気ままな旅


自分好みの歩みと共に・・

行くべきか、行かざるべきか 桜は無情か!

2017-02-28 11:00:40 | エッセイ

 朝の8時過ぎにサンフランシスコに住む娘から電話が掛かって来た。

「おはよう。そっちは午後だね・・・」と、言うと

「いま、メール見たわよ。寝たのですか。2時間もないでしょう。身体を壊しますよ」と、冒頭に叱責の声。

 実は珍しく床に就いたが眠れず深夜にメールの受信箱をチェックしたら娘からのメールがあり、返信をした。 その要件とは孫娘の春休みに授業終了当日の便で来日し「爺との小旅行」をする話である。 しかも事もあろう事か、行く先は「高遠桜の観桜」である。小旅行は4月の5日~7日の日程しかとれない。桜の開花は自然任せしかない。 要するに、日程も開花時期も自由にならない。 

「行くべきか行かざるべきか」と悩んでいる。だって、開花が5日前後頃とか・・・。

 桜を観たことがないわけではない。 我が家から100mも歩くと、もう植えられて30数年近くにもなるソメイヨシノの桜並木が700m、八重桜が数百メートルも続いていて毎年眼を楽しませてくれている。

 しかし、大自然を前にしての高遠桜の雄大さは違うと思う。 期待はふくらむが、花が咲いていないことには・・・。

「行くべきか、行かざるべきか」と電話で討論する始末。 

 眼の霞どころではない。 四苦八苦して桜開花予報を調べては娘に送信している始末。これでは眼の休養にはならない。

 桜が咲くか否かは天に任すとして、春休みをフルに放出して爺を車椅子にでも載せても列車の旅に連れて行って呉れる娘と孫娘の好意に感謝しなくてはならない。

 米国の高校1年生(日本の中3)で165cmのバスケット好きの孫娘です。孫って可愛いものですね。 

たわいもない、朝早くの娘との電話での会話でした。

終わり  

 

 

 

 


こんども、心に残った昔のブログに託しました。2

2017-02-23 22:58:25 | エッセイ

 今朝も新聞を手にしたものの、読み憎く後にすることにした。眼の疲れを癒すのに一朝一夕ではいかないのか・・と独り言。

 朝食をすませ二階の自室に戻った。朝昼夕就寝別に仕訳している箱から薬を飲み、何時もの、体操とはとても言えた代物でない軽い体操をすませた。

 PCを開けた。 眼の調子はどうかな。こんども、代わりを託す昔の古いブログを考えた。むしろ、あの頃より情景が懐かしく想い起こしてきた。 それは単身赴任先へ車で深夜に戻る時の話です。

 車は運転するが夜中はしない。しかも深夜ラジオなどは聴いたことがない。   若い頃は宣伝部で電波担当であったと言うのに・・。もう、若くはなかったからかも知れない。 

 ところが、この深夜ラジオに出会ってからは、その時間に合わせる始末。    情景が昨日の様に蘇ってきた。 駅前の自動販売機で洋もくを買い、まず1本を口に咥えてから一路単身赴任先の誰もいない冷きったマンションの一室を目指して車で出発だ。

 深夜だと言うのに渋滞する国道296号上り線を走り、首都高3号線から5号線そして大宮バイパスへと向かった。車の量は激減し少ない。スピード違反にならぬよう、ただ走るだけ。と・・或るインタで降りる。

 そこに人気のないドライブインが暗闇の中に見えた。 止まり木に座り一杯の珈琲で胃袋を温める。そして、最終コースの街灯の灯りしかないマンション団地に車を止めた。午前2時を回っている。 寝静まっている。エレベターの昇降する音がいやに大きく聞こえる。 ここに至るまでの車中の時間は癒された至福の時間だった。

 そろそろ字が読みにくくなってきた。ふと・・気がついた。文字の倍率を175%にしてみた。読める。でも、やはり2年前の1月に投稿したブログに託すことにした。 

当時、この深夜のラジオ番組を聴いていた人はいるのかな~と、ふと思った。

 

「会社人生の中で苛酷な試練を味わった時期に希望と癒しをくれたラジオ番組があった。
番組を知ったのは赴任先に戻る車の中だった。

 視聴する環境に吸いもしないハッカ入りの洋もくを買い口に咥えた。
何故か気持ちが落ち着くのだ。
 国道そして首都高、バイパスを経て降りるインターのドライブインの止まり木で深夜のほんのひと時を費やす。
 先程 求めた洋もくに火をつけ吐き出すひと吹きに何故か心が和む。
深夜の2時頃、客はいない。ひとり思考するにはまたとない環境だ。

そして、気を落ち着かせ赴任先のひとり住まいのマンションに戻る。
ドアを開けると、ひと気のない冷たい空気が顔を撫でる。



 ラジオから流れる深夜番組の時間に合わせて家をでる。
  バックミュジックが流れ・・・そして、語り掛け始める・・・

    「深夜の友は 真の友」と言いますけれども
    こんな時間に独りで起きているあなたは いったいどんな人なんだろうと
    いろいろと考えながらマイクに向かってます。

    ”人生は短く 夜もまた短い
     今日できることは 明日にのばして せめてこの深夜のひと時を”

    今、この放送を聴いていらっしゃる深夜の友に 限りない友情と 共感を抱きつつ
    お送りするミッドナイト メッセイジ 五木寛之の夜です。

この番組に助けられ、苛酷な困難をも乗り超えられた。
 もう、30年も昔の遠い想い出の片隅に追いやられた苦くも達成感を味わった懐かしい想い出の一駒である。

終わり



心に残った昔のブログに託しました

2017-02-20 23:39:16 | エッセイ

 ここ半年ほど以前から眼が霞む始末。治療すれど、むしろ「その年齢では素晴らしい」と煽てられる始末。 されど、眼鏡を作り替えてもままならず。PC画面のアイコンは嘘のように溶ける感じ。新しく作り替えた老眼に天眼鏡を重ねねても携帯電話の濁点が何処か分からず。眼性疲労としか思えず思い切って眼を休ませるしかない。読める短い時を狙い、昔に投稿した心にいまだに残るブログに再び託してみることにした。

 これは20年程昔に仕事で出掛けた折、休日に小旅行したときの出来事です。その時の広場でリトログラフ画の「運河」が、細い路地裏では三日月の仮想お面が目につき買い求めた。今でも我が家の居間の壁に飾ってある。もう、遠い昔になった。  

 それは「私の心に届いた小さな旅」と題し2年前の1月10日に投稿したブログです。 いまだに鮮烈に瞼にその光景が焼き付いている。

  「旅先で良く街を早朝に歩くのが好きで、しかも表通りでは見られない一本裏に入った素朴で長閑な知らない姿を垣間観たく歩いている。
 そこには美しい風景とは異なる、何か心を和ませてくれるものがある。

 パリからベネチュアに小旅行に往った時のことである。
いつもの通り、早朝にホテルの窓からサンジョルジョ・マジョーレ島を眺めながら着替えをして昼間の人いきれで賑わったサンマルコ広場とは逆の方向に歩くことにした。

 9月の朝の弱い陽ざしを受けてホテルの前に広がる水面が気持ち良く照りかえるのを横目に、ゆっくりと歩きながら程よい所から細い路地に一歩踏み入れた。
 崩れかけた歴史を感じさせる家々の石作りの壁にも陽光が差し込み、初秋の涼しさを感じる気候なのに家々の緑色の窓辺には赤い花々が咲いていた。
 そして、窓から窓へ紐に吊るされた洗濯物が幾重にも連なり満艦飾豊かにひるがえっていた。
 朝食の準備に忙しいのか外はまだ、誰も歩いていない。
この静かな早朝の窓辺は一枚の絵葉書であり、風物詩でもある。
それから細い路地から路地へと歩き続けると、パテイオのような広場にでた。
すると、左の海側の路地から、ハットを被り、ツイードの上着にネクタを締め、口元に白い髭を蓄えた老紳士がステッキを片手に、悠然と背筋を伸ばし石畳の上を犬と散歩を終え、小さな白い素朴な木の戸口を開け白い建物の中に消えた。

 しばし足を止め、老人の犬との素敵な散歩姿を眼で追った。
早朝に見た古代ベネチュア共和国の気風なのか。

こうして、朝の小さな時間を見つけては旅の小さな想い出を重ねている。

 旅とは、ただ単に美しい風景を観るだけが旅ではない。
その旅がより豊かになるかは、その旅に「心に届くもの」を創ってこそだと思う。

終わり


娘との小さな日記が・・・

2017-02-04 15:23:41 | エッセイ

 今日は朝からyou tubeを聴いている。と、言うよりただ流していると言った方が適しているかも知れない。 眼鏡と言っても老眼ではあるが、読み書きにどうもしっくりいかない。 苛立ちから落ち着かせるために音楽を聴いているという訳である。 

 いま、フォー・セインツの「小さな日記」と「希望」が流れている。そのリズムを聴いていると遠い昔に仕事でラジオの全国ネットフオーク番組を担当したことを懐かしく想いださせてくれた。 そして、連鎖反応のように、或る昔のことが蘇った。 それは、最初に授かった娘のことである。 

 娘が生後まだ10か月の頃、檻のような木製のベッドに寝かされていた。やっと掴まり立ができろようになってはいた。 ある朝、眼が覚めると私の布団の中にいる筈のない娘が寝ているではないか。「何故~・・どうして・・」妻に聞いても知らないと言う。寝相が悪かったら怪我をさせるところだ・・・。 翌日も私の布団の中に寝ている。

 その晩は寝ないでいた。 とうとう見つけた。寝静舞った丑三つ刻、こちらを睨み頃合いをみて行動に移した。まず、ベッドの角に体を移動し、それから片足ずつ角に載せるとずるずると脚から降ろし両手で体重を支え最後に手を放す。するとストンと床に落ちる。それから這って私の顔を鼻を付くばかりに寄ってきて確認をすには驚いた。こっちは眼を瞑っている。息遣いでわかる。 確認すると、頭から潜りこみペンギンの様に布団の中で反転して頭を上にして私の胸の辺りを枕にして眠りについた。

 嬉しさと、可哀想なのでベッドには戻さなかった。 翌晩、布団を妻と入れ替え意地悪をしてみた。その晩は眠いのを我慢をして待った。

 ストンと落ちる音がした。いよいよだ。意地悪な父親だ。顔の確認が始まった。いつもの布団の場所には妻が寝入っている。びぐ~・・と顔を引いた。違う~と言わんばかりに後ずさりをして、気をとりなしたのか離れている私の布団まで這ってきて顔を覗いた。そして、何時ものように頭から潜り、反転し頭を浮上させ寝入った。 

 月の灯りしかない薄暗い部屋でよく違いが分かるものだ。 一歳にも満たない赤ん坊にも甘い父親が分かるのには驚いた。 でも、こんなにうれしかったことはない。

 妻の実家からの帰路、車の中でこの歌を唄い東京の夜の街を走ったものだ。

娘は檻と言う拘束から逃げ出したかったのかも知れない。いまは、「希望」と言う列車に乗れて夢を叶えられたと思う。OSUを卒業し、PixarのArtに携わる夫と剣道をしている息子とバスケットに夢中の娘に囲まれた家族に恵まれて・・・。

終わり