気ままな旅


自分好みの歩みと共に・・

「鳥眼」にならない鳥もいるのかな!

2016-10-30 08:52:35 | エッセイ

 そろそろ我が家の次郎柿の収穫時期到来かと庭にでて上を見上げた。 毎年11月20日頃である。 出来るだけ、枝に吊るして熟させての収獲である。 この甘さに褒めてくださった方もいる自慢の柿である。

 次郎柿はスーパーには売っていないものと聞かされていた。 だが、今日、通院の帰り駅のスーパーでL判1個が¥98で売っていた。傍らに、試食があり一度もと言っていいくらいしたことのない試食に手をだして爪楊枝で口に入れてみた。 まずくはないが美味でない味覚だ。 色は黄色で表面には傷ひとつない立派な次郎柿だ。 一方、我が家のは色は赤色で表面には傷は勲章の様にある。 大きさはやや小振りかな。味覚は違う。我が家のが抜群に旨い。 だが、待てよ、本来柿とは甘味の薄い果実なのかと思った。 それとも、数日寝かして食味するのかも知れない。

 昨晩、床に就いた夜中の一時頃、にわかに鳥の喧噪な騒ぎに寝付かれなかった。熟してきた柿を毎年我が家より先に食い散らかしに飛来してくる。この鳥の声で収獲時期到来を知る。 でも、可笑しいな!街路灯の灯りが届かない暗い庭の柿の木の実をしかも熟した実を選ぶとは「鳥眼」とは嘘なのだと思ってしまう。

その証拠に、翌朝、庭に熟した柿の実の残骸が落ちている。

この頃、ブログの字も、新聞の字も、霞がかかり読みにくくなってきた。     こちらほうがむしろ「鳥眼」になってきたようだ。

終わり     


懐かしい昭和30年代はこんな時代でした

2016-10-27 12:34:36 | エッセイ

 そろそろ中秋の終わりを告げ、狭い庭に枯れ葉が手つかずに積もっている。枯れ切って軽くなったら刈り集めるか…。ふと、その上を観れば、我が家で唯一生き残った次郎柿がいい色に熟している。これは息子の出番だ。

   この柿を食味するせいか老夫婦ふたりは幸いにも風邪しらずだ。息子を呼ぶにも熟度を味見せねばと、高枝ばさみを物置からだすはいいが、いやに重く感じるようになった。落とした1個が枯れ葉の中に転がり行方不明に・・。やっと採った1個も今いち未熟だ。もう少し先に呼ぶか・・とひとり言。

 blogの情報に限界がでてきた。 ふと、思った。 blog事務局から1年前のblogに・・・とメールがきていた。 もういち度、想い出を思い起こし加筆してみようと思う気になった。最初に投稿したblogは次の原稿でした。 これで174blog目である。

「都電の中で「即興詩人」に出会う」(2015/1 投稿)

初めての投稿です。
手始めに短文を投稿してみることにした。


昭和30年半ばを過ぎた頃、ある夏の季節だったと思う。

当時、何かの仕事があったのであろう珍しく会社近くの大手町から都電に乗った。
 中は立っている人が多く、人いきれで蒸し暑かった。
 時折、涼しい風が窓から吹き込んでくれた。
 電車は皇居の堀端沿いを走り、日比谷公園にさしかかろうとした時、突然ひと込みから
朗々とした張りのある男の声が聴こえてきた。

   白鳥や 悲しからずや 羽根もがれ お濠彷徨う

一瞬、張り詰めた空気が流れ息を潜めた。
そして、声を殺した低い笑が車内に木霊した。

どんな人が詠んだのかと思い眼で探した。
白いワイシャツ姿に肩から文字が書かれた「たすき」をしていた。

掘端を観ると、数羽の白鳥が見えた。

ふと、亡き父から聞いていた中学時代の友人であることが直ぐに気がついた。
そんなこともあり、親しみを覚えると共に人間のエゴにも共感した。

半世紀近くも時が過ぎ、いまだに、この即興詩文を忘れていない。

 まだ、入社して数年しか経っていない頃の話です。 当時、東洋一と言われた全長200mの大手町ビルの5階にいた。地下の社員食堂で長いベルトコンベアーに載ってくる昼食をチケット2枚(60円)で食べていた。よそ見をしていると昼飯は遠くに・・・。しかも数百人もの雑踏の中で・・・。でも、土曜日は3枚(90円)に+10円と加算して社員食堂でない席に座りポークカツを食べるのが楽しみ。不足のチケット1枚は出張があると余るのだ。だから、出張バンザイ!長さ200mもある昼休みの屋上は若い男女でにぎわっていた。こんな丸の内・大手町オフイス街に「焼きいもや」が声をからしてビル街の間を売り歩いていたの覚えている。平和で長閑だった。

 この時代はラーメンが30~40円そして珈琲も同じ価格。それから数年が過ぎて有名な銀座の美人喫茶店が280円(一般:150円)と高かった。サラリーマンの月給が10000円~。自家用車は課長さんにならないと夢の夢と言われていた。

 東京から名古屋に出張が多かった。だが、夜行列車には参った。若造は昼間の移動は認めらない。静岡に行くのはもっと悲惨だ。今は岡山でも日帰りだ。

 昭和30年代は、遠く、懐かしく、夢のような良き時代で、まだ何もかもゆっくりと動いている時に都電の中で味わった爽やかな、しかも少しばかり考えさせられた人生の一幕でした。

終わり
 


何処かで聴いたことがある歌だ

2016-10-21 00:05:32 | エッセイ

 今晩も二階の自室から階段の手すりに掴まり足元をしっかりと見つめながら降りていった。 

 食卓について二人だけの夕食が始まった。                  昨今、夫婦の会話がないと言われている。我が家は意識はしていないが、そんなことはない。 妻は必ず自分の仕事の話をする。私が分かるから話をしてくるのである。 妻が人生の生きがいとして取り組んでいる仕事を始めてから43年にもなる。 全てに関わり応援してきたからである。 ふたりの子どもたちもこの輪の中で育った。 妻の話を聞き終わると二階の自室に戻り、各々何かに取り組んで過ごす日常である。   

 今晩も、PCからイヤホーンで古い懐かしい曲を聴いていた。選択しないと、時折自動で歌が変わる。 そのなかで、聞いたこともない曲の題名だが、身体が何故か反応している。 題名を見ても聴いた覚えもないが、題名から推測しても自分好みではない。歌詞を読んでみた。でも分からない。 歌詞に関連した地で聴いたことはないか、何時しかくだらない犯人探しになっていた。むしろ、時間潰しにもなり、この方が面白くなってきた。歌詞には「マロニエ」「外人部隊」「白い服」「赤い風車」「シャンゼリゼ」」「石畳」などフランスに繋がるフレーズが多いような気がした。 

 遠い昔、フランスに仕事で行った時に鍵があると的を絞った。         やはり、そのようだ。間違いはない。あの時、偶然にも商品に搭載された音楽テープを見つけ、何が録音されているのかと訝りスイッチ・オンをしたところ日本の歌謡曲が流れ、日本語に飢えていた折だけに終日流して聴いていたことを想い出した。 

 恐ろしいものだ。その時だけ2週間ほど聞き流していて歌詞を見たわけでもないのに記憶されているとは~。 リズムが伴っていたからかも知れない。 言葉も完全音の優れた人が語学の修得が速いと言われている。 

 暇でもないのに、犯人探しに乾ききった脳みそを絞って遊ぶとは、やはり暇なのかも知れない。 

 歌の題名は「カスバの女」とあった。もう45年にもなるので誤認逮捕ではないかと不安ではある。

 この頃、手足の動きが鈍り行動範囲も狭まり、そこに脳の回転も遅くなり、残るは何故か消えない昔の何の役にも立たない想い出ばかりを~。ただ字数を増やすのみのブログでは、はた迷惑なり。

老兵はただ消え去るのみ・・・か。

終わり 

終わり


嬉しい心遣いをして呉れたオーナーシェフが・・

2016-10-16 00:24:04 | エッセイ

 毎週土曜日の夜を迎えると、妻と二人して観るテレビ番組がある。

今晩も、いつもの通り自室から降りて自分専用の椅子に座りスイッチを押した。    「世界不思議発見」である。今晩はスペインの美味しい店の探訪だった。

 この時、ふと、30年も昔に時折、行って親切にされたことのある「素敵な地中海料理店」を想い出した。その店は神宮の表参道の大通りから一本中に入ったところに・・・。「ある」と言うべきか「あった」と言うべきか今は知らない。何故なら30年も行っていない。 

 店はビルの地下1階にあるが地下が地中に隠れていない。 穴底と言うか、空が見えると言うことだ。 路地から階段を降りるとテラスに、いくつかの椅子とテーブルがあり、そこに入口がある。路地上から入口が見下ろせるようになっている。店内はこじんまりとした落ち着いた雰囲気を醸し出していた。

 ここのシェフはオーナーで何故か無理を聴いてくれた。 それはアルコールを嗜むのに種類を食べたい。セットは取らずシェアーをしていた。 例えば一皿に海老が2本で人数が3人の場合には海老を3本にして貰っていた。 マナー違反は承知の上で頼める間柄になった。 それが縁で友人や接待などで行くと,どこで見てるのかオーナーは気づくとメニューにない一品をマスターにそうと届けさせる心遣いをして呉れた。 帰り際に厨房に「ありがとう。美味しかった」と声を掛けて帰った。

 薄れゆくオーナーの顔・・・。素敵な店構え・・。嬉しいかった心遣い・・。ここにきて、やっと店の名前を想い出した。

遠い懐かしい響きが「ビストロ・イエール」・・。

感謝! 重ねてお礼を・・「ありがとう!」

終わり

  


雨よ!止んで呉れ!

2016-10-08 15:54:18 | エッセイ

  きょうも雨。 雨が降らない日を忘れたかのようだ。 雨が降れば湿度が上がる。 もう、10数年も前にもなるか、歳相応の腰の痛みを抱えていた。ところが、孫の誕生日祝いに訪れる娘家族の住むSFのベイエリアは乾季のせいもあり湿度がない。 そのせいか分からないが、腰の痛みが一切なくなるから不思議だ。雨よ!止んで呉れ!

 この頃、食事をすると疲れる。 抵抗せずに直ぐに朝寝に始まり昼寝そして夜寝とすると休養を抵抗せずに取り入れるのか身体全体の調子がすこぶる良い。 目を開けている時間が少なくなるので如何なものかと思う。 

 こんな、何の足しにもならぬことを寝起きに考えているところです。 午後の2時半に時計の針は指している。

 2015年2月にはブログに何を投稿したのかな~と遡ってみた。  

27日   45年も昔もハワイに針を戻す

24日   早朝の来訪者  鹿の夫婦 ワイルドターキーの親子連れ

22日   戦禍の祖国  1

21日   おじいちゃんのアメリカの面白見聞記

20日   おじいちゃの面白見聞記 OSU大卒業式後のよもやま話

19日   異文化を知る モーニング姿とProductionBabyに名前が

17日   星条旗を常に掲揚している家がある

16日   スペインの旅で「一枚の絵」を求めて ひとり旅

13日   アメリカひとり旅 気ままな旅の始まり 3

11日       2

2日        1

こんなに投稿したのか~。右手の筋力も、眼の視力もあったのだな。 この一年で大分かわってきたなと感じたこの頃でした。

終わり