この頃は、不良爺で夜更かしをしている。
・・なのに、どうしてか数日前、5時に眼が覚めてしまった。 午後でなく午前の5時である。 難しいことはさておき、起きることにして玄関先の郵便ポストに新聞を取りに降りていった。
この時、観たこともない初めての光景に出会った。 それは数百メートル先は朝もやに隠れていた。 陽が昇る東の方に眼を転じると朝つゆの滴に陽が反射するのか幻想的であった。 一瞬、夢の中の話かと思った。 幻視かと一瞬じぶんを疑ったほどだ。 現実だ。
このような自然の営みの朝もやはかつて、墓参に故母と訪れた盛岡でのホテルの窓から遠い山裾に観た雲海、仕事で寄った筑波山の中腹でも山裾に観た雲海そして学生時代に部活で思い出深い青春を謳歌した志賀高原丸池での忘れられない朝の自然の訪れである朝靄しか記憶がない。 いずれも自然豊かな地で接した自然の摂理であった。
新聞を手に二階に駆けあがった。 雨戸を開けて遠望した。 夢ではやはりなかった。 ここの地に越してきて40年近くになる。 街中の並木に家々の植栽が豊かになり、自然から与えられたご褒美なのかも知れない。
こらから数か月が過ぎ、秋を迎えれば、日を追うごとに自然の彩りの美しさを見せてくれる。 振り返り指折り月日をかぞえると、単身赴任でつくばに15年そしてここの地に戻って16年、折り返し点にいつしかなっているのに気づかなかった。
数年前に近くの公園で晩秋の落葉の美しさをフレームに収めていた。自然の美しさに勝るものはない。 ひとり旅で歩きをしたいと思うが夢の中でしかもう味わえなくなった。 今夕遅く、孫息子が来日する。 小さな孫娘の誕生に続いての今夏の朗報である。 婆さんに言われ孫の部屋を掃除にとりかかった。
外は雨が今日も降っている。 ご来光を見に行く孫の富士登山の天候が気になりだした。
何も気にしなかった日々が気にすることができた。 大変だ~。
終わり