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立山・剱岳山頂の錫杖頭 制作年代特定できず

2008年08月18日 | Weblog
 昨年9月24日立山博物館と元興寺文化財研究所(奈良市)は、明治40(1907)年に剱岳山頂(標高2999m)で発見された国指定重要文化財「銅錫杖頭(どうしゃくじょうとう)」の蛍光エックス線分析に着手したことを発表した。
 金属の組成などを解析し、製造年代や産地と特定することが目的。人跡未踏とされていた剱岳に修験者がいつ登頂したかの解明につながると期待される。
 奈良時代後半から平安初期に作られた錫杖は10点前後あるとされており、科学的な調査は今回が初めて。
 立山博物館は昨年(1906)9月、立山信仰の内容が描かれている立山曼荼羅をデジタル近赤外線撮影し、絵図の下に描かれている原図などを解析した。[参考:北日本新聞]

 今月17日までに、「錫杖頭」の蛍光X線分析の結果が富山県立山博物館に届いた。
 しかしながら、制作年代や制作地は最新の手法でも特定に至らず、剱岳の錫杖頭は従来通り「奈良時代末期から平安時代初期」という大まかな制作年代で語られることになった。
 錫杖頭の制作年代については、発見から4年後の1911(明治44)年、考古学者の高橋健自が論文の中で、素朴な形状から「奈良時代末期から平安時代初期」と推定し、以来、これが定説のようになっている。
 報告書によると、錫杖頭から検出した銅、鉛、スズの元素から青銅製であることが確認されたものの、奈良時代の青銅に特有のアンチモニーは検出されなかった。また、金メッキの有無を示す金の成分も確認できなかった。

◆剱岳の錫杖頭 明治40年(1907)、陸軍参謀本部測量官の柴崎芳太郎の一行が、鉄剣とともに剱岳山頂から持ち帰った。柴崎らより先に剱岳に登頂した者がいたことを示す証拠であり、剱岳の山岳信仰を物語る。長さは錫杖頭が13・4cm。鉄剣が22・6cm。いずれも国指定重要文化財で、立山博物館が所蔵・展示している。[参考:富山新聞]

 伝説によると、立山の開山は大宝元年(701)に越中の国司、佐伯宿禰有若の子、有頼が立山権現の導きにより立山を開山した。
 天台教団によっても9世紀半ばから10世紀初頭までに開山され、一大拠点となっていた。
2004.3.9の共同通信の記事を見ると、
 東京都立大の福沢仁之教授(地理学)らのグループが、みくりが池(2404m)の底の堆積物と年縞(ねんこう)を調べた結果、人間の活動に由来するリンの量が、4世紀に上昇し安定、558年にさらに濃度が高くなっており、4世紀ごろから周辺に人間が入り、立山信仰の始まりが6世紀までさかのぼる可能性があることを発表している。

 ちなみに、白山(標高2702m)は養老元年(717) 越前の僧・泰澄(682-767)が開山したとされている。

2010.2.1 コメント
 映画「劔岳 点の記」(監督・撮影:木村大作)でも、この場面がありましたね。
 劔岳は一般的には「剣岳」とも書くが、正式表記は「劔岳」だそうです。

2011.6.22 追記
剱岳の錫杖発見地確認調査へ
 富山県埋蔵文化財センターは21日「立山・黒部山岳遺跡調査指導委員会」で、剱岳の山頂付近で明治時代に発見された錫杖の頭部と鉄剣が見つかった位置を確認するため、7月下旬に調査すると報告した。 世界文化遺産登録を目指す上での基礎資料とする。[参考:読売新聞]

2012.2.17 追記
剱岳の錫杖発見地確認調査結果、位置特定に至らず
 県埋蔵文化財センターは16日、富山市内で開かれた立山・黒部山岳遺跡調査指導委員会で、昨年7月に実施した調査で、三角点や社の設置などで山頂近くの地形の変化が激しかったため、錫杖の頭部と鉄剣が見つかった位置の特定に至らなかったと報告した。
 2013年度以降に再び調査するとしている。[参考:中日新聞]



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