上牧町教委が12日、久渡(くど)古墳群の久渡2号墳(北葛城郡上牧町上牧)が、背後に周溝を持つ7世紀中頃の円墳(直径約16m、高さ3m)だったと発表した。
終末期古墳(7世紀)にみられる丘陵の南斜面(東西約30m)を削って築造されており、最大幅約13m、最大高さ約5mの溝を築き、墳丘の背後を半円形に囲んでいた。
埋葬部は横穴式石室で全長約9m、幅約1.2~1.9m。 後世の盗掘や採石で破壊されていたが、北西約4kmの明神山(王寺町)の輝石安山岩を加工せず、そのまま用いて築いており、天井石とみられる石(長さ1・6m、幅1m)や、奥壁・側壁の一部が見つかった。
石室の床面には、3km西の高山石切場遺跡(香芝市)付近の石材と似た凝灰岩の破片を敷き詰めており、厚さ約20cm分が残っていた。 天井や壁の石材は赤茶色の自然石で、床(凝灰岩)の白色とでコントラストを造っていたらしい。
そのほか、祭祀跡とみられる土器片や石組みの排水溝、飛鳥時代の平瓦片20点以上、刀や刀装具の破片、琥珀製の棗玉(なつだま)などの副葬品もあった。 棺や骨は見つからなかった。
2号墳については、文献(注1)から天武天皇の皇子・高市(たけちの)皇子(654?~696年)の墓の可能性もあったが、年代が合わない結果となった。
現地説明会は16日(日)午前9時30分~午後3時に開かれる。
[参考:読売新聞、産経新聞、奈良新聞]
(注1) 延喜式 三立岡墓/高市皇子。在大和国広瀬郡。兆域/東西六町。南北四町。無守戸。
過去の関連ニュース・情報
久渡古墳群
キーワード: 久渡古墳群、久渡2号墳
終末期古墳(7世紀)にみられる丘陵の南斜面(東西約30m)を削って築造されており、最大幅約13m、最大高さ約5mの溝を築き、墳丘の背後を半円形に囲んでいた。
埋葬部は横穴式石室で全長約9m、幅約1.2~1.9m。 後世の盗掘や採石で破壊されていたが、北西約4kmの明神山(王寺町)の輝石安山岩を加工せず、そのまま用いて築いており、天井石とみられる石(長さ1・6m、幅1m)や、奥壁・側壁の一部が見つかった。
石室の床面には、3km西の高山石切場遺跡(香芝市)付近の石材と似た凝灰岩の破片を敷き詰めており、厚さ約20cm分が残っていた。 天井や壁の石材は赤茶色の自然石で、床(凝灰岩)の白色とでコントラストを造っていたらしい。
そのほか、祭祀跡とみられる土器片や石組みの排水溝、飛鳥時代の平瓦片20点以上、刀や刀装具の破片、琥珀製の棗玉(なつだま)などの副葬品もあった。 棺や骨は見つからなかった。
2号墳については、文献(注1)から天武天皇の皇子・高市(たけちの)皇子(654?~696年)の墓の可能性もあったが、年代が合わない結果となった。
現地説明会は16日(日)午前9時30分~午後3時に開かれる。
[参考:読売新聞、産経新聞、奈良新聞]
(注1) 延喜式 三立岡墓/高市皇子。在大和国広瀬郡。兆域/東西六町。南北四町。無守戸。
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