死別シングル奮闘記

夫の死を乗り越えて2人の子供と頑張って生きる母の日記です

志望校が決まらない

2016-01-15 13:34:40 | 
さて、神奈川県の公立高校の受験まであと1ヶ月となりました。
やばいっすね~。

壊れかけたムスメ、どうにか持ち直し頑張って勉強やってます。
私はせっせとムスメの世話を焼きつつ、様子を見守るばかりです。

さて、そんなムスメ。
志望校が決まりません。出願まであと半月ですし、中学からはすぐに決めないと駄目だと怒られてます。

ムスメはおにいちゃんと同じ高校に行きたいと思ってました。
元々の偏差値から考えると「ムリムリ~」って感じでしたが、カノジョの頑張りで模試の成績は「合格圏」まで到達しました。
が、が、が。
カノジョは最近、どうもそこよりちょっと下の女子が多い高校にも心惹かれてるのです。
そこはおにいちゃんの高校よりもちょっと偏差値は低いですが、駅から近く、設備も県立にしては整っており、何より今の成績でもどうにかいけるのではないかというところなのです。
お兄ちゃんの高校は確かに塾の模試では合格圏ですが、某通信教育の合格判定テストでは努力圏です。
そして、色々なサイトを見てみて思うのは今のムスメのテストの点では本当にボーダーライン上ギリギリです。

私としてはまあおにいちゃんの高校に行ってくれればそれはそれで御の字だとは思うのですが、別にムスメが行きたい高校にも特に不満も何もないし、本人が行きたいのならいいかなぁと思ってます。
そしてできたらここまで頑張ったので公立高校に行かせてあげたいなぁと思ったりしてます。
(別に私立もいい学校です。でも、公立目指して頑張って勉強してきたわけですからその努力を合格と言う形で実らせてあげたいのです。)

なので志望校はそこに決まりそうなのですが、塾の先生がGOを出してくれません。
その先生は冒険をさせない先生で、去年も彼の教室からは一人も不合格者を出さなかったのがウリなのですが。
そんな先生がお兄ちゃんの高校を受けたほうがいいと勧めます。

そういわれるとまた揺れ動くムスメ、そして母。

この週末に結論を出すことになりそう。さあ、どうなるか。

あと1ヶ月、体調を崩さず全力で臨めることを祈る母です。がんばれー

実家通いも卒業かしら

2016-01-14 09:42:48 | 
なんだかんだと11月の中旬から実家通いが続いています。
11月中旬の最初の入院のときは病院も遠かったので母を連れて行かねばならず、会社を休んだりしながら対応してました。
12月の2回目の入院は病院が実家から近いことや、ちょうど学校関係の仕事をしている姉が休みになることなどから私もほとんど休むことなく、でもできる限り日曜日には実家に行くようにしてました。
ま、父の容態が悪化したときは別ですけど。本当にあの時はヤバかったと、今でも思います。
よく無事に生還したものだ。

介護保険や訪問看護などの手配も一通り済み、父の様子も落ち着いているようだし、母もうまく対応できるようになってきたのでそろそろ毎週の実家通いも卒業かしらと思っております。

とは言え、やはり母にとっては話す相手がいることや父にとってもわがままを言える私がいるのはいいのかもしれません。(姉は厳しいので、あまりわがままがいえない、らしい)

介護保険の認定がおり、次回の診察が終わるころにはひと段落かなって思ってます。
そのころには娘の受験も始まるし、サポートしないといけないかもしれないから。

さて、そんなこんなで10日の日曜日には実家に行ってきました。
今回は掃除とか、布団の入れ替えとか、バリカンで父の散髪とか。
こまごました用事を片付けに。
天気もよかったので100メートルくらい散歩しました。

酸素の機械は今回は押してます。
やはり100メートルくらい歩くと酸素量も減ってしまい、きつそうです。
でも、ま、無理せずできるところまで頑張ってやっていけばいいかな。
1週間ぶりでしたが、家の中での足取りはとても軽やかで、体力の回復をとても感じました。
酸素の管がなければ今までとなんら変わらないって感じ。

本当によくなっていることを実感します。

あとは母のストレス発散で買い物に行ったりして夕方には帰りました。
実家の近くから見る富士山は横浜と比べると小さいわぁ。
でも、私には見慣れた風景。

壊れる直前

2016-01-06 14:54:14 | 
さて、神奈川県の公立高校の入試まであと40日となりました。
我が家の娘、モーレツに頑張っております。

もともとそんなに勉強が好きだったわけではない娘。1年生のときの成績はオール4にも届かない。平均すると3.5くらいの娘でしたが。
お兄ちゃんが受験勉強をがんばって、うちの地元のトップ校といわれるところに合格した姿をみて、
「私もがんばってお兄ちゃんと同じ高校に行きたい」と言い出し。

それから頑張って勉強した娘。
中2の終わりからは塾にも通い、頑張って勉強を続けました

でもね、元々天才肌な娘ではありません。努力の結晶のような娘です。
受験も近くなり、頭のいい子達が頑張って勉強を始めると偏差値が頑張ってる割に伸びない、というか下がっていきます。
娘がその状況を自分なりに分析して「そうか、努力が足りないんだ」とまた頑張る。
テレビも見ない、買い物にも行かない。
もちろんカレシともデートなんかしません。LINEも封印です。

12月になって、模試の成績も伸びず、何をやったらいいのか分からなくなって難しい問題をどんどん解いて、でも解けなくて苦しくて。
お兄ちゃんに教えてもらっても、納得できない、理解できない。
負のスパイラルに落ちていく娘。

ついには冬休みには睡眠時間4時間くらいになるほど勉強をやり始めました。
寝ないと駄目だよ、体がもたないよ。最低でも6時間、7時間は寝ないと駄目だよ。と言い聞かせても。
夜中の3時におきだして勉強を始めます。
午前中は図書館が開く時間に行き、図書館が終わるまで勉強をして、その後塾に移動して夜まで自習して帰ってきます。
お正月で図書館が閉まっていると、どこで勉強したらいいんだと騒ぎます。

ほとんど壊れる直前です。

ここまでやってもお兄ちゃんの高校には模試の判定で努力圏しかつかない。どうしよう、どうしよう。
私立なんか行けない、だってうちはお父さんがいないから貧乏なんだもん。
併願校にした私立は他の学校より学費が高いって書いてあったよ、なんでそんなところにしたの?
そんなかんじで私にかみついてきます。

もう、限界でした。

塾の先生に今の娘の状況を全てお伝えし、志望校は下げてもいいし、もちろん併願校に行ってもいい。
でも、このままだと受験にたどり着く前に壊れてしまうので面談して落ち着かせてほしいとお願いしました。

それが一昨日のこと。
昨日、娘と塾の先生で面談をしたらしく、家に帰ると憑き物が落ちたような顔をした娘がいました。

志望校はおにいちゃんの高校またはちょっと下げた高校でもいいかなって。
頑張っても駄目だったら私立に行っても本当に大丈夫なの?

と聞いてきました。

よかった。このまま壊れずに自分の望む高校を受験できればいいな、と思います。

頑張りすぎるのは駄目なんだよっ!!!

父の通院と今後のこと

2016-01-06 09:09:01 | 
昨日は退院後初めての通院だった父。

今回は通院及び今後のことを決めるということで、主治医の診察の後に病院の相談室に姉と父が行き、今後のことについて相談することになっていました。

診察の結果は退院時よりはよくなっていると(何が?)
今後については通院も大変なので往診医をお願いしようということになっていたが、父が医療センターの現在の主治医に診て貰いたいという強い希望があり、長い待ち時間もがんばるということで月に一度は医療センターに行くことで決定。
父の現在の状態ならば介護保険も使えるということで、週に2度、訪問看護師をお願いすることに。
看護ステーションも医療センターと連携が取れているところで調整をお願いして、そこから来てもらうようにアレンジをすることに。

本当に介護保険や後期高齢者の医療制度、そして父の場合は在宅酸素をやっていることによる障害者認定も可能ということでどの制度をどのように使うのが一番効率的なのかがまったく分からない。
たとえば訪問看護も介護保険でも健康保険でも父の年齢なら1割負担。
どちらの制度を使うとどこまでお願いできるのか、またはできなくなるのかわからない。
そんな感じです。

ネットで調べたところで父の状況とぴったりとあう情報にたどり着くのも難しいし、市役所に聞いてもいまいち分からない。
この件に関しては両親と姉に全部お任せしているので(手も出さずに口だけ出すというのは一番厄介だと思うので)私は姉から聴いたことを今後のためにこのようにココに記すことが仕事かな、と思ってます。

<今回のポイント>
・父の場合は要介護ではなく要支援になりそうだということ。でも介護保険制度は使える。
・訪問看護士をお願いする場合介護保険と健康保険とどちらを使っても費用的には同じ?制度によってできる内容に違いがあるかは確認をしないといけない
・介護保険の手続きは主治医から市役所に書類を送ってくれるとともに本人(または家族)が市役所に申請書類を提出してから始まる。
・今後のことはコーディネーターさん?が来てくれて聞き取り調査とともに介護判定をしてくれる

そんな感じです。

父の様子に変化はないようで、一安心です。


実家での正月

2016-01-05 13:42:31 | 
正月3日目は実家に行ってきました。

父が退院してから初めて実家に行きます。
前回退院したときは、退院して初めて私が実家に行った日に再入院。
ちょっとトラウマちっくになってしまった私、ドキドキしながら実家へ。

子供たちもちょうど塾もなく、姉のところも一家勢ぞろい。
一族大集合となりました。

実家に到着するといつもと変わらぬ父の姿。
前回はこの時点でかなり苦しそうな感じでしたが、今回は全然問題なさそうです。
顔色もよく、いつものような感じでコタツに入ってテレビを見てました。

その後、恒例の大トロのすしを買いに私と姉夫婦で魚屋へ。
ココのおすし本当に美味しいのですよ。
正月そうそうお店も結構混んでて、美味しそうなネタのおすしががんがん売れてました。

さて、おすしも購入し、みんなで父の退院と新年をお祝いし、乾杯。
父も退院のときと同じくらいいい感じでもりもり食べてました。

退院してからこの日まで姉がずっと泊り込んで両親の面倒を見てくれたので、本当に快適な環境になっていました。
父の酸素の機械は階段ホールに置かれ、酸素のホースを伸ばせばリビング、トイレ、お風呂、そして寝室までほとんど問題なく移動できるようになっていました。
そして夜はちゃんと暖房をつけ、日中も寒くないように防寒対策がきちんと練られ。
そして色々と考えすぎてしまう母に対しては精神的なフォローをして。
色々と考えすぎて眠れなかった母も年が変わるころには元気になって、父の世話を見られるようにもなりました。
本当に感謝感謝です。

食事が終わってから歩いて2分くらいのところにあるお稲荷さんまでプチ初詣です。
もちろん父も携帯用の酸素ボンベに切り替えて一緒にお散歩。
なんと、退院以来門の外に出るのは初めて!!!
ゆっくりゆっくりとお稲荷さんまで歩いていき、お参りして写真を撮って帰ってきました。



が、が、もう帰るころには唇が紫になり、明らかに酸素不足。どうして?どうして?
と思って急がせず、でものんびりせずに自宅に帰り酸素の機械に切り替えて、リビングへ。
酸素量を測るとなんと70くらい。おいおい、90くらいはないと駄目だよ~
なんで携帯用の酸素を使ってこんなことになるんだろう??
でも、5分位してやっと95くらいまで酸素量が上がりました。
はぁ~びっくりした。
でも、今日発覚したのですがどうやら携帯酸素のレバーがきちんとセットされてなかったみたいで、ろくに酸素が出てなかったようです。はぁ~びっくりびっくり。

その後は一族で記念写真を撮り、のんびりのんびりして解散。

父と一緒に新年を迎えることはできないと思っていたから、本当によかった。
楽しいお正月でした♪