気ままな旅


自分好みの歩みと共に・・

忘れかけた想い出を唄に求めて・・・

2019-03-27 00:58:27 | エッセイ

眼の前の時計が夜中の1時を指している。

もう直ぐ平成が終える。懐かしい昭和がまたひとつ遠くなった気がする。 この4月で85歳になる。だが、喜ばしくも悲しくもない。歳が老いて行動半径が狭くなると、小さな忘れかけた想い出に追憶を重ね心静かにしているものだ。

10日ほど前に階段で足を滑らせ肋骨を骨折してしまい貼り薬のせいか眠れず、夕食後の仮眠も手づだい眠れず机に座り昭和の唄を聴いている。随分久しぶりだ。

吾々の時代は歌声喫茶の時代だった。東京の新宿や銀座の電通通りのドイツ歌声バーなどよく行ったな~。後楽園では都市対抗応援に行って、その前に歌声にと…音痴揃いが良くいったものだ。いまだに代々木には昔のままであるようだ。渋谷にも・・。

「月の砂漠」が聴こえてきた。中国から引き揚げて来て小学校の卒業劇で聞いた甘い感じを味わった覚えがある。

引き揚げ船のデッキの上で聞いた「帰り船」などは過酷なことを思いだすので寂しさを呼び覚ます。「上高地」などは青春お謳歌した志賀高原を想い出す歌声が夜空に木霊する夏の合宿など少しの時間でしたが心静かなひと時を過ごせました。 

家の近くの桜並木がこれから満開を迎えると言うのに歩行が厳しく2階の窓から梢だけで満足するしかない。早く横になろう。疲れた。

時計の針は丁度2時を指している。

終わり 

 

  


この頃、動きが悪い・・・自由に・・

2019-03-16 00:19:00 | エッセイ

 数日前におない年の友人の訃報が届いた。彼とは入社年次は異なったが中國大陸からの引き揚げ者と言う境遇が呼ぶのか現役を去ってからも旧交を温めてきた。何か寂ものだ。教会で最後のお別れがあった。だが、残念ながら持病のためそこまで行けない。彼には短い手紙を書いた。「・・語り尽くせる想い出を残せて呉れて・・ありがとう。さようなら・」と・・。

 もう少しで夜の9時だ。ここ横浜なのに地震の振動が小刻みに可なり頻繁に昼から続いている。工事の地響きでもあるまいし・・・?では何だろう。。。不気味だ。本ちゃんの地震かな・? 地階では妻がクリスマス会での英語劇を控えてもう特訓をしている賑やかな騒音(失礼)が下から聴こえている。「もう、今年も終わりか・・」ひとりつぶやいた。いつもなら応援をしてゃったのに・・・可哀想だが、もう無理だ。

 そんな事を考えながら手と眼はある物を探しに眼の前の物を退かしながら「つい先ほどここにあったのに・・」と、ひとり事を口しながら探している。 

  この原稿は昨年の12月中旬頃に友人の訃報に接し書き記したものである。

もう、今日が終わり明日を迎える時刻である。眼の疲労と手足の筋肉の疲労が強く継続して書くことが厳しくなってきた。穂に継ぎたすが如く書き足すのも面白い。あれから3月が過ぎた。この間に妙なことがあった。珍しく携帯がなった。中学時代の友人のS君の名前だったので 電話をした。しかし、「もう、つかわれていません」とメッセージが流れてきた。何遍も・・・。その友人もいつの間にか「さよなら」も告げずに去っていった。 

 自分に置き換えてみた。5年前に「自分史」は本にした。先祖の家系図も何とか調べられた。そして、いまは墓所を整理している。少子化と考え方による避けられない「墓守」そして「墓じまい」がある。勉強をさせられた。

あとひとつやり残しているものがある。来月で85歳を迎える歳になる。

もう、時計の針が明日を指している。

数日前に妻から良いニュースを聞いた。サンフランシスコにいる娘家族が夏休みに里帰りすると言う。孫娘とは3年前に背の高さもまだ160cmぐらいの頃に別れたはずだ。いまでは、167cmのバスケの選手になっている。会うのが楽しみだ。

逢う日まで、体調を・・・。では、休みますか。

終わり