日常生活は別としても、楽譜を書いている間の自分はかなり自意識過剰な気がします。
具体的にどういうことかといいますと、たとえば自分で楽譜を編集していると、タイのしなり方が気になったりします。
タイって、もちろん「音を切れ目なく演奏する」ということを表すのあのタイです。
自分はfinaleで楽譜を編集しているのですが、十六分音符などの短い音価の音符(和音)を小節をまたがずにタイで接続すると、デフォルトの設定では馬のヒヅメみたいにものすんごいしなり方をすることがあります。
なのでそういう場合は一つ一つのタイのふくらみや五線への掛かり方を手動でちょいといじるのです。
自分で書いていると妙にそういった、どうでもいいと言えばどうでもいいところが目についてきます。
とはいっても、タイはタイです。誰がそんなとこ見てるんだって話です。
楽譜の端の方にものすんごいしなり方をしたタイがあったところで、誰も気にも留めないし演奏に支障をきたすこともないでしょう。
しかし、本人は気になる。
万が一、誰かがそのものすんごいしなり方をしたタイを発見してしまって、「あれ?」と少しでも違和感を覚えたらと思うと(たとえ「まぁいいか。」で流したとしても!)、非常にがっくり来てしまいます。
これはどう考えても、自意識過剰。
楽譜を書いているときの自分は自意識過剰なのです。
ヨン様でした。
具体的にどういうことかといいますと、たとえば自分で楽譜を編集していると、タイのしなり方が気になったりします。
タイって、もちろん「音を切れ目なく演奏する」ということを表すのあのタイです。
自分はfinaleで楽譜を編集しているのですが、十六分音符などの短い音価の音符(和音)を小節をまたがずにタイで接続すると、デフォルトの設定では馬のヒヅメみたいにものすんごいしなり方をすることがあります。
なのでそういう場合は一つ一つのタイのふくらみや五線への掛かり方を手動でちょいといじるのです。
自分で書いていると妙にそういった、どうでもいいと言えばどうでもいいところが目についてきます。
とはいっても、タイはタイです。誰がそんなとこ見てるんだって話です。
楽譜の端の方にものすんごいしなり方をしたタイがあったところで、誰も気にも留めないし演奏に支障をきたすこともないでしょう。
しかし、本人は気になる。
万が一、誰かがそのものすんごいしなり方をしたタイを発見してしまって、「あれ?」と少しでも違和感を覚えたらと思うと(たとえ「まぁいいか。」で流したとしても!)、非常にがっくり来てしまいます。
これはどう考えても、自意識過剰。
楽譜を書いているときの自分は自意識過剰なのです。
ヨン様でした。