なかなか最終ページに来ないものだ。遂に、これで終わる。 或る縁があって始めたblogも、この9日で満1年になる。投稿したblogの数は恐らく115稿にもなりそうだ。
No.49 H12/10/16 仙台中央郵便局 「母の里、仙台に往く。Y君ら3人とホテルで会食。戦後に住んだ「御霊橋」に往く。瑞凰殿で伊達家三代霊屋。杜の都だ!」と記してある。
昔の宣伝部出身OBの3人が後輩のところで旧交を温めた。もう先輩2人がいない。寂しいものだ。中国から引き揚げて来て、最初に学校に復学した地である。しかも、一年降格と言う変則・・。住んだのは2か月間。東京で元の学年に復学とは・・。翻弄されたひと時の地でした。広瀬川の川原で平和を享受した母の里でもあり、想い出は尽きない。
No.50 H19/05/08 盛岡□□郵便局 「一時は終えたこの日記の再開を薦めたO君の言に従いひとり旅で始めた。桑田会館で先祖のルーツを調べたが駄目。遅い。残念。墓に参る」と記してある。
ひとりで調べ、父の33回忌法要に合わせ系図が完成した。わたしで5代目である。米国にいる孫息子が7代目となる。いまのところでは・・・。
No.51 H19/05/09 飯坂郵便局 「ひとり旅の2日目。飯坂に泊まるが残念にも何も残る旅にはならなかった。やはり、ひとり旅は寂しい」と記して終えた。
昭和が残る旅館を探し、見つけたものの、こちらの思いとは遠く離れた宿で落胆。それでも、初秋の山は美しい。
ここで最後の郵貯「一行日記」からの想い出作りが終わりになった。 51箇所も単身赴任の後半には、いまでも想い出は生きていたことになる。
更に、振り返ってみると、始まりが平成4年10月15日と記録されている。 終わりが平成19年5月9日である。 なんと15年の永きに亘り続いた自由日記である。この日記は私が歩いた足跡である。大事にしたい。
これは郵貯であることを忘れそうだ。歩くたびに貯まったご褒美は何処に消えてしまたのか「記憶にございません」。
これからが「アメリカひとり旅」の始まりである。
想い出とは」ふるさと」のようなものかも知れない。 「ふるさとは 遠きにありて 想うものなり」ではないかと、勝手なことを言い終わります。
終わり