歴歩

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新宿区内の小泉八雲の旧居跡を尋ねる

2010年04月05日 | 小泉八雲
 今頃になって、ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)の本を真剣になって読んでいます。日本人が忘れかけている、日本の原点をよく著していると思います。当時の景色や神社・寺院などの描写を記している部分は、場合によっては現状と比較でき興味あるところです。
 桜の季節、新宿区内にある小泉八雲の旧居をメーンに尋ねました。

1.新宿区立小泉八雲記念公園 (新宿区大久保1-7)

 西武新宿駅を降りて、まずは小泉八雲記念公園を訪れました。ここは、平成5年4月に開園されました。
 ギリシャの古代神殿の柱と花壇をイメージした庭園があり、駐日ギリシャ大使から贈られた小泉八雲の胸像が建てられ、在日アイルランド大使から贈られた、八雲が子供の頃を過ごしたアイルランドのダブリンの住宅にあるプレートと同じものが囲いの壁に埋め込まれています。
 庭の手入れが行き届いていて、花がきれいに咲いています。

2.大久保「小泉八雲旧居跡」(新宿区大久保1―1―21)

 小泉八雲記念公園の前の大久保小学校正門脇には、「小泉八雲舊居跡」と刻まれた石碑と「小泉八雲終焉の地」の碑が建てられています。
 明治35年(1902)3月19日に、旧板倉子爵邸を買い取って市谷富久町より移転して、ここに住みました。明治37年(1904)9月26日に心臓発作により、ここで亡くなりました。

3.稲荷鬼王神社(新宿区歌舞伎町2-17-5)

 小泉八雲記念公園からは南へ200mのところ、歌舞伎町の裏手に当たります。全国唯一の鬼の福授けの社として知られます。
 天保2年(1831)、大久保村に氏神として稲荷神社(祭神:宇迦之御魂神)が創建され、宝暦2年(1752)に熊野から鬼王権現(祭神:月夜見命・大物主命・天手力男命)を勧請します。天保2年(1831)に稲荷神と鬼王権現を合祀し、稲荷鬼王神社と改名されました。
 境内の貼りチラシに、「9月中旬例大祭時、御輿渡御だけでなく地元の歴史を振り返る企画地元ゆかりの文豪・小泉八雲、島崎藤村の業績を顕彰する行事と昭和の時代に神社門前に映画館があった事に因みチラシやパンフ等昭和の映画資料、300点近くを境内で無料展示しています。」と記されていました。

4.抜弁天・厳嶋神社(新宿区余丁町8-5)

 稲荷鬼王神社から600mほど東にあり、この周辺の高台にある小さな神社ですが、由緒は古く、応徳3年(1086)、源義家が後三年の役(1083~1087)で奥州平定に向かう途中ここに宿営し、この時、遠く富士山を望み、さらにその先の安芸・厳島神社に戦勝を祈願。そして奥州平定を果たした後、戦勝のお礼のためこの地に神社を建立し、厳島神社を勧請したと伝えられます。
 義家がこの地に立ち寄り、祈願して苦難を切り抜けたという伝説と、また境内参道が南北に通り抜けできることから「抜弁天」ともいわれています。江戸時代の地図にも、厳島神社でなく抜弁天の名前が記されています。その地図と地形からも、参道が南北に通り抜けできることから「抜弁天」という説がぴったりという感じです。源義家が新宿区内に建立したといわれる神社としては、ここが唯一のようです。

5.富久町「小泉八雲旧居跡」(新宿区富久町7-30)

 次は約2km離れた場所、市谷富久町の旧居跡。成女学園の中庭が八雲の旧居跡で、靖国通りに面した同学園敷地内に、「小泉八雲舊居跡」の碑があります。
 八雲は明治29年(1896)9月28日から西大久保に移転する明治35年(1902)3月19日までここに住みました。
 成女学園は明治39年(1906)に麹町より移転してきました。

 参考:島根県松江市「小泉八雲舊居跡」

  明治24年(1891)6月22日から同年11月15日まで住みました。

6.自證院圓融寺(新宿区富久町4-5)

 富久町の小泉八雲旧居の東には自證院圓融寺があります。江戸時代には大きな境内がある瘤寺と呼ばれた寺院でした。明治の初め、明治維新政府の社寺上地令により境内地と墓地の一部を残して寺領の大半は国有地として没収されてしまいました。
 八雲が住み始めたころはまだ、たくさんの木が残っており、お気に入りの場所で、住職とは懇意にしていたそうです。そのうちに、経済的な困難もあり、墓地は中野区上高田に移転、改葬が行われ、広大な寺域も樹木の伐採と寺地が縮小され、それに嫌気をさして大久保に移転しましたが、亡くなった後、葬儀はこの圓融寺で行われました。また、墓は雑司が谷霊園に建てられました。
 昭和20年4月13日の東京大空襲によって、本堂など一切は灰燼に帰してしまい、現在の本堂、庫裡は昭和 52年に再建したものです。
 境内に立つ板碑は、阿弥陀、観音、勢至の三尊の種子が刻まれ、その下に弘安6年(1283)の記年銘が刻まれている区内最古のもので、昭和59年に区文化財に指定されています。
■過去の関連ニュース・情報
 2010.2.28長谷川等伯作「枯木猿猴図」の所有者の変遷と消失→自証院

7.新宿歴史博物館(新宿区三栄町22)
 最後は、新宿歴史博物館で「佐伯祐三展-下落合の風景-」(3月27日~5月9日)が開催されており、観てきました。
 新宿区立佐伯公園(新宿区中落合2-4-22)には何度か足を運んでおり、非常に興味がありました。40点ほどの作品が出品され、そのうち「下落合風景」が13点も含まれています。テニスをしているところ、あるいはスキーをしているところを描いた作品もあり、当時の下落合の状況を知る上でも参考になります。

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