気ままな旅


自分好みの歩みと共に・・

ショッピング街の「モール」と「プラザ」では、どう違う

2015-12-19 14:38:43 | エッセイ

 もう、この地に住んで早いもので36年にもなる。

 駅の名に、「たまプラザ」と言うのがある。                    この頃、大型複合商業施設を「モール」と呼称している。 米国なみになり抵抗感がなく受け入れている。 両者ともに大型複合商業施設を言うらしい。 何処かに施設に差があるに違いないと思った。  

 初めて知ったのはジョージタウンに娘に連れらて行った時だった。 吹き抜けがあり、等身大の鋳造の群像が所々にあり魅力に引かれた。その後、訪ねたルイビルやコロンバスそしてサンフランシスコでも「モール」は同じであった。

「プラザ」と名のつく商業施設にはお目に掛かっていなかった。  

 忘れかけた数年後、カリフォルニア州のベイエリアで「プラザ」と言う施設に出会った。 やはり、そうかと理解をした。

そこは、サンフランシスコのウオルナットクリークとサンラファエルにあった。                

 「モール」は寒暖の四季を問わず、風雨も問わずウインドショピングができる大型商業施設である。 即ち、吹き抜けで屋根付きであるのを「モール」と呼んでいるようだ。 開店前の早朝の時間にも通路が開放されていて市民のジョキングコースになっていたところもあった。 防犯上も安心なコースであるのに感心した。 

一方、「プラザ」は屋根がない集合大型商業施設に多いようだ。 雨の少なく温暖な地方では空が見えて、むしろ屋根のある全天候型より自然に触れて・・・と思う。 

 このように好奇心で見知らぬ異国の街中を歩くと、これまで見えなかったところが見え、より異文化を知る切っ掛けになる。

 歩くことに自信がなくなった歳になり、もっと好奇心をもって歩いておけば良かったと思うこの頃です。

終わり

  

 

 

 


我が家の次郎柿シャーベット

2015-12-16 00:05:32 | 日記

 我が家の庭の片隅に樹齢30年超の次郎柿がある。

一度、移植をしたが耐えて生き延びてきた強者である。果実が採れだしたのは20年程以前からかも知れない。柿を食味すると風邪をひかないと言う。そのせいか、ふたり揃って風邪を引いたことがない記憶である。今年も食べた~。ひとり当たり一回で1個半は食べる。2人分の皮剥きは固く苦労をする。しかも、わたしが担当である。

  (問:柿のへたが付いた茶色のものは何だと思いますか)

 中国の北京にいた頃、アマ(中国で女中のこと)から教わった冬の柿の食べ方でした。 それは厳冬の時期、窓辺に柿を出して数時間で凍らせて食べるのでした。   当時はシャーベットと言う洒落た食べ物は子供の私には知らない。         

 ただ、冬になると竹串に姫りんごなどを刺して飴で凍らせた果物が街の露天で売っていたのを覚えている。   ルーツはここにあるのかも知れない。

 これに倣い我が家では、熟しきった柿の皮を剥き、冷凍庫に入れる。      食べたい時に冷凍庫から出し自分好みに解凍して直接に食味するか或いはヨーグルトでもかければ、一味違った美味しいシャーベットが簡単にできあがります。   いつもは何もかけません。 

(答:柿のへたが付いた茶色いものは自家製の”さつまいも餡”です)

今年は20個もの熟しきった柿が冷凍庫のスペースを塞いでいます。     

早く食味しないと邪魔だ!

終わり


古い日記から想い出を探そう   7

2015-12-14 23:40:45 | 日記

  マフラーを首に巻き毛糸のジャンバーを着て駅までクリスマスカードを買いに「往ってきます」と声を掛けて玄関をでた。

 「やはり・・・」風で吹き溜まりなる駐車場の隅は落ち葉だらけ・・。新兵器は設置するのに時間がかかる。つい先日、竹箒のLを買ってきてある。出番到来とばかり、掃き寄せておこうと思った。だが、手が竿でなく束ねた箒の位置にくる。 竹箒が大きすぎるのか、それとも私の背が縮んだのか、いずれにせよ重くて掃くには労力がいる。疲れる。掃き終えた心地は素晴らしい。一気に落ち葉は掃き清められる。

 そして、疲れないうちにと駅に向かって歩き始めた。歩くとは、珍しいことだ。   

 夕刻のこと、妻が掃き残しを掃いている音がした。「ごめん。重いのを買ってきてしまって・・」と詫びた。 聴こえなかったのか「この竹箒、よく掃けて良かったわね」と宣まった。口惜しく返事は飲み込んだ。   一行日記を開いた。

 09/(1997)/06/19  結城郵便局「・・・の帰路、結城紬の町に寄る。静かな町だ。ここにも桐の下駄があった。もう、二度と立ち寄ることはないだろう」と記してあった。

 いまだに立ち寄ったことはない。 米国にいる娘婿に夏に着る甚平と桐の下駄を手土産にしたら大いに喜んで呉れたことを思いだした。こんどは、孫息子に買ってやるか。遠い忘却の隅に押し込んでしまった話。

 10/04/13  足利伊勢郵便局 「在任最後の社員旅行。平家の落人の里「四万温泉」の素晴らしき露天風呂と渓流。帰路、足利学校近くのPOにて。サヨウナラ!」と記してある。

  帰路、バスを足利学校に寄せる。想い出の菓子「古印最中」をget。この地でしか手にはいらない。時折、取り寄せる。昔の古い印鑑を模して。3種類の大きさの最中です。甘味が薄いのが私に合っている。 何年も口にしていない。取り寄せるか・・

 10/05/01  箱根町郵便局 「芦ノ湖畔の関所跡の古いPO。赤い丸いポストがあった。箱根神社に寄り散策。新緑が素晴らしい!」と記してある。

この時期が来ると、この場所で親子4人がセルフタイマーで撮った写真を想い出す。忘れられないワンカットである。車は白いボデイのフルサイズのデボネアであった。懐かしい限りだ。息子が熱湯による火傷し、氷で冷やし続け・・無事に・・。医師の称賛を・・。いろんなことがあった。大事にしている写真の一枚です。

 思い起こしてくると、楽しいが、やはり疲れがでる。             字が読みずらくなってきた。 この7編で、ひと休みがしたい。  

終わり     


古い日記から想い出を探そう      6

2015-12-13 22:15:54 | 日記

 

 今朝も雨が降ったようだ。 路面が濡れている。

遂い先日の風雨で日指し除けの簾が落ちた。仕事を増やさないで欲しい。

 これで「古い日記から想い出を探そう」の「郵貯一行日記」も2冊も読んだ。懐かしい限りだ。ここで気づいたことは、日付の刻印が西暦でなく和暦で表示されている。 3冊目から西暦に読み直して記述するこにした。

 局印鑑を貰うには月曜~金曜で、しかも午後4時までに局に行かなくてはならない。出張中に寄る時は極めて厳しい。でも、楽しいかった。貴重な想い出の財産になる。

では、3冊目の郵貯一行日記を読み始めよう。 

09(1997)/05/23  谷井田郵便局 「北守谷と藤代間にあった素朴なPO。稲穂が辺り一面に長閑だ。小見川の田舎の風景は美しく心が和む」と記してある。

 突然に稲穂の中にポツン~ト「間宮林蔵記念館」が出現しハンドルを切り観た。

09/06/18  小山天神郵便局 「昭和60年に小山を去る。Caixn喫茶店で昼食、オーナーと話す。2年半住んだ一徳ハイツの近くのPO」と記してある。

 思い川、足利学校、伊万里焼栗田美術館、益子焼きなど想い出は尽きない。

09/06/19  栃木蔵の街郵便局 「巴波川沿いの蔵が散歩道もできた。蔵づくりの交番近くのPOに寄る。11年でこんなに変わる」と記してある。

 山本有三の「女の一生」「生きてしいけるもの」「路傍の石」など。吉屋信子の墓、黒塀など切りがない。好きな言葉が本の裏表紙にこう書いてあった。「真実一路の 旅なれど、真実鈴ふり 想いだす」。ほかには役所の掘割に緋鯉真鯉が泳ぐ。文化馨る街だ。県名発祥の地とも言う。ひとり歩きをした想い出がある。懐かしい限りない。横山家の旧銀行の描画を買った。まだ、ある筈。

どんどん想い出すから不思議だ。

終わり

 


古い日記から想い出を探そう      5

2015-12-12 21:04:55 | 日記

 通りに面した駐車場のある幅15mに亙る山藤の葉が、この風雨で辺り一面に散り飛んだ。 後、誰が掃除するのか、分からない。 妻とふたりしかいないのだから、私とならざるを得ない。雨に濡れていなければ新兵器登場となる。吸いあげて粉砕して袋に収まると言う素晴らしい頼りになる機械である。

荒れに荒れた暴風雨も収まったようだ。音が聴こえない。                

 朝早く掃除覚悟で外に出た。落ち葉が余りない。雨が止み軽くなった葉が強風で何処かへ運ばれてしまった。新兵器以上だ。

 今日はまず、バスで駅へ。 駅からバスで大学病院に行く日だ。 老人優待バスで30分程で行ける距離だ。 帰ってきたら、また郵貯の「一行日記」を読みながら想い出を膨らまして浸りたいと思った。

  08/04/18  羽田空港郵便局 「鹿児島へ33年ぶりに向かう。新空港は初めてとあって少々緊張気味。不思議と成田空港の方が慣れている」と記してある。

 当時、鴨池空港時代に昭和39年開催の東京オリンピクのギリシャからの聖火輸送に仕事で関わって以来の再訪である。当時、暑くて宿に「かき氷」の出前を頼んだ。地元では「しろくま」と言っていた。出前で届いた氷は半分は水になっていたと言う馬鹿な悲しい話を思い出した。当然のこと、街は大きく変貌していた。市美術館の隅にあった島津のお姫様の石像は今でもあった。 

 08/04/19   知覧郵便局 「小雨降る中、知覧特攻平和会館と武家屋敷を訪れる。街並みが何処も緑が多く美しい。市美術館に寄る。城山より桜島を見た。空港もすべてが明るい」と記してある。

 念願の知覧に案内して貰う。半壊したゼロ式戦闘機が展示されていた。特攻隊員が残した(映画「雲 ながるる果てに」より) 

    「雲こそ 我が墓標 落日の碑銘を 飾れ」

    「雨降って またまた神さま 命のび」

を想い出した。 悲しいかな諳んじて直ぐに口から出てくる。

 霞ヶ浦の当時の海軍基地内にも特攻隊の資料館に「関 行夫大尉の遺書」などがある。  合掌!  知覧は静かな住宅地にあり心が和んだ。

 08/07/17  大手町ビル内郵便局 「30数年振りに入社した当時の東洋一の大手町ビルを訪ねた。店店は昔のまま。地下鉄のホームに行くのに無意識に左折したのには驚く」と記してあった。

 新本社竣工までの6年間いた懐かしいビルであった。この地はオフィス街のため屋上で昼休みはいることが多い。ひとり残業で自動鍵のため冬に廊下に締め出されたことがあった。懐かしい青春の始まり。

 08/07/17  丸の内ビル内郵便局 「1996年でなくなる”恋の丸ビル”。1Fの店店は昔のまま。若き日の思い出がよぎる。夏の暑い日差しに・・」と記してあった。

 大手町の帰りによく行った丸ビルに足を向けた。歌の文句ではないが、憧れの窓・・であった。最上階のレストランは素朴な昔のレストランがあった。部屋の木製の扉に味がある。鰻茶漬けを知る。

  08/07/17  東京中央郵便局 「中央とはPOの原点。傍に、目黒通り方面行きのバスターミナルを見つけ昔日が去来した。よく乗った。 白金に、目黒に帰るときに・・」と記してある。

 入社間もない若い頃の仕事で走り廻っていたところ。経路は「東京駅ターミナルから白金そして目黒駅」のコースしか乗ったことがない。目黒からは権之助坂の停留所から目黒通りを下る。懐かしいコースだ。木炭ガスのバスがあった。何で思いだせるのか不思議だ。目の前の東京駅のステーションホテルに泊まったことも・・。一気にサラリーマン一年生が動き回っていたエリアを駆けずり回って局印を貰った。3か所も廻れたとは・・会議の後か・・思い出せない。残念。

おわり