歴歩

歴歩 歴史は歩く。ゆっくりと歩く。それを追いかける。

宮城県山元町・内手遺跡 県内2例目の横口式木炭窯が見つかる

2011年12月09日 | Weblog
 宮城県教委は8日、亘理郡山元町浅生原の内手遺跡で、奈良・平安時代の「横口式木炭窯」1基と「地下式窖窯跡」7基の計8基の炭窯跡が見つかったと発表した。 製鉄の際に使用する木炭を生産した区域と考えられるとしている。 横口式木炭窯は、西日本での発見例が多く、県内では利府町の硯沢窯跡に次いで2例目となった。
 今回見つかった横口式木炭窯の焼成室は長さ3.8m、幅1.2mで、横口が3カ所あった。
 炭窯跡の東側約100mの地点では多量の鉄屑が確認されているため、内手遺跡が製鉄関連遺跡と推定している。 古代の福島県相馬地方では大規模な製鉄が行われ、大量の炭が使われており、相馬地方の製鉄遺跡群が山元町まで広がっていたとみられる。
 現地説明会が11日(日)午前10時半から開かれる。
[参考:河北新報、宮城県HP]

過去の関連ニュース・情報
 硯沢窯跡

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

津市・多気北畠氏遺跡 城下町の存在を示す石列が見つかる

2011年12月09日 | Weblog
 津市教委は、室町時代から戦国時代にかけ、伊勢国司の北畠氏が本拠地とした津市美杉町上多気(たげ)六田地区の多気北畠氏遺跡から、城下町の存在を示す石列が見つかったと発表した。
 10月からの調査で、館跡の100m東の地中から、直径50cm前後の石が8mにわたり並んでいるのが見つかった。過去の調査で向かい側にも並行する石列が確認されており、館から城下町を東西に貫く目抜き通りがあったと推定されるという。北畠氏が計画的に城下町を築こうと整備を進めていたとみられるとしている。
 北畠氏は九代240年にわたって南伊勢を治め、山あいの美杉町多気地域を拠点とした。北畠氏滅亡後の江戸時代に描かれた城下絵図には、町家などが立ち並ぶ大規模な城下町が記されているが、他に確かな資料がなく存在が裏付けられていなかった。
 現地説明会は10日午後1時半から開かれる。 館跡がある北畠神社に集合。
[参考:中日新聞、伊勢新聞]

過去の関連ニュース・情報
 多気北畠氏遺跡
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

大崎市・新田柵跡推定地 南東端とみられる大溝跡が見つかる

2011年12月09日 | Weblog
 大崎市教委は8日、奈良時代前半に造営された古代城柵の一つ「新田柵(にいたのさく)跡推定地」(同市田尻)の南東端と思われる大溝(区画溝)の跡を見つけたと発表した。 大溝は防御壁の土を盛るために掘った跡で、大溝の隣に土を突き固めた築地塀や土塁を作り、水を貯めた大溝と合わせ北方の蝦夷勢力に備えた防御遺構という。
 大溝は上部幅4.5m、下部の幅2.7m、深さ2mの逆台形で長さ約100m。 遺跡の外郭南辺の一部とみられる。 ただ、今回は土塁や築地塀跡の確認には至らなかった。
 これまでの調査と合わせ遺跡は小丘陵の尾根沿いに南辺900m、西辺900m、北辺1500m、東辺推定1500m(未確認)にわたって区画したとみられる。
 「新田柵推定地」は「続日本紀」天平9年(737)4月14日戊午の条に、「遣陸奧持節大使從三位藤原朝臣麻呂等(略)、判官正六位上大伴宿祢美濃麻呂鎭新田柵。(略)」と記されている新田柵に比定されるが、中心部が未発見で「推定地」にとどまっている。
 現地説明会が11日(日)午前10時半から開かれる。
[参考:毎日新聞、読売新聞]

過去の関連ニュース・情報
 新田柵
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

熊本県玉名市・塚原遺跡 1~3世紀の環濠集落跡が見つかる

2011年12月09日 | Weblog
 玉名市教委文化課は8日、塚原遺跡(同市岱明町野口塚原)で、弥生時代中後期(1~3世紀)の環濠集落跡と大型の竪穴建物跡などを発掘したと発表した。 古い海岸線のそばで、近くには装飾品のゴホウラ貝製貝輪が出土した「年の神遺跡」(支石墓)もあり、海上交易の中継拠点の集落とみている。 菊池川下流域の環濠集落跡は初めての発見という。
 出土したのは、住居・建物跡23軒分やV字形の溝(幅約5m、深さ約2・2m)、甕棺墓4基など。 溝は形状や位置から集落を守る機能を持ち、一帯が環濠集落だったとみられる。
 住居跡は円形や四角形で、直径11mの円形の竪穴建物跡は、弥生中後期としては九州最大級。
 弥生遺跡の南側からは、古墳時代前期(4世紀)の集落跡と、古墳時代中期(5世紀)北部九州に多い石棺系石室を持つ円墳、南北朝時代(14世紀後半)の溝や建物跡なども見つかった。
一般公開は10日(土)午前10時-午後4時に行われる。 午前10時と午後1時に説明がある。
[参考:熊本日日新聞、西日本新聞、読売新聞、朝日新聞]
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

淡路市・横入遺跡 1世紀の大規模環濠が見つかる

2011年12月09日 | Weblog
 兵庫県立考古博物館が7日、淡路市志筑(しづき)の「横入遺跡」(よこいりいせき)で、弥生時代中期(1世紀)の集落の環濠とみられる溝(幅0・7m、深さ0・4m、長さ32m)が見つかったと発表した。 昨年確認された分と合わせて長さ68mになり、40m四方の集落を囲んでいたとみられる。 本来の環濠の幅は約2mと推定される。 淡路島で弥生時代の環濠跡が見つかったのは洲本市の安乎間所遺跡(あいがまどころいせき)に次いで2例目となる。
 また、古墳時代中期(5世紀)の土坑4基(直径0.5~0.7m、深さ0.4~0.7m)も確認された。 3基は等間隔で並び、祭祀用とみられる土師器の甕や壺、鉢、高杯などが据えられていた。
 現地説明会が10日(土)午後1時30分から開かれる。
[参考:読売新聞、朝日新聞]

コメント
 横入遺跡の詳しい場所が調べきれない。 志筑川河口近くの沖積地に立地され、藤原宮の複弁八葉蓮華文軒丸瓦と同じ笵を使って作られた淡路島で最古の寺院である志筑廃寺(奈良~平安時代)が北側近くにあるようだ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

草津市・宮前遺跡 11世紀の青銅製八稜鏡が出土

2011年12月09日 | Weblog
 草津市教委が8日、弥生~鎌倉時代の集落遺跡「宮前遺跡」(同市川原町)で、掘立柱建物跡の柱穴から、平安後期(11世紀)の青銅製の「八稜鏡(はちりょうきょう)」(直径9cm、厚さ0・25~0・3cm。重さは106g)が出土したと発表した。 鏡面を上にした状態で見つかった。県内では栗東、大津、東近江各市内で出土例があるが、草津市内では初めて。 また、建物跡の柱穴から見つかったのは県内初という。
 成分分析の結果、銅と鉛が多く、光沢を生む錫ほとんど検出されなかったため、実用品ではなく、祭祀に作られたとみられる。
 また、鏡が建物の柱を抜き取ったあとに埋められたとみられることから、建物を取り壊したあとの地鎮祭祀に使われたのではないかとみている。
 13~25日の午前9時~午後5時、草津市立草津宿街道交流館(草津)で公開される。
 17日午前10時、同11時半に発掘担当者による説明会がある。
[参考:読売新聞、産経新聞、NHK大津放送局]
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

京都市中京区・平安京右京三条一坊六町跡 墨書土器が出土し、右大臣・藤原良相の邸宅跡「百花亭」と判明

2011年12月09日 | Weblog
 佛教大と京都市埋蔵文化財研究所は8日、平安京右京三条一坊六町に当たる場所(中京区西ノ京星池町17番地59他)の発掘現場で「三条院釣殿高坏(つりどのたかつき)」と墨書された土器が見つかり、平安前期の右大臣・藤原良相(よしみ、813-867)の邸宅「西三条第(百花亭)」跡と確定したと発表した。 鎌倉時代の「拾芥抄(しゅうがいしょう)」によると、発掘区域は平安時代の右大臣藤原良相の邸宅「西三条」に該当する。
 今回の発掘で9世紀の池跡(南北約24m、東西18m)や池に面した建物、溝が見つかり、池底から墨書土器が出土した。 百花亭は良相の姉で、第54代仁明天皇(810-850)女御、文徳天皇(827-858)の母だった藤原順子(のぶこ、809-871)が約1年間滞在したことが「日本三代実録」の記録にあり、墨書には皇族の滞在場所を示す「院」の文字を使用したと見られる。 5月に同じ現場で百花亭とみられる遺構が見つかっていたが、百花亭は史料により、位置について諸説あり特定できなかった。 今回、墨書の発見により、裏付けられた。
 三代実録によると、貞観八年(866)年に清和天皇(850-881)が藤原良相邸を花見で訪れ、集まった文人が「賦百花亭詩」と詩を作り宴をあげている。
 ほかに、高級な輸入陶磁器や墨書土器、水晶、櫛、碁石などが多数出土した。
 現地説明会が10日(土)午前10時~正午と午後1時~3時に開かれる。
[参考:共同通信、産経新聞、京都新聞、朝日新聞]

過去の関連ニュース・情報
 2011.5.27京都市中京区・平安京右京三条一坊六町跡 「百花亭」建物跡?が出土
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする