気ままな旅


自分好みの歩みと共に・・

孫17歳の冒険 旅の始まり

2016-06-30 20:32:17 | エッセイ

 いま、机の前にあるカレンダーの7月の暦を見ている。 もう、15日を切った。      この夏は、はらはらする夏を迎えることになりそうだ。 17歳になる孫息子がひとり昨年の夏に続き来日することになった。 

 昨年は爺とふたりで先祖の墓参りに行った。 途中の乗り換えJR駅で爺だけ乗せてドアが閉まるアクシデントがあった。 だが爺がいて、何とか無事10分後には会え胸をなでおろせた。 切符は渡しておいたものの、知識は行き先も交通機関も全く知らない。 

 この夏が試練の本番だと厳しく突き放すのだと母親の娘が言う。 爺の手出しは厳禁と厳しく言い渡された。 

 そうは言うものの、車社会に育った脚の弱さ、日本の地理不案内、日本の生活経験不足、漢字も漢検を受験してると言え勉強中だ、日常会話だけは何とかなると言えるが~・・。 だから、心配でならない。 そ~うと、尾行するにも爺にはもう、その体力はない。 運を天にまかすしかない。 

 でも、昨夏は突然に玄関ドアを開けて「ぼくです・・」と、言って爺婆を驚かしたではないか。 初体験するには余りにも高いハードルだった気がする。 去年だからまだ、16歳だよ。 アテンダントそして空港アシストの親切な助けがあったのではないかと疑う・・・。(実態は更に、爺の家の近くで夜になり目印が見当たらなくて彷徨ったそうだ。・・一時はパニクった。どう~しよう・・) 

 そりゃそうだ。

 今夏もSF国際空港で17歳の身で自国とは言え自分自身で手続きを済ませての出国、日本は帰省で慣れてるとは言え今度はひとりでの身体検査、搭乗口へゲートナンバーを探しての移動。 ここで始めて機内に搭乗する。  

 これだけでも緊張するよ。 

 機内では日本入国の「税務申告」の用紙記入、成田空港到着口への移動、入管の入国手続き、預けた荷物のピックアップ、「税務申告」を済ませ、これで成田国際空港のロビーにやっとでれる。

 ここでは、まだホットできないのだ。ここは異国なのだ。

 異国でのリムジンバスのチケット購入をする。それから2時間5分かけてのバス乗車がある。

 もうあと一歩だ。

 タクシーに乗り換え、行く先を告げる。昨夏の反省込めて間違えなく爺婆の家の前にタクシーを案内し降り、荷物を受け取り玄関のドアーを開けて「ぼくです・・」と、言えば・・

ここで無事到着である。 朝の7時に自宅を車で出発し、変更線を越え翌日の夕刻に爺婆の家に辿りつける「冒険の旅」の完成絵巻である。

 大変な工程の数々だ。相談相手もいないひとりだぜ・・。 日本語が話せるとは言え異国には違いはない。 あっぱれな孫だと思うよ。

 「冒険の旅」はこれで終わったのでない。 この夏の本番はこれからなのだ。「え~・・」 

 何と、「ご来光を拝む富士登山」ツアーに、更に、戦国時代の「松本城」の登城。そして、鎌倉の「円覚寺で座禅を組み、写経」をひとりで参加するとは驚きだ。 これを完遂するには交通機関を駆使せねばならない。だが、ひとりでできるのか爺は心配だ。    「そ~と教えよう」違反ではない筈。

 まだ来日せぬ孫の「冒険の旅」の爺の落ち着きのない有様です。爺の頭の中の孫は母親の緊急入院、緊急米国への帰国で、ひとり日本に残された時の幼い可愛い盛りの孫のイメージでしかない。

 

173cmを超える背丈に育っても、あの時の幼子のままの孫息子の姿でしかない。

「獅子の子落とし」のたとへが脳裏を蘇った一夜でした。 

終わり

  


見たこともない生家が現存していた

2016-06-27 11:55:11 | エッセイ

 友人に誕生日祝いのメセージを送った夜、フォー・セインツの「小さな日記」「希望」をイヤーフォンで聴いていた。娘がまだ幼い頃、妻の実家からの帰る暗い道すがら、走る車の中で娘の将来を祈願し「希望」を合唱していたことを思い起こしていた。

 産声を上げた病院でのことや命名の経緯などを記録に残していた。 娘に書き残しておいてやろうと思って・・・。

 自分自身のことはあまり知らない。 日本海に面した地に昭和の一桁の時代に生を受けた。戦時戦後を潜り抜けたこともあり、少ない。 そんな時に、亡き父が元気な頃に懐かしいこの地を訪ね、共に仕事をした部下から住んでいた社宅が現存されている話を聞かされ半世紀以上にもなる社宅に驚きと郷愁を強く感じたそうです。

 当時は、病院でなく自宅で産婆の手でお世話になった時代であった。 と、すると、私がこの世に生をうけた生家である。 手元に残る一枚の写真を見つめた。 

 よく戦火の中を朽ち果てるでなく現存していたとは驚きだ。 だが、あれから父も亡くなり年月は過ぎた。 一度も訪ねたこともないこの地を想像をし、何かに代わっていることと思いたい。時は休みなく動いているのですね。

終わり


Alcoholの弱い男に旨いと言わせたBourbon(後編)

2016-06-14 16:17:14 | 小さな旅日記

 少々荒らしくきつい「男の酒」!  バーボンと言います。

 ケンタッキーがバーボン・ウイスキー誕生の地である大きな理由が、この良質のライムスートン・ウオーターにある。

鉄分が含まれた水を使うと仕上がりが黒くなってしまう。その点石灰岩を通ってきた水は鉄分がない。

1.Wild Turky 12  KY州の北部の町ローレンスバーグにある。他のバーボンーメーカーと違ってトウモロコシの分量が少ないのが特徴。蛇足ですが、野生の七面鳥は住宅地に雛を連れて早朝に訪れる。 

2.Booker's     ジム・ビーム社の4種類の一つ。製法に差がある。

3.Blanton's     シングル・バレルでつくられた最高のバーボン。ケンタッキーの象徴ダービーが栓の上に冠してる。

4.Gentleman Jack Daniel's   テネシー・プライドの・・・バーボンでないテネシー・ウイスキーである。 バーボンと大きく違うのは製造過程である。

5.Woods Stock       素朴な木肌でボトルを梱包してる。飲み干したボトルはどこかにいってしまった。

6.Maker's Mark Gold        わたしの名入りの特注品。市販していない。このデイステラリーはヒストリック・ランドマークに指定されている。

7.Woodfoard Reserve         スモールバッチ(少量生産)バーボンの分類になる。ケンターキーダービーのオフイシャルバーボンである。

 仲間と共に試飲する大事なバーボンは後生大事にショルーダ・バックに入れて機内持ち込みで成田空港で始めて宅急便に預けた。 会社人生に幕を下ろした面々、日時は自由だ。 時には生涯学習の帰路に寄るなど飲む機会はいくらでもつくれた。

 苦労したのはバーボンの持ち込みが許されないと乾杯できないことになる。そこは話上手な先輩がいた。予め打診をしておく。当日は「マスターも一杯、日本ではまだ当分飲めないですよ~」と抱き込んだこともあった。その語りあった先輩もいない。残った者も身体の不具合がでて、いつしか中断してしまった。 

 再開を期待するものの、運び屋の私が渡航にドクター・ストップがかかる始末。 そして、近くに酒の安売り店ができ日本でも安く、何でも手に入る時代になった。 世の中はうまくできているものだと知った。 

  世界には五大ウイスキーがあるという。 アイリッシュ、スコッチ、カナデイアン、ジャパニーズそして、バーボンだと言う見方だそうだ。 本来は、バーボンと言わずアメリカンウイスキと言い、その中にバーボンとテネシーがあると言う。 

 テネシイ・ウイスキーを仕事が終えられた後に飲む一杯のストレートは疲れを癒す何物でもない。と言われるテネシー・ウイスキーを愛好する方に「テネシー・プライド」のジャク・ダニエルにジェントルマン・ジャックと言う銘柄があります。仲間のひとりが「これは抜群に旨い!」と、唸りました。私でなく、酒飲みの重いひと言です。 

終わり    


Alcoholの弱い男に旨いと言わせたBourbon(前編)

2016-06-13 13:13:58 | エッセイ

 アルコールは弱くもないが強いほうでなく、むしろ弱い。可笑しな言い回しだ。 スコッチウイスキーは薬と言う味覚である。 ここで面白い話がある。 このスコッチの樽はバーボンの蒸留に使用した樽を輸入しているそうだ。 脱線したがアルコールは積極的に飲む方でなく、その場の雰囲気を味わいたいほうだ。 

 そんな私が最初にバーボンウィスキーに巡り会ったのは単身赴任した最後の職場茨城だった。 土浦そして、つくば学園にボトルをホテルのバーにキープしたのは、言われるままに「I.W.Harper」であり「Wild Turkey8」であった。

 つくばの夜空にライトアップされたロケットが見えるホテルの最上階のバーで友と語り合っていた。 バーボンのオンザロックを片手に・・・。 こんな素晴らしい雰囲気を味わいながら・・酔いを楽しんだ。と独身の強み。

 米国に留学し、そして、オハイオ州立大学を卒業し、さらに結婚し17歳と14歳の子を授かりサンフランシスコに住む娘がいる。

 それが縁で孫の顔を見たさに、ふたり揃って誕生月の3月には毎年忘れもせずに海を渡っていた。 そんな折に、私の名入りのバーボンウィスキーを贈呈されたのが興味を抱かせた。この伏せんになったのは単身赴任時代に、東 理夫著「ケンタッキー・バーボン紀行」を読み遠い昔に受け身の知識を深めた。再読しなくては・・・。  

 何ごとも忘れやすくなっていて、これも思いだせない。 要は酒の安売り大型店の店名である。 街の中心にあっても体育館並みの広さをもつ倉庫形店舗である。 娘の住む自宅の転居に合わせてこの店を探した。安いからだ。 バーボンだけでも広い棚のスペースだ。

 どうせ買うなら日本に上陸してない高級バーボンにしようと、たとだとしい英語で聞いてみた。連れていかれたところは棚でなく、鍵の掛かったショーケースに案内されケースを開けてくれた。 高級品と言う丁寧な扱いと、盗難防止の為だろうと推察した。 米国の一般家庭ではそう高いバーボンは日頃は飲まないそうだ。ケンターキの地元ではBooker'sが人気があるようだ。

 運び屋として運んだバーボンの種類はこれだけだと思う。

終わり    (後編は明日に・・)

 

 

 


わたしの名前で出ています

2016-06-10 11:19:40 | エッセイ

 どこかで聴いたフレーズだ。

 わたしの名前の[ooooooo Kentucky Bourbon Whiskey]があるのです。

 あの瓶の口もとを飾る黒い封蝋と昔からの赤く飾る封蝋で有名なデイステラリの「Maker's Mark」である。 

 吾輩の「わたしの名前」のバーボンの瓶の口もとを飾る封蝋のカラーは特別なゴールドである。 そして、瓶の形も荘厳としたガラスの厚い大きな瓶である。と、大いに格が違うのである。 中身は当初アルコール度が45% だが、いまは42%になっているようだ。 世界でたったOnly One !     わたしの名前のバーボンである。

 酒飲みでない小生でも、オン・ザ・ロックで飲むバーボンは香りが良く旨いと思う。

 我が家にも1本しかない。 厳密に言うと半分以下である と言うのは、昔の仲間と会食の折にの差し入れとして計画を練っていたが,体調ままならず、バーボンのみ参加し試飲をして貰ったからである。 すこぶる好評!

 封蝋について説明をしよう。

バーボンの瓶を一本一本、手に取って大鍋のなかの溶けたワックスにつけていく。 その垂れ具合によって、誰がつけたものか分かるという。

 

 ところで、このことを知っているかな~と、問たい。

バーボンと言う名はケンタッキー州のバーボン港から出荷されているのでケンタッキーバーボンウイスキーと言う。 しかし、バーボンを蒸留するのに適した同じ地質を持つ隣りのテネシー州でもウイスキーは造られている。 しかし、この州のバーボンは「テネシーウィスキー」と言う。 と言う訳だ。 バーボンとは言わないのだ。分かったかな!!

 次回は当時まだ輸入されていない高級品のみ毎年バーボンを買ってきては、仲間と試飲を繰り返し楽しんだ話を記述してみようと思う。何種類になるのかな?楽しみだ。

終わり