通りに面した駐車場のある幅15mに亙る山藤の葉が、この風雨で辺り一面に散り飛んだ。 後、誰が掃除するのか、分からない。 妻とふたりしかいないのだから、私とならざるを得ない。雨に濡れていなければ新兵器登場となる。吸いあげて粉砕して袋に収まると言う素晴らしい頼りになる機械である。
荒れに荒れた暴風雨も収まったようだ。音が聴こえない。
朝早く掃除覚悟で外に出た。落ち葉が余りない。雨が止み軽くなった葉が強風で何処かへ運ばれてしまった。新兵器以上だ。
今日はまず、バスで駅へ。 駅からバスで大学病院に行く日だ。 老人優待バスで30分程で行ける距離だ。 帰ってきたら、また郵貯の「一行日記」を読みながら想い出を膨らまして浸りたいと思った。
08/04/18 羽田空港郵便局 「鹿児島へ33年ぶりに向かう。新空港は初めてとあって少々緊張気味。不思議と成田空港の方が慣れている」と記してある。
当時、鴨池空港時代に昭和39年開催の東京オリンピクのギリシャからの聖火輸送に仕事で関わって以来の再訪である。当時、暑くて宿に「かき氷」の出前を頼んだ。地元では「しろくま」と言っていた。出前で届いた氷は半分は水になっていたと言う馬鹿な悲しい話を思い出した。当然のこと、街は大きく変貌していた。市美術館の隅にあった島津のお姫様の石像は今でもあった。
08/04/19 知覧郵便局 「小雨降る中、知覧特攻平和会館と武家屋敷を訪れる。街並みが何処も緑が多く美しい。市美術館に寄る。城山より桜島を見た。空港もすべてが明るい」と記してある。
念願の知覧に案内して貰う。半壊したゼロ式戦闘機が展示されていた。特攻隊員が残した(映画「雲 ながるる果てに」より)
「雲こそ 我が墓標 落日の碑銘を 飾れ」
「雨降って またまた神さま 命のび」
を想い出した。 悲しいかな諳んじて直ぐに口から出てくる。
霞ヶ浦の当時の海軍基地内にも特攻隊の資料館に「関 行夫大尉の遺書」などがある。 合掌! 知覧は静かな住宅地にあり心が和んだ。
08/07/17 大手町ビル内郵便局 「30数年振りに入社した当時の東洋一の大手町ビルを訪ねた。店店は昔のまま。地下鉄のホームに行くのに無意識に左折したのには驚く」と記してあった。
新本社竣工までの6年間いた懐かしいビルであった。この地はオフィス街のため屋上で昼休みはいることが多い。ひとり残業で自動鍵のため冬に廊下に締め出されたことがあった。懐かしい青春の始まり。
08/07/17 丸の内ビル内郵便局 「1996年でなくなる”恋の丸ビル”。1Fの店店は昔のまま。若き日の思い出がよぎる。夏の暑い日差しに・・」と記してあった。
大手町の帰りによく行った丸ビルに足を向けた。歌の文句ではないが、憧れの窓・・であった。最上階のレストランは素朴な昔のレストランがあった。部屋の木製の扉に味がある。鰻茶漬けを知る。
08/07/17 東京中央郵便局 「中央とはPOの原点。傍に、目黒通り方面行きのバスターミナルを見つけ昔日が去来した。よく乗った。 白金に、目黒に帰るときに・・」と記してある。
入社間もない若い頃の仕事で走り廻っていたところ。経路は「東京駅ターミナルから白金そして目黒駅」のコースしか乗ったことがない。目黒からは権之助坂の停留所から目黒通りを下る。懐かしいコースだ。木炭ガスのバスがあった。何で思いだせるのか不思議だ。目の前の東京駅のステーションホテルに泊まったことも・・。一気にサラリーマン一年生が動き回っていたエリアを駆けずり回って局印を貰った。3か所も廻れたとは・・会議の後か・・思い出せない。残念。
おわり