東海道新幹線に始まり首都高速、東名高速に湧いた東京オリンピックの高揚が収まり始めた昭和40年、銀座8丁目の隣合わせと言うか、新橋1丁目で銀座の隣り合わせと言うか銀座通りの直ぐ傍に勤務先の本社があった頃の話です。 それは、新本社が竣工するまでの限られた短い期間でした。
丸の内界隈の大手町から銀座界隈で仕事ができるチャンスはまたとない。
ふと、いつもの好奇心の虫が蠢いた。
遠い昔の何かに触れれるかも知れない期待感。幸いにも社員食堂が一時的になくなった。 昼飯処を探して見ようと昼休みをターゲットに絞った。
銀座の表通りでなく、細い横丁に入り小さな粋な食事処を探し食味して歩くところに魅力がある。まず、8丁目から4丁目までの横丁を一本残らず、ビルとビルとの境が、すれ違いも肩身を避ける程の巾2メートルにも満ない程の細い路地にも足を入れ、暖簾を見つけては引き戸を開けた。二度とは行かない。
夜になるとバーになるカウンターしかない寂しい店もあれば、若造の身分では夜には入れない高級小料理店の昼定食。ひらめの煮つけ、七輪での焼き魚定食など美味しい味を求めて4丁目の交差点まで歩いた。1年程の月日を掛けたが数が多く歩けなかった。
この面白い噂を聞きつけた仲間も加わり雨の日も歩いた。 宣伝部には面白い発想をする変わり者がいるのかも知れない。 とは言うが、こんな事を考える首謀者は私と亡くなった盟友先輩しかいない。
鯵の焼き魚、とろろ、卵、海苔、お新香、みそ汁ご飯で130円。銀座でも世間並みの価格だった。 高級小料理店では流石に180円と高かった。 ラーメンが50円の時代。
飯処の余禄に、銀座の知られざる発掘もあった。 明治の香りを残す赤煉瓦道、和光の裏に有名なドイツ菓子店の発祥地が・・・。 銀座に新橋芸妓が通てた銭湯の「金春湯」があるのを知る人は少ない。まだ、あるのか・・。
その後、これが切っ掛けでターゲットを広げ神出鬼没に六本木、芝、赤坂などにも出没。 ギターラ、ボルガ、洋酒一族などを開拓。 昔が懐かしい。
我が家で独り昼食を食味しながら、ふと~、想い起こした昔の昼飯の記憶でした。 もう一度、横丁を覗いて見たいが無理と思うこの頃です。
幾らかな~。 1000円かな・・。
終わり