気ままな旅


自分好みの歩みと共に・・

老いてゆけば幾程つまらぬ想い出が懐かしいもの・・・

2018-10-22 19:28:14 | エッセイ

 外は雨。 夫婦ふたりで観るテレビは土曜日の午後9時から始まるTBS「世界ふしぎ発見」である。いつ頃からかは記憶にないが、穏やかな時間を誰にも遮られずに、互いに語り合いながら、ここ数年、送っている。もう、現役時代の、あのピリピリとした緊張感は、それなりに厳しさがあっていいものだが・・・いまは完全に忘れた。 

 深夜番組の魅力はかつて宣伝部と言う部署で担当したこもあり、熟知していた。と、思っていたが、わが身をその渦中に置いたことはない。魅力の虜になったのは赴任して10ヶ月が過ぎた頃だと思う。当時のことを、ブログに投稿し記事にしたのが、以下の記事である。。もう一度、読み返し振り返ってみた。希望と癒しをくれた深夜ラジオ番組2015年1月のリメーク版である。

 会社人生の中で苛酷な試練を味わった時期に希望と癒しをくれたラジオ番組があった
番組を知ったのは赴任先に戻る車の中だった。たしか真夜中の23:50だったと思う。

 単身赴任地までの距離時間もあり、気を落ち着かせる意味で視聴する環境に吸いもしないハッカ入りの洋もくを買い口に咥えた。吸えない煙草もハッカ入りだと何故か据える。そして、何故か気持ちが落ち着くのだ。
 国道そして首都高、バイパスを経て降りるインターのドライブインの止まり木で深夜のほんのひと時を費やす。午前2:00。
 先程 求めた洋もくに火をつけ吐き出すひと吹きに何故か心が和む。
深夜の2時頃、客はいない。ひとり思考するにはまたとない環境だ。

そして、気を落ち着かせ赴任先のひとり住まいのマンションに戻る。
ドアを開けると、ひと気のない冷たい空気が顔を撫でる。



 ラジオから流れる深夜番組の時間に合わせて家をでる。
  バックミュジックが流れ・・・そして、語り掛けが始める・・・

    「深夜の友は 真の友」と言いますけれども
    こんな時間に独りで起きているあなたは いったいどんな人なんだろうと
    いろいろと考えながらマイクに向かってます。

    ”人生は短く 夜もまた短い
     今日できることは 明日にのばして せめてこの深夜のひと時を”

    今、この放送を聴いていらっしゃる深夜の友に 限りない友情と 共感を抱きつつ
    お送りするミッドナイト メッセイジ 五木寛之の夜です。

この番組に助けられ、苛酷な困難をも乗り超えられた。
 もう、30年も昔の遠い想い出の片隅に追いやられた苦くも達成感を味わった懐かしい想い出の一齣である。

 

 いま、懐かしく思い出したのは、五木寛之さんの声はもとより、番組進行をサポートされておられた「柳さん」と言う名の素敵な声の女性アナウンサーでした。そして、バイパスのインターに何時も客がいたことのない止まり木で一杯のコーヒーと伊達の洋もくに火をつけ口から煙を吐いた記憶が何故か脳裏に残っている。 

 老いていけばいくほど、つまらぬ想い出が懐かしく思い出すのかも知れない。 前出記事には「30年も昔の遠い想い出・・・」とあるが、いまでは更に年月が重なり50年も昔になりました。この癒された「深夜ラジオ番組」が惜しくも2年6か月と短い期間で終えたことは良かったのか悪かったのかはその後の歴史が語り終えて呉れました。   そんな想い出を再現させてくれた一夜でした。

終わり    

 


懐かしさは遠くなる程強くなるものですね・・・

2018-10-20 00:45:18 | エッセイ

 今日も昼食をすますと、せっせとお迎えの車に乗って「シニア会社」経営のデイ・リハビリに向かった。台風でもなければ天候を心配する必要がいらない。我家の藤棚の下からリハビリの廂の下で降りると言う実に恵まれているアクセスである。

 通い始めて7週間が過ぎた。一方、ブログも満4年にもなろうとしている。 ブログに何か事に触れて書きたい気持ちで一杯である。

 だが、何も材料がない。 ふと、気がついた。 ブログの事務局から1年前の同月同日の記事が送られて来る。時折、読んでいる。投稿した本人ですら忘れていることもある。 でも、懐かしい一語に限る。まして、他人は3年も前の記事なぞ、覚えている筈がない。そこで、ブラシュ・アップして再投稿をしてみよう!・・と思った。

随分身勝手な理屈だ¡ 横着な投稿だ。でも、何遍も言うが懐かしいのだ。

    

 話は、パリからベネチュアに小旅行に往った時のことである。
いつもの通り、早朝にホテルの窓からサンジョルジョ・マジョーレ島を眺めながら着替えをして昼間の人いきれで賑わったサンマルコ広場とは逆の方向に歩くことにした。

 9月の朝の弱い陽ざしを受けてホテルの前に広がる水面が気持ち良く照りかえるのを横目に、ゆっくりと歩きながら程よい所から細い路地に一歩踏み入れた。
 旅先で良く街を早朝に歩くのが好きで、しかも表通りでは見られない一本裏に入った素朴で長閑な知らない姿を垣間観たく歩いている。
 そこには美しい風景とは異なる、何か心を和ませてくれるものがある。

 崩れかけた歴史を感じさせる家々の石作りの壁にも陽光が差し込み、初秋の涼しさを感じる気候なのに家々の緑色の窓辺には赤い花々が咲いていた。
 そして、窓から窓へ紐に吊るされた洗濯物が幾重にも連なり満艦飾豊かにひるがえっていた。
 朝食の準備に忙しいのか外はまだ、誰も歩いていない。
この静かな早朝の窓辺は一枚の絵葉書であり、風物詩でもある。
それから細い路地から路地へと歩き続けると、パテイオのような広場にでた。
すると、左の海側の路地から、ハットを被り、ツイードの上着にネクタを締め、口元に白い髭を蓄えた老紳士がステッキを片手に、悠然と背筋を伸ばし石畳の上を犬と散歩を終え、小さな白い素朴な木の戸口を開け白い建物の中に消えた。

 しばし足を止め、老人の犬との素敵な散歩姿を眼で追った。
早朝に見た古代ベネチュア共和国の気風なのか。

こうして、朝の小さな時間を見つけては旅の小さな想い出を重ねている。

 旅とは、ただ単に美しい風景を観るだけが旅ではない。
その旅がより豊かになるかは、その旅に「心に届くもの」を創ってこそだと思う。

  こうしたひとり旅スタイルは、ドクターストップかかるまで続いた。     米国のSFにいる娘はよく止めてくれと言っていた。もう、したくても夢の夢の話になった。この時の心残りはカメラを携帯していなかったことだ。        今、日常的に私がしていることと同じことをしている姿である。違うのは背の高い老人がモデルである。上着にハットそして杖は今では私も立派に持っている。    ただ、立派な白い顎鬚はない。背は並み。だが、白い頭髪はある。細い道に繋がるパテイオにピッタリの白壁に白髪の老人が白壁に溶け込むのをフイルムに収め損ねたた痛恨の懐かしい想い出であった。

 

 しばし、茫然と佇んだ記憶が蘇ってきた。旅はいい。人生も旅だ。そして「気ままな旅」であり続けていたい。

2015年1月に投稿した記事です。

 終わり