気ままな旅


自分好みの歩みと共に・・

遂に、「一行日記」の最終の想い出が・・・  13(終)  

2016-01-03 00:45:14 | 日記

 なかなか最終ページに来ないものだ。遂に、これで終わる。                     或る縁があって始めたblogも、この9日で満1年になる。投稿したblogの数は恐らく115稿にもなりそうだ。

 No.49 H12/10/16 仙台中央郵便局 「母の里、仙台に往く。Y君ら3人とホテルで会食。戦後に住んだ「御霊橋」に往く。瑞凰殿で伊達家三代霊屋。杜の都だ!」と記してある

昔の宣伝部出身OBの3人が後輩のところで旧交を温めた。もう先輩2人がいない。寂しいものだ。中国から引き揚げて来て、最初に学校に復学した地である。しかも、一年降格と言う変則・・。住んだのは2か月間。東京で元の学年に復学とは・・。翻弄されたひと時の地でした。広瀬川の川原で平和を享受した母の里でもあり、想い出は尽きない。

No.50 H19/05/08 盛岡□□郵便局 「一時は終えたこの日記の再開を薦めたO君の言に従いひとり旅で始めた。桑田会館で先祖のルーツを調べたが駄目。遅い。残念。墓に参る」と記してある。

ひとりで調べ、父の33回忌法要に合わせ系図が完成した。わたしで5代目である。米国にいる孫息子が7代目となる。いまのところでは・・・。

No.51  H19/05/09  飯坂郵便局 「ひとり旅の2日目。飯坂に泊まるが残念にも何も残る旅にはならなかった。やはり、ひとり旅は寂しい」と記して終えた。

昭和が残る旅館を探し、見つけたものの、こちらの思いとは遠く離れた宿で落胆。それでも、初秋の山は美しい。

ここで最後の郵貯「一行日記」からの想い出作りが終わりになった。        51箇所も単身赴任の後半には、いまでも想い出は生きていたことになる。

 更に、振り返ってみると、始まりが平成4年10月15日と記録されている。      終わりが平成19年5月9日である。  なんと15年の永きに亘り続いた自由日記である。この日記は私が歩いた足跡である。大事にしたい。

これは郵貯であることを忘れそうだ。歩くたびに貯まったご褒美は何処に消えてしまたのか「記憶にございません」。

これからが「アメリカひとり旅」の始まりである。

想い出とは」ふるさと」のようなものかも知れない。              「ふるさとは 遠きにありて 想うものなり」ではないかと、勝手なことを言い終わります。

終わり


「一行日記」の想い出は尽きぬ   12

2016-01-02 00:16:49 | 日記

 NHK 「いく年 くる年」を観ながら年越しそばを食味し、除夜の音を聴くのが例年の常である。映像を観てると昭和がまだ生きている。

 想い出を掘り起こしてきた郵貯の「一行日記」も終わりが近い。

No.47  H11/05/25 潮来郵便局 「H部長が佐原あやめ園を、そして潮来ふるさと館に案内。花菖蒲一輪を貰う。晴天に恵まれた一日だ」と記してある。

利根川は佐原、潮来辺りで大きく蛇行している。                  そのため、「あやめ園」は千葉県に「ふるさと園」は茨城県にある。        あの潮来のあやめ十二橋巡り船は千葉県の加藤州からでる。狭い川沿いには店がありみやげを売っている。花菖蒲は見事だ。潮来の橋げたの花畑は特に・・。花菖蒲の苗を自宅に持ち帰ったが根付かず残念。

この河川敷ゴルフ場は年寄り向き。                       いまは亡き先輩ふたりと所望されてした懐かしい想い出のゴルフ場だ。余りにもへたな先輩ひとりと私のハンデイは36でも足りず、その分、口のアイアンとなる。   キャデーに漫才ゴルフと言われ、3人だけで楽しもうということでここに・・。

潮来の低い丘に移築した囲炉裏を囲む古民家があった。             広い庭を観ながら旬の焼き筍を食味したのが懐かしい。

このような3点セットは夢の夢になってしまった。

No.48  H11/06/29  桜並木郵便局 「梅雨の中休みに最後のサイクリング。木造の並木公園を発見。気象研究などを走る。新緑はどこもステキだ」と記してあった

 仮寓を土浦からつくばに移した折り還暦を祝い大枚を払い4段ギヤ付きの自転車を買い街中を走り楽しんだ。 サイクリングの楽しさを覚えたのはこの地である。

No.49 H11/06/30 土浦手野簡易郵便局 「暴風雨の中、葦簀張りの座敷で天然鰻を食味す。蓮田の花は早い。こんな近くにpost.」と記してある。

最後に霞ヶ浦生まれの天然鰻の味付けを忘れないために、暴風雨の中、わざわざ車を動かした。湖畔の蓮田の中にぽっつんとある店。赴任した時に電柱看板を見つけ開拓した自慢の店である。味付けは関西風でもなければ、関東風でもない。もう忘れた・・。時には、旬の白魚も・・。名残惜しい味だった。

 想い出は尽きない。最後に最後がまだあるように。

終わり