気ままな旅


自分好みの歩みと共に・・

永い休みで間違いだらけ・・86歳の誕生日を目前に迎え・・気がつく始末

2020-04-19 10:00:50 | エッセイ

日増しに襲う老いの・・・布団ぬくもりを心地よく味わいながら眠れぬ夜をも過ごしている。

 今日は暖かい陽射しを浴びれると言うニュースキャスターの昨夜の言葉を思いだし布団から抜け出し階段を硬直した我が身を落とすがごとく「ゴトン ゴトン」と大きなかかとの音を響かせながら1階の居間に降りた。いつもそうだ。階段の上り下りが上手ですねと人は言う。足腰がリハビリで下肢鍛錬されていると褒める。

階段を降りるのは上手かも知れない。これは降りているのでなく転がり落としているから硬直が酷い時でも降りれるのである。

 1階の壁時計を見た。6時32分・・早い。

余りにもブログの再起を果たせず時間だけが過ぎていった。時間だけでなく、記憶した取り扱いも頭の片隅にも残っていない。

実はここでご案内したもうひとりの影武者がいると書き、そこで時間過ごしにとアドレスをご紹介しましたがが記憶違いでした。自分でも検索しましたが全くの白紙でした。

改めて考え何とか朧気ながら索引を思い出しましたので書き直しました。

blog.goo.ne.jp/gakuhiro4

でした。失礼しました。

全部が入っていません。時間を掛けて入れるつもりです。申し分けありませんでした。

終わり


ブログへの再起叶わず、何時しか月日が過ぎ去り焦るのみ

2020-04-02 10:37:45 | エッセイ

 希望を持って白内障の手術に踏み切ったあれから半年を迎えようとしている。 己の欲するままに事が進まぬ難しさを知った。 まだ、体調が許さない。 いま、ふと気づいたことがある。 それは私に影武者がいるのだ。

その名は「岳 洋」(がくひろし)

アドレスは blog.goo.ne.jp/gakuhiro4

掲載作品 :「二通の手紙 」寂しい終の訪れが・・・       

      「駅の改札口」心の火が尽きた       

      「夢で逢いたい人」浄瑠璃人形遣いの精       

      「ケチンボ青春旅行」       

      「地獄での七転び八起き」(未完)      

      「少年が見た戦時下の北京」

全ての作品がまだ掲載されてはいない。

しかし、時間稼ぎには十分にある。 暫しの間、お休みください。


いつの世にも、悲しみがある

2019-12-24 23:09:56 | エッセイ
またも、眠れぬ朝を迎えた。
この頃、考え事をするせいかいろんなことを夢見をしたり、計画に浸ったりして時が過ぎていく。だが、穏やかな時間の経過ではない。
永年付き合ってる持病との戦いである。それは痺れと硬直との戦いである。何かに夢中になり痛みを忘れさせて貰わないと前に進まない。

 或る朝刊の記事に母娘の互いをいたわる情愛の記事に触れた。

 ふと、何時だったか、この間、投稿募集に応じたことを思いだした。
残念にも選に漏れたものの未だに心にひっかっている。
投稿原稿の控えを探してみた。
あった。
その記事は東京目黒で起きた。
父親の幼い娘を暴力で殺めた事件だった。
親の厳しい躾の美名の文字に隠れ、過度に線を超えたのに気づかずいるのにもきがつかない。;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;この世に悲しきこと多々あれど、これ程悲しきことはない。
     幼い、5歳の女児がこの世で最も信じられる母親に未明の
     午前4時に起き、覚え立ての字で必死に文を考え、許しを
     乞う姿を思うと余りにも残酷で悲しい。
     今の私には何もできない。
     向こう行った時に真っ先に探そう。
     死ぬまで許されなかった母と「許し会える母娘の絆に」
     手を貸しましょう。
     その時は手にお土産を一杯持って、おじいちゃんで良けれ
     ば腕に力強く抱きしめてあげましょう。
     待っていてね。

 悲しいが、5歳女児の必死に考え書いた文が残った。この世の親は、この文をバイブルとして親は子に接していきたいと思う。子の心は子にしか分からないのだ。
いま、この歳を迎え、できるものなら父親業をもう一度やり直したいものだと思っている。
終わり

老人は術後のアフターケアの負担を忘れてはならない

2019-12-23 21:13:38 | エッセイ
 雨戸の桟の隙間から道路が見える。
時折、朝早い車が水しぶきの静かな雨水を弾く音を立てて通り過ぎる。
今日も、また雨か。 恵みの雨でない弱者いじめの災害を伴う雨だ。

 この頃はひとり歩きはしないと言うよりできない。
それは15年に及んだ単身赴任を終え、現役を去り70頃から病が発症し、いまでは薬とリハビリで何とか過ごしている。
Blogに取り組んで5年になる筈だ。五体がどうにか動いたのか楽しくPCと遊んでいた。しだいに、画面が読みにくくなり、意を決し白内障の手術をして、より楽しもうとした。それが甘かった。術後のアフターケアを薬漬けの老人生活に組み込むのが至難の技だ。

 今日、眼科医から、もう「薬はこれでいいでしょう」と言われ、やっと4ヶ月ぶりにBlogに取り組もうとPCの前に座った。
原稿の書き方が少し違っているのに気がついた。「どうやったかな~」もう、忘れている。「目も元に戻ってしまったたみたいだ」そうこうしてると、更に、新たに指が疲れて休みたくなる。そんなことに休み休み時間を取られると文書校正もどこえやらと予想もしていなかったことが立ち塞がった。肉体が衰えたと言うべきか病が進行したと言うべきか、想定外にきづいた。手術を受けなかった方がよかったかな?と、チラッと頭をかすむ。もう、遅い・・・。指が動かない。思考力もない。
折角知識として身につけたPCの知識も老人には不断なく使わないと忘れてしまう。時間とか、反復とかルールが変わると・・・途中で切断される間の時間を作ってはいけない。
より高見を望み無理して登ったのは己の脳の低能力を知らないからだ。
途中で座り込むかも知れぬが登るしかない。
終わり

白内障の手術を終えて・・・

2019-10-14 14:35:37 | エッセイ

 静かな朝を迎えた。

19号台風もやり過ごせた。昨日の昼頃、やはり電話が鳴った。「0000さんからお電話です」娘からである。「どうだった、被害はあった・・・むしろにこたま・・がたいへんなようね・・・」こっちが答える間がない。サンフランシスコも今では情報は同じなのだ。ところで、我が家は無事のようね。娘は五月蠅いがありがたい話だ。

 こうして一夜が過ぎた。 

雨音も少なく、強風によるすだれの契れんばかりに壁に当たる音、立て付けの悪さから来る雨戸や窓のきしむ音など、いつも以上に聞こえてくることを期待したものの、期待はずれに終わった夜でした。一通りの対策はした。

 だが、やはりそうはさせてはくれなかった。硬直し痺れる脚を何とか朝の準備体操で動かし、少しは言うことを聴いてくれる頃に庭に出て被害の確認をしてみた。 

 小さな庭の中央にあった木蓮が根元から倒されていた。腐れ掛かっていたとはいえ、良くも音も立てず静かに倒れたものだ。短くしていて被害が小さく隣近所にいたらなかったのに感謝した。

やはり、台風は甘くみてはならない。

白内障の2回目の手術をしてこの17日で1ヶ月になる。いま、現状に合う眼鏡がない。作れるのには後30日とか・・・アフターケアーにはほとほと疲れた。

 ブログへの復帰を備え静かにまず眼鏡作りからと・・・日々を過ごしています。

因みに、倒木は粗大ゴミではないそうです。

おわr