気ままな旅


自分好みの歩みと共に・・

 徒然のままに・・・筆を走らすひととき

2016-03-27 20:43:45 | エッセイ

  自室の2階の窓から狭い庭を眺めていた。狭い庭も上から眺めると見えなかった処も見えるのか「ほう~わりかし広く見えるものだ~と・・」意味のないことを思っていた。

 それより、柿の枯れ葉が狭い庭を占領してる。暖かくなったら、かき集めてゴミ処理にしようと思っているが、雑草がこの時とばかり生えて泣くことになりそうだと・・・止めとくか、このままに~と怠けたことを考えている。

 机の上に夜中に書棚を整理していた自分史の製本「歩んだ道」の原本になった原稿がそののままに開いておいてあった。随分、原本に比べて製本にしたのは可なり圧縮してるとな思った。いま、bogを初めて15か月にもなる。月ごとに投稿原稿を印刷をして記録の整理を始めた。blogとは文章の投稿だと思っていた。写真あり、レイアウトも考えている投稿もありと勉強になった。その方が興味が涌く。

 或る脳神経外科院長から私のMRIの写真を見ながら「何を日頃してます・・?」と聞いてきた。このblogの話をすると、自分史のような想い出を絞り出し、しかも文章に纏めるという作業は最高の脳の訓練ですよ。「脳は60歳台の時と変わっていませんよ」人より危ない脳保持者ゆえ・・油断大敵ならじとばかり励んでいる。

 そして、その気になり小説家になったつもりで、短い短い小説も記述してみた。脳の老化が追いかけて来る。逃げ切れるかは本人の本来の資質いかんと言われると何ごとも言わんで終わりだ。しかも、これまでやっていた家中の雑務が疎かになり・・地震が来たらどうなるのかと思う毎日です。

 怠け老人の戯け言です。

この辺で筆を止めねば・・・。

終わりにします。

 

 


ふと、想いだした「孫に昔話を直される」

2016-03-26 01:10:07 | 小さな旅日記

きょうは花見時の寒の戻りか、寒さを感じひざ掛けをして所在なげに指定席の机の椅子に腰を掛けた。

 眼の前の壁に架かっているカレンダーを見た。この3月で娘の孫ふたりがひとつ歳をとったと喜んだ。自分の歳も同じなのを忘れて・・。昨年の夏にひとりで来日した孫息子とふたりで先祖の墓所に詣でたことを想いだした。            今年の夏は受験を控え来日はない。 孫娘もない。               この3月で17歳と14歳のはずだ。 まだ、孫娘の方は期待できるとひとり空想をしていた。

 もう4年にもなるかな~と、或る日のことを想い起こした。

それは、ひとり旅行に行かず留守居に残った孫息子が可哀想なので、爺とふたりで何処か行こうか話がまとまり、ふたりで横浜に向かったことがあった。

 地下鉄に揺られふたりで他愛でもない話をしていた時、孫が

     「おじいちゃん 水族館しらない・・」と聞いてきた。

      「前にも行ったことのある江の島の海岸に大きなのがあるよ」

       「どうする。海水浴で混んでるかも・・」と、答えると

       「そこがいいよ」となって、藤沢に東海道線で行き無事に江の島駅に着いた。改札を抜けて駅前の広場で竜宮城を模した駅をみて、なぜ頭の回路がそこに繋がったかは不明だが「かぐや姫」の話をして昔話を教えた気で得意になった言い聞かせた。もう13歳になる孫が一言

        「それはかぐや姫で違うよ・・・」

それから逆に説明を聞く始末になった。確かに爺の間違い。でも、よく知っているのには驚いた。本好きで本屋と図書館があれば何時間でも静かにしている孫だ。

         「お昼だね。どこで何を食べる・・」                 「海だからおいしそうな店はないね」

と言いながら人の波に流され歩きだすと、

          「フランスレストランがあるよ」

と孫は言うが何もない。怪訝な顔であたりを見回した。

           「あそこ・・・右の細い道・・裏に」

よく見るとフランスの国旗がはためいていた。店かどうかを確かめに道にそれて人通り少ない路地裏に行ってみた。確かにあった。しかも素敵な店だ。味もよく満足をした。腹こしらえもでき水族館に入った。辺りは水着姿の人混みである。可笑しな爺と孫のふたり組だ。

      「おじいちゃん、ふたりで写真撮ってもらおう」

       「カメラはあるよ・・」

孫が指を差したのはプロの写真を・・。ふたりして並んで記念写真を撮った。

壁に、1000円と張り紙がしていた。

この写真がいまでも孫の部屋の壁に張り大事にしているのよと娘が教えてくれた。

もう、これからは無理かなと思うと寂しくなる。

アメリカ育ちの孫息子に昔話を訂正させられるとはお終いだねと婆と苦笑したこのを何故か急に思いだした。

終わり

終わり

 


自由日記にあった故兄の一文・・

2016-03-23 15:59:21 | エッセイ

 昨晩もイヤーフォンで古い昔の歌を聴いていた。

「穂高よさらば」「船頭小唄」「あざみの歌」「ハワイの夜」「月の砂漠」「雪山に消えた奴」「希望」など、この夜は兄の好きだった戦時下の歌「暁に祈る」を偶然に見つけ聴いた。この時、中国大陸から引き揚げてきて25歳の若さで亡くなった兄の日記を想いだし本棚を探した。

 病弱な兄は旧制中学の時に肋膜炎で一年休学をした。その身体で長兄として幼い二人の弟妹の面倒をみ、しかも小雨降る中を無蓋車に揺られ帰国を果たした。 それが身体を弱め腸閉塞、粟粒結核そして脳膜炎と病魔と戦い入退院の繰り返しの連続であった。そして、保土ヶ谷の結核療養所で人生の幕を下ろした。

 物理学者になるのが夢だった兄は大学に受験すらできず悔しかったと思う。 入院中のため大検資格すらなく、代わりに或る旧制の専門学校に入学をした。 卒業試験は校則で8割しか認めない追試験を退院後に臨むしかなかった。

 同校が新制大学に学制変更になり学校に残って欲しいと言われたが兄は断り自宅療養で病状の回復を待った。病状は回復せず結核療養所で亡くなった時ベッドの枕元に好きな物理学の本数冊があり兄の無念さが伝わった。

 兄らしい几帳面な楷書体で書かれた旺文社「自由日記」を解体する実家の地袋で見つけ仕舞っておいた。茶袋に随筆の処だけ破って入れてたので繋がりが不明だが・・。

こう書いてあった。(抜粋の一部)

心の成長の記録

 私は後二年経っても大学に入ることは出来ないであろう。しかし、私にとっては此の事は少しも悲しい事ではない。 いやそれどころかむしろ有難いとさえ思っている。こう言うとまことに怪しく聞こえる。

 私は中学時代をだらだらとトコロテン式に押しだされて来たに過ぎなかった。何ら思考することなく、時流の波に流されて月日を送ってきた。

しかし今の私は凡ゆることに悩んでいる。子供の教育(児童心理学)将来の事、修養等多々ある。具体的に言えば、如何にしたら自分の考えていることを、あるがままに表現し得るだろうかと、如何にしたら数学・物理・科学史・世界史の確実なる基礎を養い得るかと。

 此の様な悩みを幾分なりとも解決させるには、今が絶好の機会だと思う。大学に入ってしまえば専門科目の修得に忙しくて到底ゆっくりと基礎をこしらえることはできない。こう考えればさっき言った事は決して怪しく聞こえないであろう。

 元気な時は勉強が出来なくて随分苦しんだ。その為に「生きゆく道」を読んでも身につまされることを多く感じまことに修養するのに良い時機だと喜んだものだった。毎日の日記もその様な事で埋められていた。

 それが床に長く寝るようになってから、そうゆう悩みがなくなったため少しも考えるという事がないのに我ながら悲しかった。 しかし此のごろ、もし現在丈夫だったら多いに悩んだであろうが、それを解決することは難しかったろう。 病気した為にそれを解決する機会が与えられたと思うと私はなんてまあ恵まれた人間だと思わざるを得ない。 

 今の私はストップしているのではない。 過去の空白を埋め、明日への鋭気を養っているのだ。

                   (51・1・16「昭和26年」記)

 兄は僅かだがこの他にも、いくつかの文を書き残していた。この随筆は最初の頃のだと思う。そして、この文の9か月後に亡くなった。これを読むと無念でなく、前向きに生きようとした姿が読みとれた。この文を読むまで弟として、どんなに無念であったろうと思っていた。

 ひとつの歌から兄を思いだし、心の中も知った。供養にもなった。

終わり

 


この頃、深夜に昔の歌を聴いている。

2016-03-21 15:52:22 | 小さな旅日記

やっと!ブログの再開だ。

PCもやっと戻ってきた。同時に痛めた眼の保養に努めながらの休み休みの再開だ! 

   この頃と言うか昨秋の頃から、ひょんな機会で昔の古い歌をイヤホーンで聴くことを覚えた。聴きだしたら、2時間は静かにその世界に浸っている。  昨秋から年初にかけて聴いた歌詞が誘い水になり、短い短い短編に取り組んでみる気にになった。  

  昨晩、深夜にどこかで耳にした覚えがある歌に出会った。何処かで聴いていたはずだ。想い起こすと、45年も昔に長期出張でパリに訪れた時の事でした。それはオルリー国際空港に降り立って10日ほどが過ぎ去ろうとしていた頃に無性に日本食と日本のニュースに飢えてきたことでした。

 まず、日本食はオペラ座の近くの日本料理店「愛」で甘塩鮭、刺身、わらび、赤だしを食べるに食べた。ふと刺身皿を見ると紫蘇の葉らしき葉がまだ残っていた。意地汚く口にした。「なんだ・・」それはマロニエの葉で食べられたものではない。 店の人は気づいていない。同行したもので誰も口にしていない。恥ずかしい。

 一方、日本のニュースの方はそう簡単にはいかない。でも妙策を見つけた。それは仕事で訪れるオルリー国際空港で一日遅れの新聞を数日遅れで貰うことで解決をした。知らなくても日常にはさほど支障がないと思っていたニュースがこんなに目隠し耳塞ぎになり落ち着かないものだとは知らなかった。

 更に、二週間も過ぎると、心を満たしてくれたのは一本の視聴テープでした。視聴用なので一曲しかない。仕事中よくも飽きもせず同じ曲をかけていた。しかも知らない曲を・・。その忘れていた曲に深夜、偶然にめぐり逢えたのです。

 そして、仕事を終え帰国するオルリー国際空港で洋酒免税店に3歳になる娘にみやげに買った大きなフランス人形を置き忘れ、あわや一大事になるところでした。が、若い女店員が箱を高くかざしながら、必死に大きな声を上げて叫んで探してくれたお陰で助かったことも思い出しました。

想い出は他愛もないひょんなことが切っ掛けで回路に繋がるものですね。

瞼が下がり眼がかすみだてきた。限界のようだ。

終わり