気ままな旅


自分好みの歩みと共に・・

故兄が残した一冊の小さなスケッチブック

2018-11-25 12:00:37 | エッセイ

 仏壇の前に立つと右手に父と母の写真が、左手には亡くなる4日前の長兄の写真が粗末な黒い額縁に収まってある。 母が物資のない戦後間もない時期に精一杯探して兄の遺影を飾り、朝夕眺めガラス越しに兄の写真を擦ったことだろうと母の気持ちを想い眺め線香に火を灯した。

 ここの引き出しを開けると茶色く色褪せた古い4つ切りサイズのスケッチブックがある。兄は中國・北京に中学生でいた頃、肋膜炎で1か年間も休学をしていた。その弱った身体で、無蓋車に長時間揺さぶられ中国大陸の冷え冷えとした夜の小雨降る中を耐え祖国に帰国した。無事に祖国に帰国できたものの焼け野原に安住の地が定まるまで5度に亘りリュックを背負い移動した。私は兄の記憶と言えば多くは入退院を繰り返すベッドに伏せている光景でしかない。そんな訳で友人がいない兄は常にひとり空想の世界にいた。ひとつの世界は物理学者になる夢の世界でしかない。そんな環境の中で絵は好きで小学校の頃に日・独・伊三ケ国同盟絵画展に入賞するほどだったようで遺品がスケチィブックが納得できた。だが画材は外出ができず雑誌の写真を模写して楽しんでいたようでだった。

好きな物理の専門書を手に得るには私を神田の古本屋に元気な頃に下見した記憶をメモに買いに行かされものだった。

 そして、初秋の或る朝、母ひとり見守る結核療養所のベッドで25歳の人生を終えた。大学のキャンパスで友と語ることもなく、研究室で研究に没頭することもなく・・・夢は果たせぬまま兄の描く人生は未完のまま終えた。

 結核療養所のベッドの下からは、隠すかの如く好きな専門書や哲学書の本が出てきた。その本の運び屋は全て弟の私であった。その時母が気づいた。病室の壁の隙間に細い竹竿に、千代紙をハサミで鯉のウロコを一枚づつ切り貼りした全長が13cmの大きさの鯉のぼりを竹竿に結び付けて、子供の様にひとり5月の端午の節句を祝っていたようだ。母には何かを言い残していたようだ。その後、何十年もの間、仏壇の傍らにあった。ところが母が痴呆になってからは何処にいったのか見当たらない。もしかしたら母の胸に抱かれ葬儀社の手によって葬儀の納棺の折に入れられてしまったのかも知れない。余りにも薄幸な長兄への母の愛情の所業だと思うこの頃である。

 終わり


旅と一枚の絵の想い出

2018-11-08 21:30:10 | エッセイ

   湯上り姿で自分の椅子に座り湯上りの日照りを冷ましていた。

 壁に架かっている額縁に入っている絵を何気なく見ていた。数年前にも壁紙を張り替えたので、額縁の配置換えをしていた。そう言えば妻が思い出しては口にする「早く、元の方が良いので戻しておいてくださいね」と催促を言いかねないと、そんなことを思い浮かべながら、何処で購入したかを想い起こしていた。                       海外に出掛けた折に想い出に購入した絵だ。

 絵を購入したとなると、誰しも数十万円はしたであろうと勝手に思うようだ。買う金もなければ、何かと時間もない。想い出を買うのが目的なので必然的に安くなる。予算として10000円までとした。

 最初に眼に触れたのは観光地のお土産屋の店頭だった。 束ねて印刷された同じ絵が無造作に置いてある中から紙が傷んでいない好みの絵柄を選んで買ってきたのが事の始まりでした。1ドル=360円時代のフランだった。「サンゼリゼ通り」と「セーヌ河畔」の2枚を買った。1枚が700円で台所の壁に飾ってある。

 次は、かつて家族中心の間だったが、いまは夫婦ふたり丈の部屋。5枚だが、1枚は張り替えの折に、いまだ吊下げていないと言う横着さである。その絵はスペインの「白い村」である。1/300のリトグラフ風の鉛筆サイン入り。

 いま、壁に架かっている絵はオーストラリアの地で画家の鉛筆のサインがあるもののリトグラフではない・・。しかし、サイン入りは2000円高かった。この頃になると他の地で購入した絵も溜まった。ここで初めて額縁の購入の必要性を感じた。この絵は10000円だが額縁が何と36000円もしたのには驚いた。もう遅い!     後でTVで知ったのだが絵の構図のなかに飛んでいる鳥は「世界一美しい鳥」と言われているそうだ。 よく見ると、構図が立体的になっているので、絵の手前に造花の鉢植を置いてある。

 2枚目がパリーから小旅行で行ったベネチュアの「運河」で5000円。これは正真正銘のリトグラフで満足している。12/30だ。 一番小さいサイズだ。画家らしき人物が素朴にも自転車の荷台に積んで、あの有名なサンマルコ広場で売っていた。私の前に初老の白人のおばあちゃんがやはり同じサイズのリトを買っていた。もしや、同じ絵柄だったかなと今頃懐かしく想い起こしていた。

 もう1枚はベルギーの在る街でレストルームを借りた時の事だ。団体行動のため持ち合わせの小銭がなかった。有料トイレと札が掲示してあった。しかも入口に小母さんが椅子に座っている。でも、はぐれたら大変だ。えい!「字も読めない。喋れない。仕来たりも知らない」を通して謝り逃げることにして中に入って事を済ませた。当然、小母さんは無賃使用だから喚く! 皮肉にも、その店で移動中に眼に止まったエッチングの「教会の尖塔」である。急いで(逃げるのに・・)いたのと、この騒ぎで幾らで購入したかは忘れた。3000円位だと思う。これは本物だ。画家の持ち分の[et]だ。

 もう1枚あった。パリーのモンマルトの丘での無名の画家たちが描いたB全判サイズの水彩画。「パリの街中」と題し 10000円。額縁は質素な物に収まっているがリトグラフでもない1枚ものの画家直描きの絵である。残念にも経過日数で色褪せてきている。

 最後に玄関の壁にはベルギー人の神父であり、画家である人が描いたリトグラフである。45/50である。題名は「ベルギー市街」。ご厚意で20%引きの8000円. 額縁は16000円もした。大いに満足している。

 そう言えば、壁に飾られない不遇な「絵」と、より飾られる見遠いのない「絵」が自室の隅にゴミとして処理を待っている。

  こうして、旅先で旅を楽しむだけでなく絵も楽しみながら旅は旅をより一層想い出深いものにして呉れました。全て「安い絵」ではあるが、「安物の絵」ではない。私には想い出を満載した大切な絵である。もう、このような遊びは夢のまた夢になってしまった。

 11月の夜は冷えてきた。2階の自室にブログを書きに上った。外は冷えてきてるようだ。

終わり