ザ☆シュビドゥヴァーズの日記

中都会の片隅で活動する8~10人組コーラスグループ、ザ☆シュビドゥヴァーズの日常。
あと告知とか色々。

青春っていいなあ

2018-05-17 23:58:01 | エスティオ
リズと青い鳥よかった(粉蜜柑)

こんばんは、ギリギリセーフで投稿します。
エスティオです。

かみさと君に誘われて映画館へと向かった結果ずっぷりと沈みました。
楽しいです。

それはそうと、言葉(文字?)って凄いですよね。
それ単体で可愛いと感じたり、怖い人じゃないかと考えたり…
もしかすると、そこに用いられてる言葉の意味だとか語感から何かを感じ取ってるのかもしれません。

ただ、これが団体名とかになるとまた捉え方が変わってくる。
例えば東大⇒インテリのエリート、慶應⇒チャラい、早稲田⇒酒みたいな。
もちろん全員がそれに当てはまる訳もなく、落ちぶれる東大生も野暮ったい慶應生もお酒が飲めない早稲田生もいます。

このような認識が生まれるのは多分大衆の無意識下で共有されているものがあるためではないかと考えるのです。

この中身は個々人が所属する集団によって変わります。

例えば灘、開成と聞いて多くの人は関西トップ校や難関私学、東大生を大勢輩出などといったものが浮かぶのではないでしょうか。
これらが共有されると、「灘出身です」などと言われただけで凄い人じゃないか、みたいな認識をしてしまうわけです。

しかし、これが地元の人間からするとどうなるでしょうか。
そのようなものよりも日常において関わった際のイメージの方が強く残るのではないでしょうか。
つまり、上記のようなものよりも、中庭でマクドナルドのおまけを燃やす生徒、テレビに出られたけどその後全員浪人したグループ、ちょくちょく苦情が入っている学校の生徒などなど…の方が印象深くなるわけです。

この集団からすると灘と聞いたならば問題行動を起こさないか等の方がイメージとして強くなるのではないでしょうか。

これらの例のように、言葉はそれ単体で強い力を持っていますが、その力の方向性、つまりそれに対する意識やイメージといったものは所属する集団によって変化すると考えられます。

重要なことは自分の視点にこだわるこだわらないといったことではなく、その差異はあくまで視点が異なるためであり、確かに他方の見方は存在しているのだと認めることかなと思っております。

これを踏まえた上でリズと青い鳥を見るのも楽しいのではないでしょうか、という話でした。


それでは。