに向かう。バスに乗らずに現れ不思議に思わられた。

終わり