ザ☆シュビドゥヴァーズの日記

中都会の片隅で活動する8~10人組コーラスグループ、ザ☆シュビドゥヴァーズの日常。
あと告知とか色々。

晴れやかに

2015-09-18 23:41:00 | ヨン様
こんばんは、ヨン様です。


思ったよりも編曲が進みませんなぁ…。
もっと集中してガツガツ進めないと!

ここ一ヶ月くらいほとんど晴れ間なしでさすがに気が滅入りますね。
今年は残暑もへったくれもなくいきなり涼しくなってしまって、過ごしやすいには過ごしやすいけど、体が追いつかない感があります。


幸い、明日以降関東以南の地域では晴れるところがおいようです。
心もぱーっと晴れやかに編曲に取り組みたいと思います…!

それでは、また。

三度じゃない

2015-09-17 23:50:10 | ヨン様
こんばんは、ヨン様です。


今日はけっこう編曲に時間を使うことができました。
明日明後日と完成に近付けていきたいと思います。

ポップス調の曲はどれも似たようなコード進行になりがちですが、たまに違った雰囲気を持っていると編曲するのが楽しくなります。
もちろん、そのぶん難しくもなったりするわけですが。

今回の曲は、三度の積み重ねではなく五度(または四度)の積み重ねでできた和音が多く登場します。
三度が骨格になっていないと、ピアノで弾いたり合唱で歌ったりするとどうしても空虚な印象になってしまいがちなので、うまくそこを乗り越えて効果的な編曲ができればと考えております。

コード進行以外でも、独特の構成・展開を持っていたりするので、そういった点でも面白い曲ですね。
早く完成させたいなぁ。


引き続き頑張ります。

それでは、また。

命名センス

2015-09-16 23:58:17 | ヨン様
こんばんは、ヨン様です。


最近、同級生で子どもができたという人が増えてまいりました。
幸せそうな様子を微笑ましく思うとともに、もうそんな時期なのかと驚いてもいます。

家庭を持つっていうのは、想像しただけでも大変そうですよね。
もちろん良いこともあるんでしょうけれども、いろいろな面での覚悟が必要なのではないかと思います。
まだ自分には縁遠そうな話だ…。


ところで、命名センスはシュビでもピカイチといわれるこの私ですが、お子さんの名前に迷ったさいはぜひお声かけください。
先日も友人に女の子が生まれたということで

「輝夢(きらり)」

「聖(せいら)」

「大猿(ごりら)」

などの候補を挙げたところでございます。
残念ながら、今回はもうすでに決めた名前があるということで採用されませんでしたが、お望みとあればいくらでも候補をお出ししましょう。
もちろん、サービス料金等は一切頂きません。
この機会にぜひ。


それでは!

日常のブラックボックス

2015-09-15 23:26:18 | ヨン様
こんばんは、ヨン様です。


ブラックボックスと呼ばれるものがあります。
入力と出力だけが問題にされて、その内部構造が明らかにされていないもののことです。

例えば、目の前に謎の箱があって、それに鉄を入れたとしましょう。
そして数分後、その箱を開けるとなんと鉄は金になっているのです。
どのようにして鉄が金になるのかはわかりませんが、ともかく鉄を金にできることはわかっている。
つまり、入力(=鉄)と出力(=金)だけがわかっていて、その仕組みがわからないため、この謎の箱はブラックボックスだというわけです。

上述のような極端な例はともかく、ブラックボックスというのは、「得体の知れないもの」のような印象を受けるかもしれません。
その内部の仕組みがわかっていないものを安易に利用するのは、単純に不安が伴いますし、場合によっては危険を及ぼす可能性すらあるからです。
しかし、実は私たちの身の回りは、広い意味でのブラックボックスであふれかえっているのではないでしょうか。

たとえば普段使う携帯電話やスマートフォン。
とりあえず通話やメール、メッセージのやりとりができることはそれこそ誰でも知っていますし、多くの人がそれを実際に使用することができます。
しかし、そのような人のうち、どのような仕組みで音声の送受信が行われ、メッセージのやり取りが行われているのかを仔細に説明できる人がどれくらいいるでしょうか?
私たちは携帯端末が通話をはじめとする情報のやり取りに使えることを知っていますが、あの小さな機械のなかで、音声情報や文字情報がどのような仕組みで電波に変換され、それらがどのような仕組みで受信者のもとで再生されるのかは全くといってよいほど知りません。
つまり、入力と出力については関心がありますけれども、その内部構造についてはほとんどの人が無関心のまま利用しているのです。
これは一種のブラックボックスと呼べるのではないでしょうか。

このような日常のブラックボックスは、なにも高度な情報端末に限りません。
たとえばアコースティックピアノ。
鍵盤を押すことでその位置に応じた音がなる、ということは誰もが知るところでしょう。
また、鍵盤を押すとハンマーが弦を叩き、それによって音が出ている、ということくらいは誰でも知っているかもしれません。
しかし、それでほんとうにピアノの発音機構を理解したことになるのでしょうか?
ピアノの中をのぞいてみると、とても「ハンマーが弦を叩いている」と一言で説明がつくほど簡単な機構ではないことがわかるはずです。
なぜ鍵盤を押している間だけ弦が振動を続け、鍵盤から手を離すと音が止まるのでしょう?
ペダルを踏んでいる間は、鍵盤から手を離しても弦が振動し続けるのはなぜでしょう?
さらに言えば、そもそもなぜ「鍵盤を押す」という入力行為が「ハンマーが弦を叩く」という運動につながり、「音が鳴る」という出力現象につながるのでしょう?
私自身ピアノを弾くこともありますが、はっきりいってその発音機構についてはほとんど知りません。
これも結局、入力と出力のみが問題とされるブラックボックスと言えるのです。

ブラックボックスというと得体のしれないものを連想するしれませんが、こんなふうに、日常生活においてはむしろ入力と出力のみが問題にされ、その内部構造が問題にされることはまれなのです。
私たちがブラックボックスに対して危険を感じることがあるとすれば、それはその対象が内部構造のわからないブラックボックスだからではなく、もっと別のところに理由があるのでしょう。

ところで、私たちにとってもっとも身近なブラックボックスとはなんでしょうか。
私は、言語がそうなのではないかと思っています。
私たち日本語母語話者は、非母語話者からすれば非常に微妙だったりわかりにくかったりすることばの使い回しの直感を、かなりのところまで共有することができます。
たとえば、

「犯人は誰ですか」

という問いに対しては、

「太郎が犯人です / 犯人は太郎です」

というふうに答えるのが自然であり、

「太郎は犯人です / 犯人が太郎です」

と答えるのは日本語としてきわめて不自然であるということは、それこそ情報端末の利用方法やピアノの演奏方法以上に自明のことのように思われます。
一方、「は」と「が」という助詞の対立のない言語(英語など)の母語話者からすれば、この使い分けを理解するのは極めて困難です。
私たち日本語を母語話者とする人間は、ほとんど全ての人について、日本語の使い方については、かなり細かいところまで理解しているといえるのです。

しかし、そのようななに不自由なく日本語を駆使できる人の中で、どうしてこのような使い分けが生じるのか、どのような場合に「が」が用いられ、どのような場合に「は」が用いられるのかを必要十分に説明できる人はどれほどいるでしょうか?
あるいは、日常生活の中でそのようなことを改めて考えてみるひとがどれくらいいるのでしょうか?
こんなことに興味を持つのは、一部のもの好きと言語研究者くらいです。

これはつまりどういうことかといいますと、ほぼすべての日本語母語話者が「「は」と「が」がどのように使い分けられているか」という言語の表面的なこと(入力と出力)については経験的によく知っているのに対して、「「は」と「が」がどのような仕組みによって使い分けられているか」という言語内部の理由づけ(内部構造)についてはほとんど知らないし、説明する必要もないと考えている状況だということなのです。
これはまさしく、先にみたブラックボックスの例と同じ関係性(!)になっているではありませんか。

私たちは文字を発達させる以前に言語を獲得し、長らくそれがコミュニケーションの中心的な地位を占めてきました。
また、近代以降、社会の発展に伴い、文字をはじめとする音声言語以外の情報伝達方法が発達してきており、音声言語による伝達の重要性は相対的に減退しているのかもしれませんが、やはり依然として人間のコミュニケーションや思考の中枢をになっているのは(音声)言語です。
つまり、言語というのは、私たちとってももっとも古く、そして新しいコミュニケーションツールなのです。

ところが、私たちはその最も原初的なコミュニケーションツールについてさえ、まともに説明することができません。
もちろん、母語話者同士では説明する必要がないために普段は問題にならないわけですが、いざ自分の表現を反省的に見つめ直そうとしたときに、実はそれまで言語の入力と出力だけを問題にして、内部構造については関心を払ってこなかったということ、すなわち、最も原初的なツールである言語も得体の知れないラックボックスであったということに気がつくのです。


もちろん、ものごとの一つ一つについてその内部構造を問題にしていてはハッキリ言って肩がこるのでやめておいたほうがいいでしょう。
しかし、自分が興味を持ったこと、追究しなければならいことについては、改めてその内部構造に迫ってみるのも大事なのではないかと思います。
ここだと思った時には、ぜひとも日常の中のブラックボックスに秘められた謎を解き明かしていってください。

それでは、また。

二面性

2015-09-14 23:49:47 | ヨン様
こんばんは、ヨン様です。


編曲に限らないかもしれませんが、編曲を進めていると自分で作ったものに対して「これはすごいアイディアを思いついてしまった!」と感動する瞬間と、「こんなの誰にでも出来るやん…」と落胆する瞬間とがあります。
作編曲は、仮に対価を得られるものであったとしても、いろいろな技術的な問題が発生して思うようにいかなかったりと、必ずしも順調な作業というわけにはいきません。
なので、感動体験があるということは、作業のモチベーションを維持する上で非常に重要です。
そういう瞬間があることで、作業を進めていて楽しくなれますし、なによりそれ自体が自己実現になるわけです。


ただ、そういうものにすがっているだけでは前進することが難しいのも事実です。
一度自分の積み上げてきたものを見つめ直したり、ときには部分的に壊してみたりしなければ、同じものの再生産にとどまってしまうんじゃないかと思います。
過去の栄冠のいうほどではありませんけれども、自分を乗り越えるためのジャンプアップはどこにいても必要なものです。

まぁ、私個人はそこまで成長志向でもなければ芸術志向でもないので、少なくとも編曲に関していちいち自分を見つめ直しているわけではありませんけれども、その程度の意識の私でも停滞感を感じることがあります。
とすれば、本気で取り組んでいる人の苦悩はいかほどのものかというのは、察するにあまりあることです。


ある意味気楽で幸せなのかもしれないなぁ。
引き続き頑張ろう。

それでは!

目標

2015-09-13 23:06:14 | ヨン様
こんばんは、ヨン様です。


目標として、今週中に一曲編曲を完成させたいと思います。
まぁそんなに作業が早い方ではないのでちょっと遅れてしまうやもしれませんが、頑張ります。

そろそろ9月も折り返しかと思うと早いですねー。
あんまり時間は無駄にしていられません。


気を引き締めてまいりたいと思います。

それでは!

8ページ

2015-09-12 23:35:09 | ヨン様
こんばんは、ヨン様です。


締切がまた一つ終わってちょっと落ち着けそうです。
編曲関係ではありません。

8ページに自分の考えをまとめるのって大変だなぁと思いながら作業していたんですが、日常的なレベルでは8ページって多いのかな?
たしかに読書感想文をA48枚で書けって言われたらけっこうしんどいかも…。
1ページにつき1500字くらいびっしり書いたら、12000字くらいになるからけっこうな大作ですよね。
大学のレポートでそんなハードルを要求するところってあるんだろうか。

ちなみに私が書いているのは隙間だらけなので7000字弱くらいに収まっています。
トナーの節約しなくちゃね!


ともあれ、これで今週中に少し編曲を進められるそうです。
はい、頑張ります。

それでは!

折り返し

2015-09-11 23:00:21 | ヨン様
こんばんは、ヨン様です。


現在頼まれ編曲の状況はひと段落しておりまして、今のところシュビ編曲のみとなっております。
9月中にもうひと頑張りしなければ。

といっても、シュビ編曲の方もほぼ折り返し地点まで来ており、残すは半分以下。
といっても6曲くらいありますが。
っていうか6曲もあるのか。
自分で言っててビビりました。


時間作って頑張らなきゃなぁ。
うむ。


自分を鼓舞しつつ進めてまいりたいと思います。

それでは、また。

御開帳並みの雨

2015-09-10 23:55:26 | ヨン様
こんばんは、ヨン様です。


雨がすごいですなぁ。
茨城では川も氾濫するし、えらいことになっております。
幸い浸水などの被害はありませんでしたが、警報がバンバン出てて少しびっくりしました。
いやはや。

この間の日曜日(シュビ練習の帰り)も物凄い雨でしたね。
最寄り駅に着いたらバケツどころか一斗缶をひっくり返したような猛烈な雨が降っておりまして、自転車で駅まで来ていたために足止めをくらってしまいました。
エスさんなんかもエライ目にあったようですし、今週の雨はちょっと異常ですね。
いつまで降り続くんだという。
「台風一過」ってことばがあるように、普通台風が通り過ぎたら湿った空気は全部台風が持って行ってくれるはずなんですが、今回はいろいろな要因が絡んでなかなか通り過ぎてくれなかったようです。


50年に一度と言われる今回の大雨。
つまりどっかの寺の御神体の御開帳くらいのレア度ということになりますが、平均寿命くらい生きればもう一度会えるのでしょうか。
三度目には長生きしないとね。

それでは、また。

気象

2015-09-09 23:50:21 | ヨン様
こんばんは、ヨン様です。


今日は妙に風が強いし、雨も変な降り方をするなぁと思っていたら、台風が上陸していたんですね。
あまりニュースをみないのも考えものです。
芸能情報に疎いとかならまだ可愛いものの、天候は知っていないと自分が損ですし。


天候といえば、みなさんは天気予報をみるときに何に注目していますか?
単純に「明日の天気」「週間予報」なんかをみるのが一番理解が速いのですが、私はけっこう衛星画像とか天気図とかをみるのも好きです。
好きっていうとなんだか趣味的な感じがいたしますけれども、そんな大したものではなくて、天気図をみて季節らしさや特徴的な配置を読み取るのが面白いというだけです。
「等高線がつまってるから風が強そうだ」とか、「前線が停滞しているから雨が続きそうだな」とかですね。
中学校の理科で習うようなことですけれども、学校で習うことが生活の知恵として生きることの好例なんじゃないですかね。


もっと専門的なことをしっていればより楽しめるんでしょうけど、さすがにそこまでの余裕はないなぁ。
「気象学」って、(特に自然災害の多い日本においては)いかにも「社会の役に立ちます!」って顔つきというかネーミングですけれども、もう少し身近に接せられる機会があるといいのかもしれません。


それでは、また。