1位、ロムニー38%に次ぐ、保守派一番手に、若者の熱狂的な支持、支持率急上昇の気配
*アメリカにも根強い良心派が存在する!
【ワシントン=犬塚陽介】米大統領選の共和党指名候補争いで、アイオワ州党員集会で3位に食い込んだロン・ポール下院議員(76)の掲げる「リバタリアニズム」に注目が集まっている。個人の自由を最大限に尊重し、小さな政府を主張する政治姿勢で、所得税の廃止や海外駐留米軍の全面撤退などの極端な主張には保守派からの反発も強い。だが、既成政治に不満を持つ若者に熱狂的な支持が広がり、存在感を高めている。
10日に予備選が行われるニューハンプシャー州の各種世論調査で、ポール氏は17~22%の支持率で2位に浮上。首位のロムニー前マサチューセッツ州知事を追っており、アイオワでロムニー氏と接戦を展開したサントラム元上院議員に勝っている。
米メディアによると、ポール氏が6日にニューハンプシャー入りした際には若者の支持者が空港で熱狂的な「ロン・ポール」コールを繰り返したという。
政府を国民の自由に干渉する存在と位置づけるポール氏は、「自由な経済活動を妨げる」と連邦準備制度理事会(FRB)や商務省などの撤廃を主張。福祉政策の削減も訴える。
米下院による慰安婦問題に関する対日非難決議など自らの信条に反する法案には一貫して反対票を投じ、「ドクター・ノー」の異名をとる。
ロン・ポール氏、アメリカの対イラン政策を批判
アメリカ大統領選挙の共和党候補者、ロン・ポール氏が、イランに対するアメリカの敵対政策を批判しました。プレスTVによりますと、ロン・ポール氏は、6日金曜、「イランが核兵器を製造しようとしていることを示す証拠は存在しない」と語りました。さらに、「今も、イランが濃縮ウランを獲得しているとする証拠はない」としました。また、「アメリカの反イラン的な立場は、アメリカによるイランへの内政干渉から生じたものだ」と述べました。
*イラクにも大量破壊兵器が存在するとして戦争を始めたが結局、存在しなかった、ベトナムでもでも同様であった、
ポール氏はまた、「アメリカはモサッデグ政権を1953年にクーデターにより転覆させ、石油資源など、イランでのアメリカの利益を確保するために圧制的な独裁政権を敷いた」と語りました。ポール氏はさらに、アメリカの対イラン制裁を非難し、それを同国に対する戦争開始の下地を作るものだとしました。また、「制裁は、イラクとリビアに対する戦争開始の第一歩だった。現在、イランとシリアに対する厳しい制裁の行使は、アメリカがそうした道を進んでいることを示す」と強調しました。
アメリカのオバマ大統領は、2012年から、イラン中央銀行に対する新たな制裁を行使しました。アメリカとシオニスト政権イスラエルは、何度も、イランに軍事攻撃を仕掛けると脅迫していますが、こうした中、イランはIAEA国際原子力機関に加盟、NPT核兵器不拡散条約に署名しており、自国の核開発は平和的なものだと主張しています。
ロナルド・アーネスト “ロン” ポール (Ronald Ernest "Ron" Paul,*ウキペディア
1935年8月20日 - ) は、アメリカ合衆国の政治家。テキサス州選出の連邦下院議員であり、任期は通算で10期目を数える。共和党所属。
1974年に共和党議員へ立候補するも落選。その後1976年の議員選でもロバート・ガメッジに敗退するなどしたが、1978年に当選。1980年より2年間議員職を務めた。1988年アメリカ合衆国大統領選挙へアメリカ・リバタリアン党としての出馬で、3位に終わる。1996年に共和党へ再当選。以降数年にわたり再当選を繰り返す。
2007年に2008年アメリカ合衆国大統領選挙への再度出馬を表明。カリフォルニア州にあるロナルド・レーガン大統領図書館で2008年1月30日に行われた共和党大統領立候補者の対談にも参加し、各メディアに取り上げられるなど選挙活動を続ける。インターネットにおいて、名声が高く支持率が高い。
政治的立場は立憲主義、小さな政府を基調としている。本来は小さな政府を推進する立場の共和党について、「大きな政府の党になってしまった」と言って批判している。下院議員としては、新たな支出や増税に対して一貫して反対票を投じている。医者である事と007の映画から掛けて Dr. No というあだ名がついた。
その他に支持している政策の主なものは、州の自治権強化、市民の銃器の所持、自由貿易等。反対している政策の主なものは、連邦準備制度、妊娠中絶問題に対する連邦政府の関与、死刑制度、所得税(違憲であると主張)、国民皆保険。外交政策に関しては、不介入主義者である。国際連合と北大西洋条約機構からの脱退を支持。「絡み合った同盟関係」を断つべきであると主張している。2011年2月15日の共同通信との会見では、日本は米軍依存をやめるべきであり、在日米軍基地の撤退を強く主張した。さらに同会見では、米軍基地の抑止力と言うのは虚構に過ぎないとして、民主党のデニス・クシニッチとともに在日米軍を「過去の遺物」と呼んだ。戦争をしなければならないのは国民を守らなければならない時だけであり、下院による宣戦布告なしでの開戦は許されないと主張している。イラク戦争に関しては、2002年の「イラクに対する兵力動員承認に関する法案」の下院での審議の際は徹底してイラクとの開戦に反対した。大統領になった暁には、イラクから即時に撤退すると表明している。