気ままな旅


自分好みの歩みと共に・・

杖は転ばぬ支えか、それとも荷物か・・

2015-11-22 23:03:35 | エッセイ

 この頃やはり可笑しい。先月も駅の下りの階段で前のめりに転がったが手すりのお蔭で事なきを得たことがあった。数回だが転んでいる。いま治療している病による運動機能の麻痺による衰えと思ったが、気になり駅前の整形外科を訪れた。変形性膝関節症とのこと。ここでショックな一言「このままだと歩けなくなりますよ。杖を持ったら良いですよ」と医師からでた。以前から杖に対し「邪魔なだけの荷物じゃないか」と不信感が強かった。 

だが、知識だけでもと思いたって専門のコーナーにでかけた。説明によると、杖には3種類があり、使用する生活環境に合わせることを知った。折畳み式でカバンに収められる携行式の杖と外出先で未使用時に長さを短く調節できる杖そして、調節が出来ない1本スタイルの杖がある。  木製の重さが350g、チタンかアルミの金属製が+20g、それに折れるとか組み立てが外れるとかの恐れはないか。

 歩けなくならないサポートの為なら1本スタイルとなる。 益々嫌じゃ。     見本に格好いい木製のが眼についた。  此れなら我慢できるか・・・ふと思った。格好つけてる場合でない筈と影の声。

 使い方の要領は症状の悪い足の手助をする杖なので、わたしの場合は、右足の為に杖は左に持つそうだ。ここで反論、右足が悪いので身体の姿勢が右傾斜になっている。そのために腰も痛む。体重の負荷も右足に重く関わっている。それを是正する為に姿勢を立て直す必要から右手に杖ではなかと信じられないでいる。       それも一理ある。では、貴方の場合は「杖を2本持ちなさい」と言われたら一大事だ。駅の階段の手すりに右手か左手が奪われ残った手で2本の杖を持つかと思うとぞ~とする。むしろ、杖で転びそうだ。                       

文句を言わないで木製の杖を1本買いに行く腹を決めた。

 駅前から奥に向かって凡そ5kmも続く楓並木は鮮やかな彩を見せ始めました。    もう直ぐ師走ですね。

終わり


鳥の柿攻勢を死守できるか・・・

2015-11-11 23:28:27 | 日記

  我が家の狭い庭の片隅に苗から育てた「次郎柿」がある。 元来食いしん坊の家系故、これまでにも、いちじく、杏、柘榴、キュウイ、梅と実のなる木を植えてきた。 柘榴とキュウイ以外は実がなり楽しんだ。 そして最後まで残ったのは次郎柿だけであった。 

 高さ1メートル20センチ程の苗木から育てて30数年にもなる。 店には富裕柿はあっても次郎柿はない。 10月に店頭に柿がで始めても我が家の次郎柿はまだ枝についている。 11月中旬の今頃が最高に美味い時期だ。 実は数えられないので分からないが戦果として、恐らく200個はあると思う。 無農薬自然にお任せの有機栽培果実である。 聴こえは良いがようは何もしてない。 

 最後の収穫を控え、冷蔵庫に保管してある在庫がなくなり庭にでた。 どこにも高枝ハサミが見つからない。 そう言えば「壊れた」と息子が言っていたのを思いだした。 

空には数羽の鳥が待機している。  

 今、食べる分だけでもと思っても、落として採るしかない。           手の届かない高い処は鳥に譲るには余りにも多すぎる。 甘やかせる訳にいかない。毎年20~30個はお礼返しをしている。 

 急がないと鳥に食われてなくなるばかりと焦りだした。 ハサミを通販で探した。 二日で届くとの事。 便利な世になったものだ。 

 届くまでの二日間を死守できるか分からない。それまで冷凍庫で凍らしてるシャーベットでも食べていよう。 

終わり


銀座で訪問先が隣合わせとは・・・

2015-11-09 19:47:22 | 日記

 いつもの通り、先輩の絵の個展のご案内のはがきが届いた。こんどこそ行こうと決めていた。だが、最終日にしか予定が空いていない。しかも、この日は、もう一つの会食の会合と重なっている。幸いにも、 個展の画廊も会食の会合も銀座である。

 案内状にある地図は酷似しているので、梯子ができると判断した。

当日の朝、時間調整をして開館時間に間に合うように我が家をでた。最寄りの駅からタクシーに乗り地図を見せた。 会食の案内地図で行き先は画廊と言う訳だ。      ややこしいが近くまできて運転手曰く、「隣合わせのビル同志ですよ」「よかったですね。いっぺんに2つも熟せて・・」と珍しがられた。

 画廊は細長いビルの10階にあった。早く着き過ぎたが、ゆっくりと鑑賞ができた。欧州を中心に描かれた油彩である。 画風は懐かしい学生時代と変わらない。 見せて頂いた画集のなかにお孫さんの着物姿が・・嬉しそうな先輩の笑みが・・。 爺は何処も孫に弱いものだ。

そこを辞して隣のビルの会合に出席した一日でした。

終わり

 


懐かしい母校を訪ねて

2015-11-08 15:35:25 | エッセイ

 珍しく私の携帯が鳴った。 見たことない番号だ。 近況が気になって絵はがきを送った友人からの電話だった。

 久しぶりに、大学祭に行く誘いの電話だった。 もう、12年も行っていない。  目白駅に11時30分に待ち合わせることになった。

 日頃、よく忘れるカメラをショルダーバックに前夜にしまい込み準備怠りなしと自信をもって我が家をでた。 なかなか言うことを聞かない足もどうにか聞いて歩いて呉れそうだ。 現役の頃は当然とばかり歩いた道も今では老人優待パスで駅までお世話になる始末。 桜並木通りのバス停で待つとバスが遠くに見えた。 駅まで500米の近さバスでは4分しか・・。

あざみの駅から渋谷に急行で22分。 山手線に乗り換えて目白駅へ13分位かな~。駅に着いたがエレベーターがない。 体力温存に欲しかった。 

 元気な顔した友人が待っていた。 駅の目の前にある西門が通用門として今では通行できるとはありがたい。 当時は数百米先の正門まで歩いたものだ。

 大学祭の盛り上げかたも、当時とはかなり違いを感じた。 もう、カメラ持参のことは忘れている。 記念写真でなく投稿用に構図を考えてシャッターを押したかったのだ・・・。 お上りさん宜しくキョロキョロばかりでチャンスはないに等しい。   各文化部では部費稼ぎのフランクフルトやサンドイッチなどの売り込みに頑張っている。 

 人混みの中を分けて進むと和服姿の女子学生に「能」を観に来て欲しいと言われ、当時ホールの舞台に観に行ったことが蘇った。 「何処でやってるの・・」と尋ねた。 スケッチに残した旧北2号館前で、やっと、思いだしてシャッターを押した。 懐かしさが蘇るのは新館でなく文化遺産に登録されてる古い校舎だ。 3階には明り取りの大きいアトリエがあった。 大きなビーナスの胸像が入口にあった。    今ではアトリエがなくなった。 懐かしい想い出のひとつが消えた。    

 当時よく森林浴に池の縁沿いを歩いた。 荒木又右衛門が大久保辻の仇討で血刀を洗ったと言われる伝説の「血洗いの池」を見に行くと樹木が更に大きく育ちより一層、鬱蒼とした静かな佇まいになっていた。 当時を想いだした。

 西2号館、11階の最上階に日比谷の松本楼が店を構えていた。 見晴らしの良いここで昼食をしたが、またまたチャンスを逃す始末。 気づくのが食べ終えての時点。 遅すぎる。 皿にはなにもない。 でも、旨かった。 学食とは大きく違う。  

 肝心の在籍していた美術部の会場は人混みの少ない会場で気の毒・・。後輩の話では合宿も余りなく・・・。 これでは・・。

足のほうも、そろそろ限界だ。 むしろ、不思議な位に歩けた。 最後に休講の時によく通った木造の図書館が残されていた。 

もう、歩くのは休み休みでないと動けない。 正門を出て目白駅に向かう。

友人と別れて家路に着いた。 若い学生と言葉を交わすだけで青春を取り戻した気になった。 

こうして、一日が終えた。 若返った。 来年も元気なら行きたいと思う。

終わり