こんばんは、エスです。
うちの母親が宝塚歌劇団(以下宝塚と呼称)が好きなおかげで、我が家は一家そろって宝塚を見ます。さすがに舞台まで見に行くのは母親だけですが、家族全員でテレビで録画しているものなどはよく見ていました。
自分も親と生活していた幼少期の頃はけっこうな頻度で見ており、今でも空で歌える曲があるほどです。ちなみに当時自分は轟悠が、父親は花總まりが、母親は月影瞳が好きだったように記憶しています。どうも雪組をメインに見ていたようですね。
宝塚は時々漫画やドラマの舞台化をします。有名なものではベルサイユのばら、銀英伝、るろうに剣心などがあります。
で、最近やっているのが「ポーの一族」の舞台で、パンフレットを見せてもらったんですよ。
これがもう、完全に完全。
さすがに13歳には見えませんが、それ以外の要素では完全に原作を再現しており、原作絵と見比べて思わず唸ってしまいました。なんというか、コスプレイヤーの目指す極致の最終地点はここにあるのだなと思わずにはいられない出来でした。
原作の舞台化、いや原作の宝塚化が完全になされているということで原作ファンからも宝塚ファンからも評価が高いものとなっているようです。
そんな評判の良い宝塚に対して、同じ原作付のドラマ化実写映画化となると世間一般ではあまり良い話を聞きません。
ほにゃらら錬金術師とか、ごにょにょ奇妙な冒険とか、デビル……とか、基本的には上手くいかないものとして認識している人が多いと聞きます。「実写化されたものは一切の希望を捨てよ」という名言すらあるほどです。(Z級クソ映画として見ればデビ……はそこまで酷くないとは思いますが)
同じ実写化で、なぜここまで評価が違うのでしょうか。
仮説①:舞台の方が原作再現のハードルが低い
舞台の方が現実味が遠いためにセリフ回しや動きの表現などが漫画に近いところがある(=原作に近い感覚になる)という説です。
漫画には漫画の、舞台には舞台の、映画には映画なりの映像的表現というものがあります。漫画ならばコマ割りやカット、視線誘導などがありますが、そういったものをより表現に落とし込みやすいのが舞台である可能性があります。想像の余地が入り込みやすいというのもありますしね。
なお、映画やドラマでも漫画的表現を上手く取り込んで成功した例としてはのだめカンタービレが代表的です。
仮説②:そもそも対象としている客層が違う
一般的には舞台を見に行く層よりテレビを見る層の方が多く、より一般人向けであるという可能性。ここで言う一般人とは映画のCMで「めっちゃ泣けますぅ~!」とか「超サイコーでした!」とか言っちゃう感じの人たちの事です。ああいった最大公約数の層に向けて作るということは、つまり我々のような日陰者には向かないということです。諦めて原作を読め。
仮説③:宝塚ナイズドされすぎてて細かいところが気にならなくなる
宝塚だともうどうあがいても歌うわ踊るわ背中に羽根しょって階段から降りるわでもうどうしようもなく宝塚になるので、それ以外の部分で原作を感じるところについ着目してしまい、結果として原作再現率が高かったように錯覚するという説です。
上のほうで散々宝塚がどうとか言っておいて「舞台」とかいう大きなくくりで論を無理やり推し進めている件に関しては申し訳ないとしか言えないのですが、テニミュとかとうらぶ舞台とかでもまあ似たようなもんなんじゃないですかね()
漫画にしろ舞台にしろ映画にしろ、その媒体でしかできない表現を突き詰めているものはどれも素晴らしい作品です。
願わくばあなたの好きな作品の実写化が、技巧と情熱の限りを尽くしたものでありますように。
ところで、最近やっている映画でまさにその媒体でしかできないであろう表現を技巧と情熱の限りを尽くして魅せてくれる作品があるんですよ。「バーフバリ2 王の凱旋」っていうんですけども。
みんなもバーフバリを見て自分の中にある真の男を目覚めさせましょう。ジャイホー! マヒシュマティ! サホーレ! バーフバリ!
うちの母親が宝塚歌劇団(以下宝塚と呼称)が好きなおかげで、我が家は一家そろって宝塚を見ます。さすがに舞台まで見に行くのは母親だけですが、家族全員でテレビで録画しているものなどはよく見ていました。
自分も親と生活していた幼少期の頃はけっこうな頻度で見ており、今でも空で歌える曲があるほどです。ちなみに当時自分は轟悠が、父親は花總まりが、母親は月影瞳が好きだったように記憶しています。どうも雪組をメインに見ていたようですね。
宝塚は時々漫画やドラマの舞台化をします。有名なものではベルサイユのばら、銀英伝、るろうに剣心などがあります。
で、最近やっているのが「ポーの一族」の舞台で、パンフレットを見せてもらったんですよ。
これがもう、完全に完全。
さすがに13歳には見えませんが、それ以外の要素では完全に原作を再現しており、原作絵と見比べて思わず唸ってしまいました。なんというか、コスプレイヤーの目指す極致の最終地点はここにあるのだなと思わずにはいられない出来でした。
原作の舞台化、いや原作の宝塚化が完全になされているということで原作ファンからも宝塚ファンからも評価が高いものとなっているようです。
そんな評判の良い宝塚に対して、同じ原作付のドラマ化実写映画化となると世間一般ではあまり良い話を聞きません。
ほにゃらら錬金術師とか、ごにょにょ奇妙な冒険とか、デビル……とか、基本的には上手くいかないものとして認識している人が多いと聞きます。「実写化されたものは一切の希望を捨てよ」という名言すらあるほどです。(Z級クソ映画として見ればデビ……はそこまで酷くないとは思いますが)
同じ実写化で、なぜここまで評価が違うのでしょうか。
仮説①:舞台の方が原作再現のハードルが低い
舞台の方が現実味が遠いためにセリフ回しや動きの表現などが漫画に近いところがある(=原作に近い感覚になる)という説です。
漫画には漫画の、舞台には舞台の、映画には映画なりの映像的表現というものがあります。漫画ならばコマ割りやカット、視線誘導などがありますが、そういったものをより表現に落とし込みやすいのが舞台である可能性があります。想像の余地が入り込みやすいというのもありますしね。
なお、映画やドラマでも漫画的表現を上手く取り込んで成功した例としてはのだめカンタービレが代表的です。
仮説②:そもそも対象としている客層が違う
一般的には舞台を見に行く層よりテレビを見る層の方が多く、より一般人向けであるという可能性。ここで言う一般人とは映画のCMで「めっちゃ泣けますぅ~!」とか「超サイコーでした!」とか言っちゃう感じの人たちの事です。ああいった最大公約数の層に向けて作るということは、つまり我々のような日陰者には向かないということです。諦めて原作を読め。
仮説③:宝塚ナイズドされすぎてて細かいところが気にならなくなる
宝塚だともうどうあがいても歌うわ踊るわ背中に羽根しょって階段から降りるわでもうどうしようもなく宝塚になるので、それ以外の部分で原作を感じるところについ着目してしまい、結果として原作再現率が高かったように錯覚するという説です。
上のほうで散々宝塚がどうとか言っておいて「舞台」とかいう大きなくくりで論を無理やり推し進めている件に関しては申し訳ないとしか言えないのですが、テニミュとかとうらぶ舞台とかでもまあ似たようなもんなんじゃないですかね()
漫画にしろ舞台にしろ映画にしろ、その媒体でしかできない表現を突き詰めているものはどれも素晴らしい作品です。
願わくばあなたの好きな作品の実写化が、技巧と情熱の限りを尽くしたものでありますように。
ところで、最近やっている映画でまさにその媒体でしかできないであろう表現を技巧と情熱の限りを尽くして魅せてくれる作品があるんですよ。「バーフバリ2 王の凱旋」っていうんですけども。
みんなもバーフバリを見て自分の中にある真の男を目覚めさせましょう。ジャイホー! マヒシュマティ! サホーレ! バーフバリ!
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