気ままな旅


自分好みの歩みと共に・・

「ケチンボ青春旅行」バンザイ!・・・後編

2019-04-27 08:03:05 | エッセイ

それから、車は砂埃の山道に小石を蹴散らし走っていた。すると、ハンドルを握っていた九州出身のバナちゃんが舗装道路にでる150メートルも手前にも拘らずウインカを点灯したのには流石に助手席に座っていた湘南ボーイが

  「山道で、何処にも車は走っていないぜ」

ビックリしてひと言余計な事を言ってしまった。実はバナちゃんはこの旅行の直前に出会いがしらの事故を起こしてきていて、つい早めに・・それにしても早過ぎるよ。都会ならまだ横道が2~3本はあるよ。と思ったが言葉を呑み込んだ。

 

信州のどこまで行くか、作戦会議を車中で開いた。 

  「最終決定権はこの幹事の専権事項だぜ~」

と、猿ちゃんのまたもや横槍がきた。

   「そりゃそうだな・・」

と、押し切られた感じだ。しぶしぶ全員同意する。ドライブマップを膝の上に置きながら話はすすんだ。

暗くなる前に上田辺りまでは走らないと目的の旅館の数が少なくなるだけでなく探すのにひと苦労する。

珍しく信号機が赤になり車は停止線に止まった。辺りは一面に麦畑が広がり舗装道路が空港の滑走路のように一直線に伸び不思議にも一台の車も見えない。麦畑の所々に山田の案山子がみえた。

何処までも平和だなと思った。

そこへ静かなバイク音を響かせ白バイが横に止まった。

何となく運席の窓を開けた。

大きなバイク音が車内に充満してきた。

ふと、聞いてみたい衝動に駆られ聞いてみた。  

   「上田に行きたいのですが、このままこの道を走ればいいですか・・」

この時信号機の赤が青に変わった。

「ついてきてください」

と、言うと白バイは軽快なバイク音を響かせて颯爽と走り去るかのように走っていった。

道を聴いただけで咄嗟のことで戸惑ってしまった。

この風景は白バイ先導の道案内に見えるか、それとも交通違反で誘導されていると見えたか、いずれかは明白である。後者あろう。いい話なのか悪い話なのか一時はパニックになった。管轄区域の町外れ来たのか白バイは赤い停止ランプを点灯し止まった。「ここを真っすぐに行かれれば間違えることはありません。ご旅行を楽しんでください」と、胸を張り挙手し爽やかな、きりっとした顔をした青年が白バイに跨り颯爽とUターンをして走り去っていった。

「ありがとうございました」と、大きな声で車中からもお礼を伝えた。

「こんな経験は初めてだ」「吾々より若いな」「青春はいいな」誰言うともなく口にだした。

 

初日は、苦も無く宿泊先が決まった。

何てたって白バイ先導の上客様だものと、胸をはった。

猿ちゃんが何か店の女将とヒソヒソ話をしていた。話ついたのか「お~い、ここに決まりだ」気も玉の小さい残り四人は口数が少なくなり「あの予算で大丈夫なのかな」「芸者を頼んだようだぜ」「え~、知らんぞ~」「ご案内します」の女中の声で部屋に案内された。

やっと、身体を横たえることができ狭い車中室でできなかった背伸ばしができホットした。何と言ったとてコンパクトカーで身動きができない。湘南ボーイの「風呂に行こうぜ」の掛け声で「行こう」浴衣に着替え手ぬぐいを肩に引っ掛け浴室に向かった。「猿ちゃん凄い事を考えていたんだ」客は吾々一組しかいないようだ。大型連休だと言うのに・・館内は静かだ。

裸になって浴室に入って驚いた。湯船には今、温泉口を開栓したようで湯船が満杯になるには夜中かだぜ。裸になってしまった。

悔しいこともあり底が見えている湯舟に入り横になってみた。何と水深は。片足の高さにも満たない。こんな旅館だから部屋が空いていたんだとひとり合点した。

 

五月の季節とは言え山里の冷気は肌に寒さを感じた。

「しょうがないな。飯を食ってからにしよう」

若い芸者が着物姿でやってきた。当たり前だ。洋服姿の芸者なんている分けがない。幹事の特権で猿ちゃんの脇に座り夕餉の酒の世話をした。

更に旅館の部屋担当女中が世話をしてくれていた。芸者の入った宴席の経験はもう入社五年にもなれば慣れてはいたが、個人宴席は初めてだ。それがお互いに若かっただけに意気投合し宴会が盛り上がった。

芸者の花代が二時間分しか予算がないので延長はいくら頼まれてもできなかった。

ここの宿は温泉街の端にあり、別の旅館の宴席などはない。

久し振りに同期の気心を許した楽しい夕餉を初めての芸者を介添えさせた思いもかけないケチンボ旅行が豪華な身分不相応な宴会になった。食事を済ませた吾々は自由に寛いでいた。

猿ちゃんは我関せずとばかり将棋をする始末になる。

哀れなのは行き場のない芸者だ。

「ここに、おさせて貰っていいでしょ」と、皆に声を掛けて了解を得て将棋を観戦していた。その姿を見て何だか可哀想になってきたが金はない。芸者の花代を払わらず芸者が傍にいるなんて前代未聞の変な感覚の話だ。

 

こうして旅の最初の朝を迎えた。

のり、生卵、旬の山菜つきの朝食には感激した。こんな山奥の安旅館で味わえるとは幹事の腕は天晴れだ。

一点豪華主義もいいもんだ。だとすると、若しや、最後の宿泊即ち今晩は野宿でも考えているかな、それも風情があっていいものだぞ。一度味合うと癖になる。簡単に自分好みの旅館が苦も無く手に入ると錯覚してしまう。若者って怖いもの知らずだ。大物のバナちゃんは早めに旅館を抑えておくのが良かろうと少しは風情のある旅館に予約しに一人で敵陣に乗り込んで行った。「ここの旅館は労働大臣の認可をうけているかね」と、高飛車にでた。中年ぶった態度で・・。丁度通りすがりの年配の女性に声を掛けた。すると、女性は烈火の如く怒り、叱り飛ばされ逃げかえってきた。よりによって、そこの旅館の女将に運悪く聞いてしまったのだ。「当然のことでしょう。失礼ね。」「部屋が空いていても貴方には空いてません」」のひと言で玄関払い。遠くから車の中で経緯を観ている者には声が聴こえないので、ペコペコ下げる頭の回数だけが見えた。

 

早くも、陽が沈み午後7時を回った。

作戦会議を狭い車の中で開いた。隠し財源はこのゲームにはない。軒並み泊まりを断られたのを分析した。何だか会社で残業をしているみたいだぞ。そう思いながら旅館の玄関先での向う側の目線で考えてみた。靴を視ていたような気がする。 自分の靴を視た。 土埃で汚れた靴だ。

上着も着ないで・・・。「そうか・・」「今度、俺が往こう。 

誰かたばこを一本呉れ」土埃の靴を払い、上着着て、先程貰ったたばこに火をつけて次の玄関先にはいった。

「4人だが・・」女将はやはり俺の靴を視た。

磨いてあるぞ。金は持っているぞと言わんばかりの大人びた態度で先手を打った。

「部屋 空いてるかね。」すると老夫婦こじんまりとやっている旅館らしく「一部屋なら空いているよ。だが、風呂は落としてしもうただ。夕飯ももうない。もしかしたら天丼なら出来るかも」ときた。

時計の針はもう午後8時になっている。

疲れ果てた。神様仏さまだ。天丼が来るまでに30分程待った。この時に食った天丼はこの世で食った最高の天丼に思えた。

その晩は、湿気を多く含んだじとじとした布団にもぐり込んだ。寝心地が悪いはずなのに、宿が取れた安堵の方が強いのか、ゆっくり夢路につけた。

 朝を迎えた。

 朝食はない。 だが、こんな爽やかな朝はなかった。

一路東京へ、途中の沿道のラーメンを期待し、晴れ晴れとした満足気の顔で信州の山並みを顧みしながら最後の3日目の旅を終えた。

空は五月晴れが続いていている。

五人の若者に思いもかけない「芸者」と言うキャストが加わった若者ならではの青春旅日記でした。

終わり

実話は、その後、結婚と言う世間並みな人生の行事に取られ5人の枠が崩れ懐かしい青春旅行の最後を紀伊で迎え終えた。 もう、二度と交えぬ遠い昔の良き青春時代の話でした。


 


割り込むな話である。

2019-04-24 22:55:22 | エッセイ

ブログの次期投稿は今週末の27日と決めてある。 そうして、腕の筋肉をここぞとばかり休ませて安心をしていた。 

 しかも、今日は昔共に苦労した同じ職場の仲間との飲み会である。 気づいてみると、いつしか最古参になっている。 難病を気遣い我が家の自宅近くの駅前で場所をセッテイングしてくれた厚情に報いるには元気に参加することである。 数日前から極度の運動は控えることにしリハビリの鍛錬も辞退し今日の日を迎えた。 

その時、「ピンポン」と外来者のドアホーンの音がした。

「国際郵便小包です」

何だろうと思いながら小包を受どった。 

開梱してみた。娘と孫娘からの85歳の誕生祝いであった。 

この4月始めの短い春休みに父親の新しい職場のあるアイルランド、ダブリン市に会いに行き、帰りに娘の友人に会いにパリに寄ってくる話を想いだした。     たった、7日間の休暇とは孫娘の高校の厳しさには驚いた。 そう言えば数年前に車椅子持参で浜名湖への旅に連れて行って呉れたのもこの7日間だった。

パリと凱旋門の絵葉書が2枚はいっていた。プレゼント品と共にはがきに祝い文が添えてあった。そして、旅行の話に菓子を添えてダンボール箱に入っていた。 ダブリン市内はもう春が来ていると言うのに冬のように寒くSFの温暖さをしみじみと感じたようです。娘からの話を聞きながら土産のお菓子をコーヒーで味わう。

陽が沈みかかる6時ごろ、飲み会の会場にタクシーで出向いた。

久し振りに昔の仲間と飲んだ。

酒と言える程の量ではないが酒が旨く感じた。リハビリを控え体調保全を優先した甲斐があった。。

時計の針が0時をまわった。 

今日は、朝起きてから、この時間まで何時もよりは変化にとんだ一日でした。   酒が身体に入っているのか、文章の構成も題材も滅茶苦茶である・・・      乱筆乱文で投稿するとは不謹慎と・・・。

終わり

 


60年昔の若者の青春旅行は・・・前編

2019-04-20 06:35:19 | エッセイ

ケチンボ青春旅行

 

桜便りが聴こえてくる季節を迎えていた。

  東京のオフィス街の中心にある東西ビルの屋上に昼時の休みに大勢の社員どもが一斉に太陽の陽射しを浴びに屋上に花が咲いたかの様に集っていた。そこには入社数年が経った或る会社の若手五人組もいた。

「ことしも、行くか‥?」「こんどは、二泊三日で?」

「行こうよ」「車は借りられるか」「ひとり、少し上げて千円でどうかな」

「行先は何時もの通り、その日の朝、多数決で・・」「何号線だけを・・」

「じゃ~行くか・・。誰を幹事にする~」「猿ちゃんでどうかな」「ちゃんと、するかな」

と広い屋上の手すりに寄りかかって今年の作戦会議が決まった。 

欠席裁判で幹事に決められた猿ちゃんこそ、はた迷惑だ。出張ではしょうがない。これが我々のルールだ。致し方なし。

 

 吾々五人組は同期入社して五年になる中堅の真っただ中にいるクラスである。  結婚もそっちのけで遊びに更けているのはそれだけ魅力があるからだ。      遊びとは、大型連休を如何に安い費用で旅行を楽しむかである。

吾々の規則はまず幹事を決める。幹事に予め旅行資金を預ける。壱銭なりとも隠し現金携帯は厳禁と厳しく守る。行き先不明となれば当然泊りも不明となる。      この旅行の醍醐味はここにある。

車の燃料や昼飯も飲料も全て幹事の一存で支給される決まりの「ケチンボ青春旅行」である。

この物話は昭和39年の東京オリンピックが終わり日本中の街々が落ち着きを取り戻した頃の長閑な平和な当時の若者の五人組が織なした青春物語である。

旅に出発する吾々にとっては、いつものことで気にしていない。         だが、周りは噂を耳にして余りにも滅茶苦茶な無鉄砲だと思うらしく気になるようだ。

明日から大型連休が始まる前の日、社員食堂から昼食を終えて戻ってくると、待ち構えたかのように

 「ドライブに行くそうだけど何処へ行くのだい」

課長は書類を見ながら聞いてきた。

 「まだ、決めていません」

書類を机の上に置きながら

 「北か南くらいかは決まっているだろう」

 「それも、決まっていません」

噂を耳にしていたのだろう一瞬呆れた顔を・・直ぐに笑顔で・・

 「気を付けて 元気に 行って来い・・」

 

空は五月晴れ。

全員が駐車場に集合した。ガソリンは満タン万事往来。

運転は一人50㎞で交代。

さて、行き先は・・・国道何号線を走るかでその方向にある泊まる温泉地が決まる。

弥次喜多の時代で言うならば甲州街道かそれとも中仙道と来るが、現代のいま流では国道2号線にするか、それとも国道4号線にするかで日本列島を南北に大きく分かれることになる。

誰言うとでもなく

 「何号線を走る どうする」

 「17号線を走ろう 信州は春がいいぞ~」

 「決まり 他になければ国道17号線で決まりだ」

何時もの通り誰もが議事進行して決めるのが吾々のやり方だ。

 「じゃ~決まり。俺が運転するよ」

こうして手際よく、それぞれの役割分担が決まり車は5人を乗せて人通りの少ない、静かなオフィス街をスタートした。

車内で資金の千円が幹事の猿ちゃんに手渡された。

当時の貨幣価値は安宿で一泊二食付きで千円あれば泊まれたものだったが、この旅行はこの旅行の一切合切を千円でしかも二泊で仕切るのだからひと苦労である。 

この旅が楽しくも苦しくも全てが幹事の腕一本にかかっている。

集合時間は朝の7時でそんなに早くはない。しかし、2人が独身寮住まいである。と、言うことは当然朝食抜きである。残り3人は親元出身だが、ひとりのみ朝食にあずかっていた。幹事は独身寮で主(ぬし)になりかかっていた。         誰もが当然、早い昼食にありつけるものと期待をしていた。

道路沿いの店は「準備中」の看板から「商い中」の看板に表返しなっても一向に声が掛らない。

 「昼飯は何時になる・・・のだ・・」

遠慮がちに語尾が消えるような低音でひとりが我慢ならず声をだした。

ひと言、後部座席にいた猿ちゃんの声で

 「パス。なし」「え~何で」「予算に入れてないので」

偉いのに幹事を欠席裁判で採決してしまったものだと悔やんだが時は遅い。

 「その代わり寮の小母さんに残りごはんで、握り飯を握って貰っておいたよ」

 「それを早く言えよ」「どうしようかと思ったよ」

刺々しくなりかけた雰囲気が一瞬にして穏やかな空気に戻った。

県境の大きな川に架かる戸田橋を渡り埼玉県にはいった。

そろそろ、車から降りて屈伸運動をしないと筋肉硬直の恐れがある。国民車と言われた車だけに実にコンパクトにできている。ところが、搭乗員五人の中に平均より背の高いものが若干二名いた。車が小さいのか、それとも人が大きいのか分からない。総員で背の高低を相殺すれば客室容積はバランスがとれている筈だと下らんことを考えていた。

車は快調に信州の何処かに向かって走っている。遠くに来れば来るほど空気は澄んでいるのが良くわかる。花粉症と言う言葉がまだ知らない時代の話だ。国道沿いにはラーメン店などは何処を探しても視界に入ってこない。仮に視界に入ってきたとて幹事は「昼食パス」のひと言だし・・・。でも「握り飯の手配とはお見事」流石仲間が選んだだけのことはあると、ひとりほくそ笑むだ。勝手なもんだ。下げたり上げたりとは大変だ。  

信州に仕事で来るところはオフィス街が立ち並ぶ都会で長閑な処は少ない。

「ドライバー交代にしょう」のひと声で車を道端に止めた。休息に止めた辺りは農家の庭先なのか山林の一部なのか都会育ちの若者には区別がつかない。

  「おい、柿がなっているよ。失敬してもいいよな・・」

  「あそこの農家の庭だよ。しかも、渋柿だよ」

と地方出身の猿ちゃんが教えてくれた。

  「誰も咎めたりしないが、恥かしいよ」

 

「前編の終わり」

(続編で終わり 4/27)

 


「ケチンボ青春旅行」は誰が書いたの・・・

2019-04-14 14:14:47 | エッセイ

 この頃の気象は落ち着きがない。

春の陽射しが早々と訪れたかと思えば、寒の戻りか、雪が舞い降りたりと年寄りには着るものはもとより体調の調節に苦労する。

言い訳がましいが、この気象のせいかブログへの筆が進まない。 単に、頭の回転が鈍くなった所以にすぎないのに・・。 往生際の悪いことだ。

そこで、ふと、思いついた。 実は遊び心で作った、もうひとりの自分がいることに気がついた。 そいつが、陰に隠れて書いた拙作がある筈だ。

そいつは、今から5年程前から私の部屋に間借りをしていた。 名は何と言ったかな~。 そう~そう「名前はある」が・・・。 いま、何処にいるかは知らない。 

俺の青春時代は前回の「東京オリンピック」が開催された頃だった。 そいつは、若いのに俺の部屋でその頃の話をよく聞いていた。 だから書く舞台はどうしても古いのだ。 そう言えば書き散らかした原稿があった。 ブログ投稿の数回分はある。

本人は留守なので、無断拝借をしよう。 

題は「ケチンボ青春旅行」

この話は小説風に書いてあるが、実話を元に書いたフイクションであり、遠足の感想文レベルである。 リリーフに登場した投稿である。

いま頃言うのは不謹慎だが、いま気がついた。

本文を、どうすればブログに転写して投稿できるか、調べますので暫しお時間を頂きたくぞんじます。できる筈ですが・・・。

終わり

 

 


「別れ」と言う文字の響きに・・・

2019-04-05 20:24:25 | エッセイ

 いつものながら夕食をふたりして妻の仕事である子供らの話を聴きながら終える。 この頃の日課になっている。

 とくに、今日は中学時代の友人からも電話を頂き話が弾んだ。 

 部屋に戻り気になっていた本立ての隅に束ねてあるメモを読み返した。 

 メモを読んでいると、家を出るとか、考えを切り替えるとか、人と違うとか・・・このメモは単身赴任を始めた35年前の頃にしたためたメモのようだった。         

 単身赴任は家族との別れである。娘の米国留学もしかり別れだ。そして別れはやはり悲しいものだ。だからこそ、それを避けるには、自分を励ましてくれる者は誰もいない止む無く自分を自分で励ますしかなかった。 それが無意識に私は当時メモを選んだのだと思う。このブログにもメモと題し投稿をした気がする。それはこのような切り口ではなかったと思う。

 この4月の末に齢84が85歳の誕生日を迎える。迎えるのも84からの別れだ。まだお迎えは早いと思うがこのお迎えも人生のお迎え即ち人生のお別れである。

 その頃のメモには・・・

朝顔の「花が美しいのは 短い命でも ただ、一筋に咲いているからだ」と言う。人も「懸命に生きてこそ 素晴らしい人生である」と思う。

「夫婦って、一緒に暮らしてこそ 夫婦ですよね」とテレビドラマで言っていた。15年も単身赴任で離れていた夫婦は何て言うのだろうと思う。

「青春の夢は果てないが 老いての夢には限りがある」が、老人とて「老いても、心は青春であり続けたいものだ」自ら青春と別れることはない。

「頭で考えるとともに 心でも考えてみよ!」と言いたい。頭は別れても心までも別れることはない。

 

会社人生を終え、赴任地から去る数日前に洗濯をしていた。だが、如何した訳か動きが可笑しい。今にも止まりそうな音を立てながら・・・。

私は最後の荷物をダンボール箱に汗をかきかき詰め込んだ。いかにも洗濯機に背を叩かれ励まされているよな音を聴きながら荷物をつくった。最後の単身赴任との永遠の別れを・・・

「後 少し 動いてくれよ 洗濯機」

単身赴任も後数時間で終えるよ・・・

「君も 後 少しだと励まされ 」

もう少しで荷物詰めが終えるよ!すべたが終えるよ!

現役の頃の別れは寂しかった。これを払拭できたのは仕事でしかなかった。

雑談を乱筆した。

終わり