カゲロウの、ショクジ風景。

この店、で、料理、ガ、食べてみたいナ!
と、その程度、に、思っていただければ・・・。

鳥九

2012年05月05日 | 東京
「新橋の宵の鳥。」

そんな大雑把な話を鵜呑みにする程のお人好しではない、そのつもりではあるけれど、それでもその機会が持てるのならば、少しは試してみてもいい、そんな気が起こるのを、無意味な意固地で押し殺す程には、カゲロウは頑迷ではなかった。

おおよそ、関東と関西で比較してみれば、圧倒的に関東の方がレベルが高い、そう喧伝されている大衆料理が幾らかあるということは、少なくとも多少は食べることに関心のある関西人ならば、そこはかとなく耳にしたことのある、聞き捨てならない風評ではあるだろう。

そんな中、カゲロウの脳裏に思い浮かぶその筆頭といえば、蕎麦、豚カツ、そして、焼き鳥、少々気になるのはそれらの類であり、その日の夜、タイミング的に、他でもないこの新橋に居ることになるのであれば、その中のひとつ、焼き鳥屋を素通りするなどという間抜けな行いは、おそらく長く尾を引いて、後々後悔しない訳にはいかないことになるのだろうと、カゲロウは己の未来の心境を案じることなしにはいられない。

2012年、4月の終わりの夜2200、長引く不況の真っ只中、どこか寒々しい雰囲気の祇園や新地とは違い、この新橋の夜の喧騒は、関西人にとってある種異様ですらある。

そんな雑踏から少し離れた細い路地、その片隅に、目指す焼き鳥屋はひっそりと小さく店を構えていた。
こじんまりと、思っていたよりも狭く、静かで、しかし明るいその店内は、畏まっているという程ではないけれど、砕けた雰囲気とも言い難い。

どこか茫洋とした雰囲気のその大将は、堅苦しさは感じさせないながらも、だからといって気軽に声をかけられそうな人物でもない。
己のペースを崩さない、紛うかたなきその職人的雰囲気の持ち主は、煙草を燻らせ、ジョッキを傾けながら、串を刺し、鳥を焼く。

と、おもむろにその場を離れ、店の表に出て別の戸口から入店し、そのままお手洗いに入り、直に出てくる。
おそらくは、弟子の仕事をチェックしているのだろう。

大将がふいと持ち場を離れると、弟子がすっとその場に立ち、そしてその鳥は、しかし間違いのないタイミングで火に炙られ、何事もなかったかのように客に提供される、その風情というのは、まるで何かの儀式のようですらある。

焼き鳥といえば酒の肴に過ぎない、そんな軽々しい認識とは程遠いニュアンスの料理が、6本、もしくは10本のコースでのみ提供される、それがこの焼き鳥屋唯一のメニュウのようである。

だが、かといって関西でありがちな、お上品な創作料理的風情の、一応は焼き鳥と称するようなものとは程遠い、如何にも食べる者の欲望に見合った、骨太な芯を感じさせる、焼き鳥以外の何ものでもない、そんな焼き鳥である。
カゲロウの、現実の記憶の中にはないけれど、心の中のイメージでは、そうあるべき、そうあって欲しいという想いを抱いていた、そんな焼き鳥でもある。

それはつまり、大枠としてイメージ的に心中描いていた料理と、然程かけ離れた焼き鳥ではない。
だがしかし、やはりそれは、あらゆる面においてカゲロウの予想したスケールを上回る、期待以上の焼き鳥だった、そのように言うべきなのだろうと、後になって尚更に、そう思える。

鳥九焼き鳥 / 新橋駅内幸町駅汐留駅
夜総合点★★★★ 4.0



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