気ままな旅


自分好みの歩みと共に・・

Halloweenを知ったのは孫息子が誕生した時でした。

2017-10-27 20:46:29 | エッセイ

 ハローウインの時期を迎えようとしている。

そう言っても今では誰でも話題についてくる。 いまから19年も前の頃はデパートでもやっとウインドウに飾りつけを始めた時期だった気がする。会社人生の最後のお勤めを迎えようとする前の年だったと記憶する。 記憶が曖昧なのは初孫誕生で舞い上がっていたのかも知れない。 初孫息子である。 待ちに待った誕生の年の10月、サンフランシスコから北の街ノバトへ飛んだ。 迎えに来た娘の車で夏の季節感が残る街へとR100で向かった。 

 初対面した孫の第一印象は火星人に見えた。 まさか、後に「ハンサム」と言われるとは・・・? 広々と辺り一面に広がる芝生に点々と飛び石の様に散るアパートに居を構えていた。 公園のようだ。居住者の家族しか歩いていない。 もう10月の末だと言うのに、プールで子供たちが水浴びをしている。 庭木には夏に咲くサルスベリらしき木がピンクの花を咲かせていた。 スーツケースの中には冬着しかいれてない。 後で、半そでを買いに近くのスーパーに行く羽目になる。

 それから、毎日のように乳母車に孫を乗せて散歩をしながらカリフォルニアの暖かい秋の陽光を浴び人生の喜びを味わった。 

 その時、家々の窓や玄関に奇妙なカボチャや魔女の飾りつけのしているのに気がついた。更に、遊び興じている子供たちの仮装にも気がついた。 骸骨だったり、血管人間だったり、魔女だったりとさまざだった。 断らなくてもカメラを向けると子どもたちは喜んでポーズをとり協力をしてくれた。 

その夜、娘の家にも子供の訪問客が飴を貰いに家々を訪ね歩いていた。 初めて出会った異文化の行事でした。それから19年の年月が流れ過ぎました。 

 

 いま、階下で妻の主宰するラボ活動の「ロミオとジュリエット」の練習している子供らの声が聴こえている。 「HalloweenParty」で発表する。 力仕事の応援はできなくなったが、せめて気持ちだけでもと思っているこの頃です。

終わり 


何故か、歳を考える・・夢も希望も捨てない。

2017-10-22 13:51:57 | エッセイ

 娘が使っていた木製の机と息子が使っていた本棚と一体になった、これまた木製の机の両方を退職をしてからは私が新しい主人となり使っている。 当時は金属製が主流だったが、説得して木製を使わせていた。お陰で木製だけに傷だらけになっても、それなりの風格が残っていて子供たちの想い出が傷に沁み込んでいる。 

 私が使い始めて19年になる。 2台の机をエル字型にくっつけ左の机にワープロを置き、右の机にパソコンを置いて得意満面でいた。 もう、ワープロは現役を去った。

 そうして、ブログも始めて1000日を超えたことを知る。 

 いつ頃か、記憶にないが、他人ごとのように「終活」の準備をしていた。時には「あの本が見あたらない・・ない・・何処にしまったのか・・」と、自問自答をする。 既に終活処分をしてしまっているのに忘れている。 

 時折、身ぎれいにしなさいよ・・・と言われることがある。「ジャケットでも買って散歩にでも・・・」歳の近い妻の言う意味と歳が離れた娘の言う意味は微妙に違う。 だが、何故か「もう、歳だしと無意識に意識しているのが歳と言う壁だ」と躊躇する自分がいるのにも初めて気づく。

 逆らわず、いまは便利な通販がある。 早速、クリックした。 返信がきた。 明日には納品できると言う。 ホットしたが、気になるのは着ているモデルが50も若いのが気にかかる。「5年は着れるかな~」と、ひとり言。

 庭の樹々が台風の吹き荒れる雨風に揺れている。横目で眺めながら・・・。年数には気にしないでいよう。まだ、夢も希望も捨てたくはない。 

終わり

  


信じられない・・・柿が1個・・・嘘でしょう?

2017-10-20 11:19:09 | エッセイ

 雨は降り続いている。東京は60年振りの寒さとか・・・。

 昼食をしながら妻と庭にある次郎柿の話になった。 次郎柿とは狭い庭の隅にある我が家の唯一の実のなる木のことである。 

   「今年は一度も庭にでて何個ぐらい収獲できるか、確認していないね。            

    そろそろだね、鳥にやられないように気をつけなくては・・・」

と、言うと

   「ここの窓から観る限りは柿が1個も見えないようよ」

と、気になる妻のひとこと。

    「この時期になっても、葉が枝についていて見ずらいのかな~・・」

と、私の弁明が続く。

食事が終わると私は靴を履いて庭の方に廻った。そう言えば、今年はまだ一度も実っている柿の個数を確認をしていない。 熟度の甘味も確かめたく小雨の中にも拘わらず、物置から高枝はさみを持ち出し柿の木の根元に久しぶりにたった。手で雨を避けながら見上げた。  

    「あれ~・・ない。 噓だ・・。本当だ。 信じられない・・」

よく探すと1階の屋根の上に1個あった。 危なくて採れない。 カラスへのお供えだ。と言うことは、この秋の我が家の次郎柿の収穫は0と言う訳か。信じる方が無理がある。 早速、妻に告げた。      

 例年は200個前後の収獲があったのが鳥用に1個とは・・・。「風邪引かず」で過ごせた魔法の果実だったのに・・。 困った。 注射嫌いの妻にはインフルエンザ予防注射はさせないと・・・。毎年当てにしている人には・・何と言えばいいか・・。ひとり大騒ぎ。 

妻が「昔は肥料を根元に掘っていましたが、やれなくなりましたね」と、ひと言・。慰めともつかぬ「でも、かなり大きくなって落ちているのを拾いましたよ。だから、実がならなかったのでなく、病気になったのでしょう」と付け加えた。

 そう言えば、2年前に30年咲き誇っていた日光キスゲが咲かなくなったのを思い出した。 人と同じで寿命・・、栄養失調・・調べてみよう。

反省、肥料不足。 妻に頼んで依然と同じく生ごみでも根元に掘り埋めようと他力本願ではあるが誓った。    

雨音を聴きながら何かが寂しくなるのを感じた一日でした。

終わり                         


ここに60年にもなる古い認印がある

2017-10-18 00:00:16 | エッセイ

 先日、ブログを始めて1000日と案内があった。 年月の過ぎる早やさにただ驚くばかり。 丁度、所用もあり、体調も優れるので、久しぶりにバスで駅前にでた。 ひとり杖を突いてでも気ままに歩けるのは心地がいいものだ。 バスの車内は混んでいたが、杖を隠しての5分の辛抱だ。ここで知ったのだが、杖はカーブの時に実に頼りになる。 予め杖の先を踏ん張りの角度にしておく知恵を覚えた。 

 用件の書類に捺印するのに手にした黒い楕円形の認印を見て、良くまだ無くさなかったものだ。 ほとんど使われることなく本棚にあった。これこそ何年なるのか・・・。   ふと、思った。 

 社会人になった年の4月の或る日。 会社内では認印がなくてはならないと知る。 実に都合よく山梨の甲府の判子の会社が売り込みに来ていた。 当時は文具店も何処にでもあるものではなかったと思う。 

 三文判でない、父と同じ個性のある書体にするように頼んだ。 お陰で同じ書体にお目に掛かったことがない。 材質は木部でなく、黒い石だ。 教えられていたが忘れた。 初月給で買うのだから高級品である筈がない。確か50円だったと記憶している。 初給料が12000円の時代だ。 

 高かったか、安かったかは、これまで如何に大事に持ち続けて来れたかで決まるのだと思う。 そうと決まれば、はち切れんばかりの想い出を満載した高かった判子だ。   誰に相続させるか悩むところだ・・・。

 いま、私と同じ歳の裕次郎が唄う歌をイヤーホンで聴きながら、ひとり昭和を楽しんでいる。 「終わりない終着駅に辿りつく・・・」と聴こえてきたようだ。      寝るか! この頃は毎夜同じことを言う・・・。

終わり

 


何故か思い出した店名を入れ替えた話

2017-10-16 00:09:28 | エッセイ

 いま、或る原稿を書き始めている。 だが、持病のため筋肉が硬直し痺れで、なかなか思うようにいかなく時間がかかる。 そんな時に思わぬ記憶が覚まされることがある。  

 それは初めて単身赴任した時のことである。 当時は弁当屋はあるもの規模は小さい。 自炊をしていても主婦と違いレパートリーがない。 刺身が食べたいがスーパーに行くには帰宅が遅い。街中には魚やはまずない。 

 ところが、この街にはあった。 しかも、単身赴任マンションの近くの細い路地裏に・・・。

    「おばさん、まぐろ・・時には、かつを・・または白身・・・を」と、ひとりの食べる量だから遠慮して一種類になる。 本当はイカも、いわしも、幾つか食べたいと思っていた。 週に一回は立ち寄り一人分の刺身を買っていた。 

 或る時、言葉を交わすほどに親しくなってきた頃、おばさんが

     「いろんな種類があった方が良くないの~。作ってあげましょう」

と言うと7~8種類を2~3切れづつ綺麗に箱につまもわさびも付けてくれるようになった。 週に2回に増えることもあった。 値段はこれまでと同じだった。 間違いなく損をしている。 単身を哀れに思ったのかなと・・・感謝している。一年後に、この地を離れる時にはわざわざお礼の挨拶にいったほどだ。 

 気になっていた、お店の看板の由来?について聞いてみた。 店の名は「八百政」とあるからである。 魚屋なのにと…。 おばさんは口を開いた。

   「祖父の代に仲の良い友人に八百屋がいたそうです。 ふたりは永遠の仲を誓うことを約束し、お互いの店名を交換して使うことになったそうよ。 ところが代が代わり、こんどは犬猿の仲になってしまった。だが、元に戻すことが出来ず、このままになっているのだそうよ。 八百屋さんの店に行くと魚屋の店名になっていますよ」

と夏の夜の怪談話でも聞かされたようだった。 

その地を去ってから、もう33年も過ぎている。

行ってみて確かめたい気がする。 人間の頭の中の記憶回路は不思議ですね。それとも、私の記憶回路だけが狂っているのでしょうか・・・。

終わり