初秋にひとりで旅にでた。
と、言っても17年前の現役を終える直前の話である。
永い旅でもなく、車の付いた小型スーツケースも機内持ち込みで気楽なものだった。 私は通路側の席、隣の2席にはまだ誰もきていない。 機内通路は搭乗する人込みでいつもながらの喧噪さだった。 窓からは鈍い陽ざしが申し訳けなさそうに射していた。 今朝から成田はどんよりとした鉛空で、旅行日和とは言えなかった。 天気予報だと午後から回復するとの予報でそれに期待をした。
私は早々とスリッパーに履き替え、先ほど空港ロビーで買い求めておいた単行本と老眼鏡を手元に備えた。 いつもの癖でひとり思考で、焦点のないうつろな眼差しをしていた時、
「すみません。そこの席ですので・・」と、言いながら無造作に背負ていたリュクサックを荷物棚入れに放り込むと、狭いシートの間に足を入れてきた。 私は無言で立ち上がり通り易くスペースを空けた。「ありがとうございます」と、言い窓際の席に座った。 差し込む鈍い光のシルエットで若い女性だと知った。
ひとり思考を邪魔されて老眼鏡をかけて単行本を読みだした。 騒めきの中での読書は落ち着かず、数ページで本を閉じてしまった。 窓際の彼女との間の席にはとうとう誰もこなかった。 彼女は先ほどから新聞を読んでいる。そろそろ、おしぼりと飲み物がでるが、昼間からワインと言う訳にもいかないかなと考えていた。 「飲めもしないのに格好つけて・・」との陰の声が聞こえてきた気がした。
「新聞いかがですか。 私が買ってきたものですので、どうぞ・、・。」
と、言って窓際の彼女から新聞を差し出された。 若い彼女の顔は窓から差し込む陽ざしが強くなり先程のシルエットより陰影が際立ち素敵にみえた。 娘と同じ位の歳かな。 すると、息子の嫁には無理だな。
「ありがとうございます」
と、言って新聞を手にした。 スポーツ紙だ。 いつもなら興味がなく読むところがないが、昨日、地元横浜のベイスターズが38年振りにリーグ優勝したので、読む記事があると思いホットした。 でないと、折角の好意に1~2分で返さななくてはならないと思った。 ゆっくり読んだつもりでも早く読み終えたようだ。
「ありがとうございました」
と、お礼を伝え、軽く会釈をして新聞を空席になっている彼女との間の席に置いた。
「いいえ」
と、軽く答え、先ほどの新聞を読み続けていた。
いつしか、機は離陸し平行飛行になりスチューワーデスが忙しく動き回り 落ち着く雰囲気でなくなった。 おしぼりが配られそして、飲み物になった。 何を飲もうかな。 ワゴンの動きが止まった。
「お飲物なにになさいますか」
と、まず彼女に声を掛け、そして私は考えが纏まらない内に声を掛けられたしまった。
「トマトジュースをください。氷を入れないで」
と、彼女は答えた。 私も
「トマトジュース」
と、食事でもないのに、機内のいつもの癖でトマトジュースが口につい出てしまった。 私は冷たいほうが好きなので氷を入れて貰った。 どうして、彼女と同じものになってしまったのかと思った。
先程より騒がしくなり食事が始まるようだ。 まず、飲物になった。 トマトジュースは飲んだし、子どもじみた果実ジュースでもない。 じゃ、ワインでもするかと思った。 ワゴン車の方に顔をを向けて言おうとした時
「(ワインの)赤をください」
と、彼女の声。 何で頼むんだよと、口の中でつぶやいた。 続いて、スチュワーデスの声に・・。
「いや、結構です」
と、心にもない声を出す羽目になってしまった。 何となく、2度も彼女と同じものを頼むには抵抗があった。 「気にしや~」と陰の声が聞こえてきた。「ワインは飲んでは駄目」とまた、陰の声が・・。 この時は現役を終える直前とは言え、まだ60台半ばだ。 体力には自信があった筈だ。
食事を終え、映し出されて飛行案内に眼を移した。 横文字で、後、行程時間が余り少ないのに驚いた。 そうだ、上海経由でなく、京城経由だから掛からないのだと、遅まきながら気がついた。 古い情報をインプットしたなと、少しばかり腹がたったが、自分のことだと反省をした。
入国審査のことで彼女と話す糸口ができた。 何と、中國が好きでひとりで気ままに旅を重ねているのには驚きと好奇な話を聞いた。 大きなリックサックを背負いバゲッジクレームにも寄らず旅慣れた足取りで入国審査の列に消えて行った。
こちらは、こどもの頃に過ごした地、北京への郷愁の旅であった。 そして、宿願の学校跡を執念で探しだし、自宅跡は残念にも区画整理されていたようで、その近くの胡同の匂いを嗅いだだけだ。 当時の住所は聞いても誰も知らない。 政権が交代したから致しかたがない。
どうして、こうも気にしあなんだろう。これからは年甲斐もなく、欲しいものは素直に欲しいと上手に接したほうが疲れない。
終わり