気ままな旅


自分好みの歩みと共に・・

昔の「一行日記」から想い出が蘇るか    10

2015-12-26 00:14:52 | 日記

  雨戸を開けると寒椿が花を咲かせていた。                    ふと、庭を見て、手入れが行き届かないままに年を越すことになるのかなと思った。       年老いた夫婦だけになり体力的に厳しくなってきたようだ。           目を瞑るかと思った。

その点、このPCは座ったままで楽しめるおとなの遊び道具だ。でも、腰と目が疲れる。 エコノミ症候群になりそうなので気をつけねばとも思う。

「一行日記」の4冊目に目を通した。会社人生の終わり頃の想い出が記載されている。

何処まで想い出が蘇るのか楽しみだ。

No.37 H10/07/07  久慈浜郵便局 「××社員による「お疲れさま会」を開いてくれた。日立港、久慈浜、そして豊かな家並み。静かだ!」と記してある。

会社の自室にいると、ノックされ車に乗せられ県北に高速で向かった。13年間共に苦労した社員が・・。何よりもうれしい!! 初めて観る県北の風景。忘れないように・・。ご苦労かけた。ありがとう! 会社再建を果たし、4年連続の栄誉を受賞したのは君らの力こそ故・・。誇れ!

No.38 H10/07/10 石和郵便局 「笛吹童子を想い起す笛吹川の鴨飼橋際の「うかい」にて後輩社長連による「ご苦労会」をして呉れた。この場で先輩の訃報を知る」と記してある。

北関東各地から集まってくれた後輩に感謝!ありがとう。徐々に仕事が離れて往く・・・。そして無縁に。正反対の道を歩きたい。第二と言う人生を・・。

この席上にI先輩の訃報の知らせが入る。黙祷。

 N0.39 H10/09 千代田下稲吉郵便局 「作日、横浜ベイスターズ優勝!幼き日の北京にあす出発。日航ホテルに前泊」と記してある。

待望の北京への個人旅行。この地で単身赴任生活を貫き通したことへのご褒美だ。幼き日に通った国民学校そして自宅は区画整理で見つからなかったが、同じ匂いがする胡同を見つけ満足。

このH27年終戦記念日に、この北京時代を自分史に纏め本にした。

No.40 H10/11/20 岳温泉郵便局 「「千恵子の見た空は青かった」同期会に全員が顔を揃えた。静かなこじんまりとした宿街」と記してある。

No.41 H10/11/24  岳温泉郵便局 「光太郎「樹下の二人」の丘から山と川を観た。万古焼きを四皿買い求めた。満足。」と手違いで二列になったと記された。

何をしてるのかと訝れ、説明をし称賛してくれた同期の友。千恵子記念館には絵の展示もされたことを初めて知る。ここは鮟鱇会の時にも寄った旅先でもある。どうも数回も来ているので混乱している。鮟鱇会はこのときでなく完全に自由の身になってからだ。余り回数が多いと想い出が浅く離散するようだ。

No.42 H11/02/18  北浦湖郵便局 「出島郷土資料館で歴史と湖を眺望。平野が続くのどかなの一言。北浦湖は静かだ。白梅が咲いていた」と記してある。

この湖に架かる北浦の橋は素朴で壊れそうな木造の橋。途中ですれ違う。心配だ。大橋とは別の橋なのか。どうもわからん。霞ヶ浦(西浦)とは別にあるとは知らない人は多い。航空写真にはある。もう直ぐ潮来だ。♪潮来出島のお月さま~・・。野口雨情作詞「船頭小唄」が心に沁みる。A先輩が好んで歌っていたのが懐かしい。

No.43  H11/02/18  桜竹園郵便局 「筑波宇宙センターを訪ねる。桜が咲き誇りすばらしい。農林省の桜と菜の花畑をも観た。つくばの街中が桜満開」と記してあった

宇宙センターの夜桜は赴任先の仮寓の窓から好ポジション。これが最後の見納めと思ったことが懐かしい。もう一度住んでみたい街だ。

 次回は米国の東海岸にある「ケネデイ宇宙開発センター」を想い起したので紹介したいと思う。

終わり