歴歩

歴歩 歴史は歩く。ゆっくりと歩く。それを追いかける。

海老名市・常泉院 青山忠俊公終焉の地

2011年03月25日 | Weblog
曹洞宗 金龍山 常泉院 (海老名市上今泉4-3-1)  愛甲郡七沢村(現・厚木市)広沢寺末

 秋葉山古墳群の墳丘(標高84m)を南に下った所に、当院がある。

 参道と山門

 山門の手前に石碑があり、下記が刻まれている。
 「当院は文治年中(鎌倉時代)開基白翁法印より真言宗・今泉山福泉寺を創建す。
 その後廃絶せしを 天文十九年(室町時代、1550) 厚木市七沢曹洞宗広澤寺第3世勇安賢存大和尚により法燈を掲げ 今の山院号 金龍山常泉院(境内深谷中より、清泉常に湧き出ずるをもって) に改められる。
 本尊は虚空蔵菩薩を安置し、元和年中(江戸時代) 青山伯耆守忠俊公を開基として伽藍を建立し、境内に青山家寄附により、十一重の寶経塔及び同家数代の位牌が現存している。
 後方の峰には三ヶ所の塚があり之を秋葉古墳(注1)と称す。」

 

 山門を通り過ぎ少し行くと、青山忠俊公の十一重の宝経塔が建っている。 石には文字が刻まれているのだが、残念ながら判読できるほどの状態ではない。
 忠俊公は、最後をこの地(今泉)で過ごし、墓は先の下溝の天応院にあるとされている。

 本堂に飾られている寺紋・家紋は総持寺・五七桐紋と永平寺・久我竜胆紋と丸に正三角形の三鱗紋(後北条氏)であった。三鱗紋は真言宗時代の家紋を踏襲して使用しているらしい。


(注1) 秋葉山古墳群は、3世紀後半から4世紀前半までの5つの古墳から成る。 当院から秋葉山古墳群を見ると、前にある3つの古墳しか見えず第4、5号墳は裏に隠れて見えない。
 写真は第1号墳の前にある説明板に1号墳の写真を重ねてみた。


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