気ままな旅


自分好みの歩みと共に・・

悲しむ! 音をたてて・・僕の椅子

2017-09-30 09:55:04 | エッセイ

 我が家の居間に古いハイバックの洋風の椅子が部屋の中央にざま覚ましく鎮座している。 妻からは余り良い顔をされていない肩身の狭い椅子である。動かすのに老体には重いからである。 しかし、わたしにとっては永年の友である。 単身赴任していたマンションに買われて来た当初は大事に扱われたものだ。 会社人生を終え妻の待つ自宅に戻り20年そして、この頃は、わたしの疲れを癒すための役目には変わらぬものの取り扱う座り方が病の故、乱暴にならざるをえない。 「よいしょ~」と声にならぬ声で身を投げ出して座る。 当然至るところに歪みがでてきて椅子は悲し気な悲鳴をあげている。 

 出会いは、仕事場のあるつくばで昼食をすませ路地を一本一本覗くようにウインドショピングをしていた時、路地奥の小さな輸入家具店でした。 椅子が欲しくなれば机も欲しくなる。 と、言う訳である。 

 この癒しを与えてくれた椅子によく飛び移っていたのが、初孫の男の子だった。 まだ2歳の時だった。 鮮明に歳を覚えているのは、訳があった。 サンフランシスコに住む娘が2歳の息子を連れ、身重の身体で里帰りをした時に事件が起きた。 

 母親の娘が緊急入院し、婿を呼び緊急サンフランシスコに戻ることになる。 ひとり2歳の孫息子は突如、日本の祖父母に預けられ3か月も日本語の世界で暮らすことになる。 雨の降る日など、遊びに行けない日の遊具がこのハイバックの椅子であった。 この椅子に悠然と構え、座っている孫の写真があった筈だ。 もう、16年も過ぎた。 見つからない。 でも、想い出だけは紛失せずに、爺の脳裏に焼き付いている。 癒しを与えてくれる椅子だ。 ありがとう。 もうしばらくお付き合いをしてくれ。 あの孫息子も座りに戻ってくるまで・・・。

終わり


寝つけず起きた早朝のひととき・・・

2017-09-26 06:35:56 | エッセイ

 窓の外はまだ暗い。 新聞配達も、牛乳配達もまだのようだ。 

 この頃、昼間に2時間近く昼寝をするせいか、時折夜中に眼が覚めてからが寝付けない。 これでも、昔とは違い早起きには努めてきた。だが、午前4時は早すぎる。起きてyoutubeで懐かしい曲をイヤーホーンで聴きだした。落ち着きを取り戻してきた。        ふと、雑然とメモ書きが散らばっている机の周りを見回した。 壁には幼い頃に描いた孫の絵、女子社員にお別れに貰った壁時計、オランダ出張で貰った絵皿など、そして隅には大きな薬箱とは情けない。 日頃良く見てなかったのに気づいた。音を立てると妻が目を覚ます。 

 いつしか、初秋を涼しさを感じたのか無意識に一枚羽織っていた。「秋か・・」この頃はひとり歩きはしないと言うより不安だ。 でも、行くように努めている。 

 娘から「来年に日本語の研修に孫娘が友人と日本に行くので、もしかしたら泊まるやも・・・」と話があったのを想いだした。孫のてまえカッコいいお爺ちゃんでいよう。目標はこれだ。東京オリンピックの時期が大学入学時に遭遇。日本語の通訳をするんだ。時給が高いようだし・・。またまた、お爺ちゃん頑張らなくちゃ~。

 時計の針は6時半を指している。 もう、寝れない。 今日は医者の掛け持ちだ。 起きるか。 妻の運転付きで・・。 すまない。 

今朝の早朝のひとときでした。

終わり 

 

   


スピードでは負けないマジック計算

2017-09-23 17:31:47 | エッセイ

この頃、時間を見つけては自室の整理をしている。古い当時の写真が時折転がっている。それを懐かしく眺めていて一向に整理が捗らない。

 色褪せた白黒の写真には生垣の塀でなく板塀だ。 その塀に横開きの引き戸だ。父はゆかたを着ている。私は白い下着がシャッツ代わりだ。足元には下駄を履いている。 終戦直後の生活が時代を反映させていた。

しばし、一枚の写真に見いった。自宅の向かいには親戚の叔母のように親しんだ眼科医の女医さんがいた。70歳でテニスに励まれてるのを知り「好きな言葉がある。”老人とて心には皺はない”と言います」と声を掛けたことがある。「今日は素敵な言葉を教えて貰った」と喜んで呉れた姿が蘇った。

 その眼科医院の脇の路地の奥に学生の下宿があったのか、子供たちを集めて理系の大学生が土俵を作り相撲をしたり、算数を教えていた。勿論、ボランテイアだ。

 そう言えば、こんな算数のマジックを教えてもらったのを突然に思い出した。マジックを知らない相手に賭けて負かしたことがあった。誰でも知っているレベルのマジックだと思うが私は知らなかった。孫を相手にお爺ちゃんの計算を競う・・・。孫を相手とは大人げない・・・。詰らぬことを思いだすものですね。古くなった爺の脳だからこそ・・・。新鮮な脳は違うのだろうな~。

では、お教えしましょう~。

何でも良いのでなく、条件が組み合わされたものに限られる。したがって、他人と競う場合は話術よろしく誘導する。

条件:a.下一桁は足して10になること。例:4+6は10

   b.二桁目は同数であること。 例:7と7

例:      74×76      

                   

まず、1、下一桁の数値4と6を掛け算します。  答え  24

   2、次は二桁の数値の一つに1を加算します。7+1  答え 8

   3、加算した8と7を掛け算をします。  8×7   答え 56

   4、計算した数値を並べます。24と56ですので   答え 5624

カシオ計算機並みの速さだと思います。計算機もなかった昭和23年頃の話ですのでマジクでした。

 終わり                                   


壊れた腕時計をして大学へ・・・孫息子

2017-09-21 17:39:58 | エッセイ

 この18日に娘から国際電話が掛かってきた。

 私の初孫の息子を明日、親元を離れ州外の大学に送って行くことになったとの報告だった。早いものだ。18日に送ると言っていたことを思いだした。 18年間も毎年、誕生日にはサンフランシスコまで祝いに駆けつけていた孫がもう大学生とは・・・。 時間の過ぎる速さにただただ驚くばかり。 爺が歳をとるのも致しがたい。 

 これまでの節目節目に想いを馳せた。 ジュニアハイスクールの入学祝いに年令相応の高くはない$60のカシオの腕時計を贈った記憶がある。 

もう、10年を経過している。 確か、4年が過ぎた頃ベルトが壊れ腕から落としてしまった。 そのたびにセロテープで補修して使っている。友人たちは携帯を持ち合わせ時刻を知るのに腕時計はいらないだけでなく、カッコ良くないと使わない。 妹の孫娘にも腕時計を贈っている。 だが、もうとっく~に腕時計はしてないとのこと。 

 では、何故、孫息子は・・・。

ひとり旅で来日して、爺とふたりして、盛岡に先祖の墓参りに行った折、尋ねてみた。娘から聞いて知っていたが、婆が心配して腕から落ちないかと「買って上げるから直しなさい」と言うと「このままが良いんだ」と笑みで返していた。

 娘の言葉を想いだした。 

「お爺ちゃんにお祝いにいただいた」と言うことが、本人にとって価値があるようよ。だから、ダサくとも腕にはめてそして直し直し使うのだそうよ。

そう言えば中3位の頃、江の島の水族館に行った時、カメラがあるのに「おじいちゃん、二人でプロに写真を撮って欲しい」と言われ撮ったことがあった。 翌年に行くと、自室の本棚にその写真が貼ってあった。娘が言うには「うれしそうよ~・・・」

 そう言われた夏は「これが最後の娘家族との夏の終わり」心した夏でした。 もう、元気な姿でない、弱弱しさが残る姿」の爺でした。 

 昨日に抜糸した手術跡をそ~とさすりながら、嬉しさの反面寂しさも感じたつい数年前のひと齣を想いだしていた。

 老いてくると、古い扉を開けて想い出を落穂の如く拾い歩くものなのでしょうか。逆らわず、気ままに拾い集めて楽しみたいものです。

終わり 

 

 

 


ちょっと、覗いて見たかったので・・・

2017-09-17 23:24:28 | エッセイ

 大型台風の雨音が聴こえるが、何故が静かだ。

 昨夜、或る局の天気予報士が停電があるやも知れぬとひと言。 日頃反応の悪い私は珍しく卓上ボンベと真空ごはんの補充をWebでした。

 2度目の手術を終えて5日が過ぎた。 抜糸が月末だ。 術後30日検診が10月の中旬だ。一時は出血が止まらず難儀したが無事のようだ。 

 いま、何もせず、幼い娘と昔よく二人で唄ったフォーセインツの「希望」をイヤホーンで静かに聴いている。余り無理をしないためblogにとどまらず、新聞も読まずニュースはテレビから・・・。 

 あの雨音が静かになったのか・・・聴こえない。 自室でひとり静寂に浸るのは贅沢なものだ。明日明後日は最初の抜糸だ。楽しみにしている復帰もまじかだ。疲れてきたようだ。字がかすれてきた。 止めとけ!

イヤホーンから、古い歌は流れている。もう、寝よう。

終わり