気ままな旅


自分好みの歩みと共に・・

古い日記で想い出を再現・・・

2015-12-01 15:29:53 | 小さな旅日記

  歩行が厳しくなってからは余り外出はしなくなった。blogに投稿したい新しい出来事に触れる機会がグ~と減った。幸いにして「年賀一年日記」と「一行旅日記」そして「海外旅日記」と自分の歩みを後年想い起こせるようにと記録してある。

 そこで新しい出来事に代わり「一行旅日記」を再現してみようと思う。

「一行旅日記」とは、歩いた地の想い出を「郵政省 定額郵便貯金証書」の空白のところに一行に書き刻んだものである。何故、郵貯なのか。それは訪れた地名が刻印されるからである。このことは2015/1/30-blogに投稿している。幅15cmの白地に書き込んだ20~40文字から期待通りに想い起こせるか・・・。始まりは、もう33年も昔のことである。心配だ。

 

 04/10/15 「第二の人生 5年目だ。記念として、この土浦よりstartする」と記してある。単身赴任先の土浦で始まり郵便局は土浦郵便本局からである。国道4号線沿いにあった筈だが記憶が薄い。残念。

 04/10/21    笠間大町郵便局「笠間日動美術館の帰り、そばを食べて聞いた。笠間稲荷の前」と記してある。この美術館で想いもかけず新制作の石川滋彦画伯の油彩「操車場」に遭遇し感激して先生に手紙を書く。「探していた。知らなかった。ありがとう」と絵葉書で返信を頂く。日本の画家50人の一人に選ばれた先生の使用済みのパレットも鑑賞。学生時代に知っていたものの美術館でみると新鮮さが違う。3大稲荷の笠間稲荷を見て門前で食べた蕎麦も旨い。

 04/10/27   志賀高原郵便局(蓮池) 「草津での支部会の帰路、白根経由にて紅葉の志賀を見た。学生時代の蓮池の近くのPOも懐かしい」と記してある。     美術部に在籍していた私は毎夏ここ志賀高原丸池で合宿をしていた。蓮池、木戸池、三角池、琵琶池など。青春の想い出は最後の晩、星空の下で先生の弾くアコーデイオンの調べで70余部員によるフォークダンス。などが33年振りに蘇った。ここ山の郵便局に車で送ってくれた長野のA社長に感謝。    

 05/06/17  志賀高原郵便局 「支部会の前日、志賀高原ホテルに泊り昔歩いた山道を2時間程歩いた。山道が舗装され昔日のおもかげが薄い。」と記してある。  幸運にも8か月後に再度、訪れる機会に恵まれた。新緑に燃える山道を学生時代にキャンバスを手に歩いた同じ山道をワイシャツ姿でしかも革靴を履いた格好で三角池まで歩いた。誰一人会わなかった。ホテルも泊まり客がいないのか、特別のメニューを用意してくれた。卒業後2年後に、美術部仲間で6人、車2台で訪れたことも蘇った。青春の想い出は永遠に忘れ去られることはない。        

 06/04/22     京都中央郵便局 「岡崎の帰りに立ち寄った。〝甘糖の 素通り出来ぬ 二年坂” ”そのうち そのうち 日が暮れる 今きたこの道 かえれるか”  (清水寺の近くで)と記してある。くずきりを食わせる店の木の塀に小さな木片に墨で書いた札が貼ってあった。誰も読みそうもない10cm程の小さな木片でしかも無造作なところのに・・。でも、私は興味を惹かれ、暑さもありこの店でくずきりを食味した。背広姿で歩くには余りにも暑かった。     

 

19/05/09まで、日記は続いている。

第一篇の終わり