玄関先の山藤の落ち葉を掻き集めながら、いつしか秋らしくなって来たのを肌で感じるようになってきた。
何故かこの頃、移り行く四季の楽しみが減った。 時計の針の刻みが早いのも気になる。
何時しか赴任先から戻り15年が過ぎ去ったのを悟った。早いな~。
ドクターストップもあり、娘の処へのひとり旅は、今後できないのかと思うと一抹の寂しさは拭いきれない。 つい懐かしく古い日記帳を紐どいてみた。
もう、記憶の隅に追いやったいた留学中の娘の成人を祝いに、ひとりケンタキー州ルイビルに向かったことが記してあった。 読みながら再現したくなった。
時期は1月。 冬のコートに身を包み機上の人となった。 娘とはもう2年も顔を見ていない。 国際電話での声が唯一の慰めであった。 当時の為替は$188円とドル高、しかも、公衆電話だけに交換台を経由する分、余計に高かった。 身体も余り丈夫でなく健康が心配だった。 我慢強い娘からSOS・・妻が現地へ。 そこに見舞を兼ねて、成人の祝いをしに行く口実ができた。
ロサンゼルス国際空港に降り立った。 入国審査を受け国内線に乗り換えるロビーは長蛇の列。 国内線の出発時刻が迫り不安になり、日系人らしい女性空港係員に日本語が話せるか声を掛けた。 話せないと返事がきた。 中継しながら乗り継ぐ旅は初めてで判断に迷いながら永い列に並んだ。 麻薬犬が凄い勢いで鼻を鳴らして嗅ぎまわるのを初めてみた。 真逆かとは思うが、立止まらない様にと念じた。
やっと、入国ができバゲージ・クレイムからピックアップしたスーツケースを手にして立っていると、先程の女性が飛んできて、このスーツケースを、眼の前で動いているベルトコンベアーに「載せなさい」と言う。 傍には誰も係員はいない。 考える時間などない。 覚悟を決めてスーツケースをベルトに載せた。 すると、「No.35 ゲートに走りなさい」と・・彼女は気にして眼で追っていてくれた事に感謝した。 冬の重いコートを着たまま走った。 まだ52歳。 今と違い若く体力があった。
幸いにも国内線の出発便は待っていた。 機内に入りシートに落ち着きまず、時計の針をロスの時刻に合わせた。 時差が4つもあるとは、この時は知る由もなかった。
数時間が過ぎ、機はミニアポリス二向かっていた。 何時しか辺りは暗くなり、機は高度を下げて来ると、眼を見張る景色が出現した。 ピーターパンの世界であった。 何処までも延々と広がる真っ白な雪原であった。 雪原を際立たせたのは地平線まで延びた黒い直線の道路であたかも抽象画を描いたようだった。
この時の折角の雪原もカメラが壊れてしまい記録がない。 次の乗り継ぎ空港でウインドショピングをして何気なく空港の通路の丸い時計を見た。 そして腕時計を見た。違う。何で、どちらかがカメラと同じく壊れたのか・・。もう一度、空港の時計を見た。5分前だ。 通路を歩いている人は見かけない。可笑しい。慌ててゲートへ走り間に合った。 機内の通路を歩いている後ろで厚いドアが閉まる音が聴こえた。 時計は時差で違っていて当然だったのだ。
娘と落ち合うワシントンDC空港に着いた。 痩身の娘は肉とコーラで太ったと言い写真を送って来ていた。 見間違えたらと・・まさか~。 迎えは深夜なので宿泊ホテルのホリデイ・インのロビーにしていた。 国内線の夜行便のせいか大空港ロビーは人影も少なくひっそりとしていた。 バゲージ・クレームの前から一人去り、二人去りと到着客は各々荷物を抱え去って行った。 黒人の係員がベルトコンベアーを停めた。 まだ、私のスーツケースが出てこないのに止められたら困るのでクレームをつけた。 すると、「もう、これで終わりだ。カウンターに聞いて呉れ・・」と言う。 今にも消灯しそうな航空会社のカウンターに走った。「スーツケースがない」と言うと、「向こうの荷物管理事務所に・・」と言い指を指す。 空港ロビーには流石に到着客は一人もいない。 灯りを消されたら一大事だ。 また広いロビーを走った。
「国内線に乗り継くのに、何分かっかったか」呑気な質問を受けた。 「20分位かな」と答えると、黙って洗面道具を呉れて更に「何処のホテルに宿泊するのか」と聞いて来た。 「明日、ホテルに届ける」と言われホットした。 初めて積み残しになったかどうかを確認するために、時間を聞かれたのだと知った。
かなりの時間を空港で浪費したのでホテルのシャトルバスは無理だ。 タクシーしかない。 乗り場は何処だ。 深夜のため辺りは暗くひと苦労してやっと見つけた。タクシーの黒人の運転手は指揮者の小沢征爾が好きで喋りまくっていた。 でも、何を喋っているのか分からなかった。 お蔭でチップが高くなった。
タクシーはホテルに無事に着いた。 ホテルでチェックインの手続きをしながら受付嬢に聞いた。「娘は到着していますか・・」と聞くと素敵な笑みを浮かべて手を差しだし・・・。 振り向くと後ろに、そう~と元気な笑顔をした娘が立っていた。
部屋に入りビールを用意した。
寂しいが、暖かい成人式になった。
片親だけのひとり参加の寂しい成人の祝いだが、両親の愛は充分に受け取って貰えたと信じている。
カメラは壊れるし、空港は走ってばかり、スーツケースは積み残しと米国本土への初渡航は苦難の連続でした。
父と娘とのふたり旅は最初で最後の想い出の旅となった。
と、日記に記述してあった。
終わり