こんばんは、ヨン様です。
編曲に限らないかもしれませんが、編曲を進めていると自分で作ったものに対して「これはすごいアイディアを思いついてしまった!」と感動する瞬間と、「こんなの誰にでも出来るやん…」と落胆する瞬間とがあります。
作編曲は、仮に対価を得られるものであったとしても、いろいろな技術的な問題が発生して思うようにいかなかったりと、必ずしも順調な作業というわけにはいきません。
なので、感動体験があるということは、作業のモチベーションを維持する上で非常に重要です。
そういう瞬間があることで、作業を進めていて楽しくなれますし、なによりそれ自体が自己実現になるわけです。
ただ、そういうものにすがっているだけでは前進することが難しいのも事実です。
一度自分の積み上げてきたものを見つめ直したり、ときには部分的に壊してみたりしなければ、同じものの再生産にとどまってしまうんじゃないかと思います。
過去の栄冠のいうほどではありませんけれども、自分を乗り越えるためのジャンプアップはどこにいても必要なものです。
まぁ、私個人はそこまで成長志向でもなければ芸術志向でもないので、少なくとも編曲に関していちいち自分を見つめ直しているわけではありませんけれども、その程度の意識の私でも停滞感を感じることがあります。
とすれば、本気で取り組んでいる人の苦悩はいかほどのものかというのは、察するにあまりあることです。
ある意味気楽で幸せなのかもしれないなぁ。
引き続き頑張ろう。
それでは!
編曲に限らないかもしれませんが、編曲を進めていると自分で作ったものに対して「これはすごいアイディアを思いついてしまった!」と感動する瞬間と、「こんなの誰にでも出来るやん…」と落胆する瞬間とがあります。
作編曲は、仮に対価を得られるものであったとしても、いろいろな技術的な問題が発生して思うようにいかなかったりと、必ずしも順調な作業というわけにはいきません。
なので、感動体験があるということは、作業のモチベーションを維持する上で非常に重要です。
そういう瞬間があることで、作業を進めていて楽しくなれますし、なによりそれ自体が自己実現になるわけです。
ただ、そういうものにすがっているだけでは前進することが難しいのも事実です。
一度自分の積み上げてきたものを見つめ直したり、ときには部分的に壊してみたりしなければ、同じものの再生産にとどまってしまうんじゃないかと思います。
過去の栄冠のいうほどではありませんけれども、自分を乗り越えるためのジャンプアップはどこにいても必要なものです。
まぁ、私個人はそこまで成長志向でもなければ芸術志向でもないので、少なくとも編曲に関していちいち自分を見つめ直しているわけではありませんけれども、その程度の意識の私でも停滞感を感じることがあります。
とすれば、本気で取り組んでいる人の苦悩はいかほどのものかというのは、察するにあまりあることです。
ある意味気楽で幸せなのかもしれないなぁ。
引き続き頑張ろう。
それでは!