。昭和45年のハワイは憧れの楽園でした。今と比べれば華やかさはないが長閑で静かな佇まいの魅力ある島でした
羽田国際空港にマイカーを乗り捨てて行けたと言う便利な頃でした。 ホノルル国際空港ではハイビスカスの花のレイで迎えられ楽園に招かれた気分になりました。 ハイウェイもなく島の佇まいを色濃く残るオハフ島でした。 「HOLIDAY ISLE HOTEL」は小さいがワイキキの浜辺に近く、街の中心にあって、とても便利でした。 朝の食事は初めて経験したビュッフェスタイルに新鮮さを感じました。
ワイキキの浜辺は穏やかでカラカウア通りもアメリカンドリームの大型車が横行していました。
花柄の籐椅子に、ゴムぞうりそしてアロハシャッツと何処までも異文化だ。 窓ガラスもなく風が吹き抜けるレストランに入るとまず、入り口で待たされ、案内されたテーブルには前の客のチップのコインが積み重ねて置いてある。 何で?と思ってると、そのチップをポッケトに入れ席を勧められた。 そして真っ先に飲み物。しかも、ジョッキの中サイズのカップに・・。大きさに圧倒された。それから注文を受けた。後年に何回か訪ねたが気づくと料理も飲み物も大人しいサイズになっていた。 当時のハワイの面白い慣習だったのか。
日系人からは日本語が話せるとばかりに「トイレのことを厠(かわや)と呼ぶのですね」と言われ、「もう、言わないですよ」とは言えなかった。
翌朝、HAWAIIAN AIRLINSでカウアイ島に飛ぶ。「しだの洞窟」に向かう川で大きな虹を見て感激。ワイルア川の遊覧船では楽団がハワイアン音楽を奏でていた。
ハワイ島にも飛ぶ。キラウエア火山で活火山を見た。
オハフ島に戻る。
翌日、日本車のレンタカーを借り、生涯初の国際運転免許で別荘地を覗いた。 右折がレーンを間違えそうだった。 夢のような住宅街で絵になるカットを一枚撮った。 26年後に歩いてこの場所を再び訪れた。このままに変わっていなかった。 傍らで終日芝刈りをしてる日系人に出会う。会社人生の終いの生き方を考えさせられた。
ふたりして、アロハシャッツを着て休暇を楽しんだ。
45年も昔の島だった頃の話です。
終わり