気ままな旅


自分好みの歩みと共に・・

父親をもう一度やり直したい・・・

2019-05-03 11:26:36 | エッセイ

 令和元年の5月2日の朝を雨音と共に眼をさました。

 子どもたちや孫からの誕生祝のことなどを想い起こしながら布団の中にいた。   昨日の昼、妻とふたりで行った仏蘭西料理店の小さな店だが静かな落ち着いた雰囲気に浸れ、ゆったりとした時間を・・・静かに思い起こしながら床から起きた。 いつしか陽が射してきていた。 

 昭和の一桁の最後に生まれ、軍国時代に子供時代を育み終戦による自由の風潮の中、夢を大きく膨らませ夜遅くまで働き、何時しか迎えた平成での第二の人生は覚えたFacebookやBlogで楽しみ、そして娘の住むサンフランシスコで孫と気ままに遊び、そして令和を迎えた。

 電話が鳴った。いつもの遠く離れた地に住む娘からの声の定期便である。「どうでした。お誕生日のお食事はいかがでしたか・・」と85歳の祝いを言ってきた。 

 電話はいつも長電話だった。 長電話を叱ることをやめていた。永きに亘りアメリカ滞在も最後の訪問と決めた夕方、娘に「幼い児が愛を求めて母親に抱きつくのと同じ仕草」をそ~と抱き締められた。なすがままにしておいた。親として心からすまないと思った。娘とは15年の単身赴任そして米国留学を経て結婚と女子中学以来一緒に生活をしたことがない。昨今、実の親からの悲しい子への事件に触れるにつけ、自分自身も父親として反省を禁じえない。

 もう、時間を戻すことはできないならば、せめて、「夢の中で時間を戻して父親をもう一度やり直したい」と述懐する

 一つの屋根の下に共に住んでこそ家族である筈だと思う。 いまからでもいいから、親は子のためにも少しでも長生きしてやりたいと思うこの頃です。

いま、YouTubeから流れる昭和の唄をイヤーホーンで聴きながら極端に悪くなった眼を更に細めながら書いている。

 窓に射しこむ弱い陽射しに先程涼しさを感じ暖房のスウイッチを入れたがOFFにした。娘の住むサンフランシスコは、もう初夏の気温だろうと想いを馳せながら令和を迎えた3日のひと時でした。

終わり 

 


僕の誕生祝は「平成の最後」か「令和の始まり」か

2019-05-01 20:27:44 | エッセイ

  

 私の記念すべき85歳の誕生の祝いは、夫婦ふたりで静かな処で祝杯を上げたいと1年程以前よりかねがね思っていた。仰々しく聞こえるが、家の近くの処でないものかと考えたに過ぎない。

 幸いなことに、住んでいる街の美味しい食べ処を取材した本が本屋に店頭で販売している。早速、電話をしてみた。 もう既に予約で満席とのこと。 何でも、土日、祝日のみで、しかも昼食、更にコースのみとのことには、些か驚いた。 でも、予約をした。 予約は平成最後を迎える土曜日の27日と決まった。・・と思ったら、キャンセルせねばならず・・・。再度5/1日に確保。だが、平成から令和に暦が変わってしまった。 

12:10に妻の運転で向かった。 20分足らずで到着した。「Bistro・・・」と看板に・・。 フランス料理店である。静かな落ち着いた雰囲気の店だ。 運ばれてきた。盛り付け、味付け「旨い!美味しい!文句なし!」と妻と開拓成功と眼でサインを送った。 

 降り出した雨の中を家に戻った。駐車所に覆いかぶさるように15mにわたり山藤の紫色の花と新緑の葉が雨に濡れてより際立って美しく見えた。、

 新しい日本の歩みを祈念し、自室に戻った。

終り    (夜になると目が悪くなり良く字が見えず誤字乱文お許し乞う。写真を貼付する予定でしたが残念ながら取りやめにします。)、