いま、眼の前に「Rock Port」と書いてある靴箱が2箱ある。 娘が、何時もの靴をみやげにプレゼントとして持ってきてくれたのだ。 これまでは自分で買ってきていたものだ。 Dr.Stopがなければ・・・。この靴との出会いは今から23年も昔のことである。
1994年、6月 単身赴任先のつくば市の街路樹が新緑に芽吹き始めた頃、ひとりで娘に会いに留学先のオハイオ州コロンバスに飛んだ。卒業式に参列し終えて更にフロリダ州オーランドに向かった。
6月のオーランドは真夏日の暑さである。 至る所に鰐が生息しているだけに湿度が高い。 辺り一面に芝生が広がる地に点在するリゾートホテルに宿をとった。 ルームチャージ $40と安い。何と日替わりには驚いた。 旅行カバンを開けて着替えた。ソファーに座りスニーカーに履き替えていると娘が「お父さま、随分くたびれたスニカーね。買い換えたら・・」「そうだね。記念に買って帰ろうか・・」と他愛のない会話を交わしていて朝を迎えた。2階建ての低層ホテルである。テラスに出て空を見上げた。 遮るものはなにもない。 広いの一語に尽きる。大きな虹も見た。そう言えば無数の気球も観た。長閑だ。
かねてから機会を狙っていた東海岸にあるケネデイ宇宙センターに行くことが果たせた。しかも、向井千春さんが搭乗する1週間前に遭遇した。この時はまだ日本から履いてきた白の運動靴のままで・・・。
朝から靴の店を数店案内してくれた。日本で買って履いている靴は革製であっても、当時の私の認識では「スニーカー」でなく「運動靴」である。運動靴だから色は「白」である。「色」の論争になった。論争は「白」と「茶」である。ここでじくじたるものがあったが、変化を求めると言うことで現Pixarのデザイナーである娘婿推奨の「茶」を選択した。それ以来「茶」しか履かなくなった。
この時、選択した靴のメーカーがRock Portの商品だった。それ以来米国に行く度に1足は買って帰るようになった。サイズはUS8.5に始まり、いまでは9.0である。サイズも色もデザインもおまかせは実に楽だ。こんなユニークな靴もあった。当然、直ぐに買った。靴紐までがwater Proofの雨用靴が売りにでた。異色の商品だ。
こうして、想い出深い靴になった。
待てよ、これまでの靴の寿命は2年半だった。これしか履かないから早い。 だとすると、2足で5年は元気で孫たちと遊べと言う意味を込めているのかな。歩けと言うことか。車椅子を使うと靴底は減らないが・・。
ま~いいさ。娘のためにも自分のためにも元気を誘う靴にほかならない事には変わりはない。
終わり