歴歩

歴歩 歴史は歩く。ゆっくりと歩く。それを追いかける。

東京文京区・水神社

2011年12月26日 | Weblog
水神社(すいじんじゃ) 文京区目白台1-1-9



 鳥居の右横に水神社の説明板が立っている。
 説明板には下記が書かれている。
「祭神は、速秋津彦命(はやあきつひこのみこと)、速秋津姫命(はやあきつひめのみこと)(注1)、応神天皇。創建の年代は明らかでない。『江戸砂子』には、「上水開けてより関口水門の守護神なり」とある。
 わが国最古の神田上水は、徳川家康の命により、大久保主水(もんと)(注2)が開いた。井頭池からの流れを目白台下の現大滝橋のあたりに堰(大洗堰)を築き、水位を上げて上水を神田、日本橋方面に通じた。
 伝えによれば、水神が八幡宮社司の夢枕に立ち、「我 水伯(すいはく、水神)なり。我をこの地に祀らば堰の守護神となり、村民を始め江戸町のことごこく安泰なり。」と告げたので、ここに水神を祭ったという。
 上水の恩恵にあずかった神田、日本橋方面の人たちの参詣が多かったといわれる。また、このあたりは田園地帯で、清らかなかんだ上水が流れ、前には早稲田田んぼが広がり、後ろには目白台の椿山を控え、西には富士の姿も美しく眺められて、江戸時代は行楽の地であった。
文京区教育委員会          昭和58年3月」

 江戸名所図会の「水神社、八幡宮」の挿画には、一棟の社殿に水神社、八幡宮と記されて描かれている。
 さらに、
■水神社
(略) 竜穏庵別当たり。上水の守護神を祀らん為に、北辰妙見大菩薩を安置す。祭神は罔象女(みづはのめ)(注1)なり。(略)
■八幡宮 同じ社地にあり。往古より鎮座といふ。下の宮と称し、椿山八幡宮とも称せり。(略)
 と、書かれている。

(注1)江戸名所図会では、日本神話における水の女神・罔象女(みづはのめ)が祭神となっているが、現在は、罔象女に代わって、速秋津彦命、速秋津姫命の男女二神が祭神となっている。 日本書紀では、罔象女の表記は「みつはのめ」である。
(注2)大久保藤五郎忠行(?-1617)のこと。三河国出身。家康の家臣。家康の江戸入府に際し上水道の開設を命じられ、のちの神田上水のもとになったものを見立てたとされる。その功により代々主水を名乗る。ただし、水が濁らないようにという縁起をかついで「もんと」と称したという。谷中の慈雲山瑞輪寺(日蓮宗)に大久保忠行の立派な墓が建てられている。 瑞輪寺は1591年の創建で、開基大檀越は徳川家康という。 最初は、日本橋馬喰町に建てられたが類焼のために神田に移転(1601)。 その後再び類焼したため、慶安二年(1649)に現在の地、谷中に再建された。したがって、大久保忠行の墓は、瑞輪寺が神田にあった時に、建てられたことにる。


 この神社を訪れたのは、12月20日。 その日に行われた、小日向一・二丁目南遺跡の現地説明会の後、神田川を沿って高田馬場駅まで歩いた。 その途中、まだ黄色く色づいている大きなイチョウの木が見えた。 それが、水神社の境内の生えている夫婦のイチョウの木であった。 樹齢は約300年とか。

 境内の階段を昇り切ると祠に近い小さい社殿がある。 それでも、瓦葺で、内削の千木(女性神)と3本の鰹木(男性神)を備えている。
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