我が家の居間に古いハイバックの洋風の椅子が部屋の中央にざま覚ましく鎮座している。 妻からは余り良い顔をされていない肩身の狭い椅子である。動かすのに老体には重いからである。 しかし、わたしにとっては永年の友である。 単身赴任していたマンションに買われて来た当初は大事に扱われたものだ。 会社人生を終え妻の待つ自宅に戻り20年そして、この頃は、わたしの疲れを癒すための役目には変わらぬものの取り扱う座り方が病の故、乱暴にならざるをえない。 「よいしょ~」と声にならぬ声で身を投げ出して座る。 当然至るところに歪みがでてきて椅子は悲し気な悲鳴をあげている。
出会いは、仕事場のあるつくばで昼食をすませ路地を一本一本覗くようにウインドショピングをしていた時、路地奥の小さな輸入家具店でした。 椅子が欲しくなれば机も欲しくなる。 と、言う訳である。
この癒しを与えてくれた椅子によく飛び移っていたのが、初孫の男の子だった。 まだ2歳の時だった。 鮮明に歳を覚えているのは、訳があった。 サンフランシスコに住む娘が2歳の息子を連れ、身重の身体で里帰りをした時に事件が起きた。
母親の娘が緊急入院し、婿を呼び緊急サンフランシスコに戻ることになる。 ひとり2歳の孫息子は突如、日本の祖父母に預けられ3か月も日本語の世界で暮らすことになる。 雨の降る日など、遊びに行けない日の遊具がこのハイバックの椅子であった。 この椅子に悠然と構え、座っている孫の写真があった筈だ。 もう、16年も過ぎた。 見つからない。 でも、想い出だけは紛失せずに、爺の脳裏に焼き付いている。 癒しを与えてくれる椅子だ。 ありがとう。 もうしばらくお付き合いをしてくれ。 あの孫息子も座りに戻ってくるまで・・・。
終わり