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長浜市・塩津港遺跡 平安後期12世紀中頃の石敷きの護岸跡を発見

2012年07月13日 | Weblog
 滋賀県文化財保護協会が12日、長浜市西浅井町塩津浜の塩津港遺跡(しおつこういせき)から、湖岸を埋め立てた平安時代後期(12世紀中頃)の石敷きの護岸跡と建物跡とみられる遺構が見つかったと発表した。 塩津港は、奈良時代から明治に琵琶湖の水運と北陸への陸路を結ぶ要衝だったことが、万葉集をはじめ多くの文献に記される。 当時は、平安京と北陸を結ぶ重要なルートであった。 中世の遺構の発見は初めてという。
 国道8号バイパス建設工事に伴う調査で、遺構は、湖に突き出た南北18m、東西14m(約250㎡)の埋め立て部。 護岸跡は、西側と南側で確認された。いずれも、幅約2・5m、長さ約7mで、直径30~10cmの石を敷き詰め、水際にあたる部分は、木杭と横矢板で土留めし、土砂、礫が何層にも重ねてあり、最大の高さは、湖面より1.5mにもなる。 同様の工法は、同じ時代に造られた京都市南区の鳥羽離宮でしか見つかっていないといい、塩津港の重要性がうかがわれる。
 陸側には1m四方の井戸跡のほか、地面に口を露出させて埋められた甕が見つかった。 甕は灯明用の油を入れていた可能性があるという。中国製の青白磁片や、船を建造するためのクギも出土した。 また、周辺には加工した石材も見つかっており、何らかの建物があった可能性がある。
 出土した土師器皿や甕から、12世紀中ごろの平安時代後期に造られたと判断した。
 平安後期の神社跡からは、木製の神像5体や、船形木製品、神への誓詞「起請文(きしょうもん)」が書かれた大量の木簡が出土している。 また、昨年末に見つかった柱の多くが湖面とは逆の北側に傾いていたことが分かり、1185年の大地震で損壊したとみられているとしていた。
 現地説明会が14日午後1時半から開かれる。
 7月21日から9月2日まで、県埋蔵文化財センター(大津市瀬田南大萱町)で調査成果を紹介する写真パネル展が開かれる。
[参考:中日新聞、読売新聞、京都新聞]

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 2011.12.30 塩津港遺跡 平安時代末期の津波による痕跡か、一様に北側に傾いた柱跡が見つかる
 塩津港遺跡
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