ザ☆シュビドゥヴァーズの日記

中都会の片隅で活動する8~10人組コーラスグループ、ザ☆シュビドゥヴァーズの日常。
あと告知とか色々。

休日は投げ捨てるもの

2012-04-10 22:57:52 | エス
 自転車のパーツを買いに上野まで出て、300円のネジを一本買って帰ってきました。電車代の方が高い。
 自転車の調整をずっとしてて気が付けば七時を過ぎている、そんな感じの休日を過ごしていました。
 どうもエスです。やろうと思っていたことの半分も出来ていない。あと自転車の調整もうまくいかない。

 自分のサイトの企画ページ作ろうと思ってたのにKONOZAMAである。一日が48時間になればいいとよく言われますがもしそうなったら私は増えた24時間の分だけだらけることでしょう。いや、今日はだらけていたわけではないんですが。
 社会人になってから時間の有効活用というものがどれだけ重要かということを思い知ります。学生の頃から時間を活用している人はさぞかし偉い人になるのでしょう。私は偉くなくていいから楽に行きたいタイプの現代っ子です。

 自由といえばですね、ゲームにおいての自由度というのは匙加減が難しいものの一つだと言われています。
 自由度を高めすぎるあまり最終的に行き着くところが同じになって個性が消滅してつまらなくなったネトゲとか、やれることが多すぎて何をしたらいいか分からなくなってやめたネトゲとか、無駄に色々出来るけど初心者が楽しめるところまで持っていけなくて早々にクリアされてしまうネトゲとか。
 ネトゲの話しかしてないですねすみません。まともにプレイしたのは一つだけですけども。
 ともかく、大きな制限(例えばRPGなら職業ごとに出来ることの差が激しい)をかけ、その中でできることを増やす、というのが一つのあり方なわけです。
 最終目標が魔王を倒すとかでなくても良くて、バトルの役には立たない育成ゲーム的な要素を入れてそこで高みを目指すとか別の目的をちょこちょこ作るといいかなーとか。

 ……とか書こうと思ってたんですけど別に俺そういうゲームそんなに好きじゃねえなあ。
 ふっつーのRPGなりアクションなりを縛りプレイでヒイヒイ言いながらやるのが好きです。ポケモンで虫ポケしか使わない縛りとか。対鋼が死ぬる。



 何も考えずにとりあえず日記だけ書こうとするとこんな感じでまとまりも方向性もない文章になります。

アリは私たちに何を伝えているのか

2012-04-10 00:52:11 | ヨン様
 男村、みなさんお疲れさまでした。
 今度はより本格的なぶちまけ合いになるといいですね。怖いけど。


 こんばんは、ヨン様です。


 近頃活動を始めたアリを見て思いました。

 アリは女王アリさえ生き残って生殖活動をしていればいいという、いわゆる真社会性という性質を持っています。
 働きアリは自律的な個体といえるようなものではなく、女王アリが元気に子作りするための奴隷みたいなものです。

 これって、ある意味で社会の縮図なのかもしれない。

 ただ人間の社会は、女王アリ(たとえば大資本のトップ)は個体であっても交代可能な存在なのです。
 また、働きアリは全員メスで、オスは何をしているかというと、女王アリと交接するためだけに生きています。
 うらやましいのか「アリ介くん」として生まれなかったことを感謝すべきなのかわからないですね。

 日本の教科書に載るような“一般的な”ヒトの家庭は、男が働きに出て、女が家を守るのだといいます。
 そう考えると、アリ社会というのは人間社会のメタファーでありながら、痛烈なアイロニーであるのかもしれません。