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奈良県大和郡山市・筒井城 破城令により堀の埋め戻し跡が出土

2010年03月12日 | Weblog
 郡山市教育委員会が11日、織田信長に仕えた戦国大名、筒井順慶(1549-1584)の居城だった筒井城跡(大和郡山市筒井町)で16世紀後半に埋め戻されたとみられる堀の遺構が見つかったと発表した。織田信長(1534-1582)の「破城令」により、大和地方の城をつぶすよう命じて埋められたとする文献の記述を裏付けるものとしている。
 筒井城は大和地方北部を治めていた戦国大名、筒井氏の居城で、これまでの調査で14世紀末~16世紀末ごろまで存続していたと考えられている。
 中心的な建物があったと推定される区画約200㎡を調べたところ、深さ約2・5m、幅約6m、東西約14mの堀跡を確認。断面がV字形の「薬研堀」で城中心部の主郭の南端を区画する内堀とみられる。人為的に一気に埋め戻されたとみられ、更地になっていた。
 当時の祭祀で用いられた素焼きの「かわらけ」など、100点以上の土器も一緒に出土した。筒井城を廃絶する際の祭祀で用いられ、堀とともに埋められた可能性が高いとみている。
 底に約20cm積もった土の上から土釜や中国製の茶碗が出土し、その年代から1575~1600年に埋められたと判明した。
 興福寺(奈良市)の僧侶・多聞院英俊による「多聞院日記」によると、信長は天正8年(1580)8月、郡山城以外の大和地方の城を廃絶するよう筒井順慶に命じ筒井城もこれに伴って廃絶された。同寺周辺の住民が動員されたとされる。
 現地説明会は14日午前10時から開かれる。
[参考:読売新聞、共同通信、産経新聞]

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 2009.2.26 筒井城跡 14世紀末から15世紀前半頃の『畝堀』が出土

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