死別シングル奮闘記

夫の死を乗り越えて2人の子供と頑張って生きる母の日記です

自分の居場所

2008-01-21 22:06:56 | じぶんのこと

こちらによく来てくれるゆみこさんからのコメントを読んで考えた。

私ものんべが亡くなってから自分がどこにいるべきなのか、自分の居場所はどこがいいのか悩んだ。で、今も悩んでいる。

私の実家は埼玉で、のんべの仕事が横浜だったので横浜にマンションを買った。のんべの余命を宣告されたときに遺される私たちの今後のことをのんべは色々と考えてくれたが、どこに住むべきかというところでは意見が分かれた。と、言ってものんべの言うことに反論をすることはなかったが。

のんべは、私たちが埼玉に戻ると広島(のんべの実家)とは縁が切れてしまうのではないかと、へんな言い方をすると埼玉に取られてしまうのではないかと心配していた。のんべの苗字を名乗るよと言っても「名前の問題じゃない」と言っていた。そして、その考えを広島にも話した。広島はのんべの言うことがすべてだったし、のんべの考えとも同じだったのだと思う。なので、最初埼玉に帰るという話をしていた広島はのんべの話を聞いてから態度を急変させた。

結局納得も説得もできないまま、のんべは旅立った。

マンションの相続を始めたときに色々とわずらわしい手続きが多かったので、司法書士の勧めもあり、私一人でのんべの持分を相続した。しかし、このマンション広島の名義も入っている。なので広島にこの際贈与して欲しいと頼んだ。それはお金やマンションが欲しいからではなく、義父が亡くなったときにまたこのわずらわしい相続、それもそのときは私を含めない形での相続(私は相続人ではないから)になるのは面倒だったから。贈与税を払ってでもいいからと言ったが義父はこういった「これはね、保険なんだよ。あんたが勝手なことをしないようにね」と。

それで私は贈与をあきらめた。そして必然的にこのマンションを手放すことができず(義父の同意がないと売れない)横浜に残ることを決めた。しばらく頑張って子供が小学校に上がったら考えようと思っていた。横浜で仕事に就き、軌道に乗った頃子供が学校に上がることになったが、仕事をやめることを考えられずにそのまま残ることにした。

埼玉の実家を建て替えるときにもとても埼玉には帰れないような気がして両親二人で暮らす家として建て替えをした。最初は私たちの部屋を考えてくれていたが、広島を説得する勇気がなかった。

結局いまもこのまま。これでいいのかと思うことが最近多くなった。このマンションを売れるうちに売って埼玉に戻ったほうがいいのか、しかしそれには広島を説得しなくてはならない。身近な子供たちも横浜を離れるのは嫌だと言う。(ま、それは説得できるかもしれないが)

でも、多分埼玉に戻る選択肢があっても実家とは一緒には暮らさないかな。そう思う。やっぱり別の世帯であって、生活を共にするとお互いが疲れてしまうかもしれない。

もしも埼玉に戻ることがあったら実家のそばの賃貸または実家のそばの安い中古物件を購入するかな。ゆみこさんが心配されていた「新しい賃貸を借りられるのか」はきっと大丈夫だと思いますよ。一人親で親元を出て賃貸借りた人いましたし。遺族年金があるのならばそれが十分の収入だと思うのですが。県営や市営の団地なんかは収入に応じて安いものがあるかもしれないし。

子供が小さい頃は保育園のお迎えとか、小学校の夏休みとか、自分以外の手があると本当に助かりますよ。ご実家の近くがいいのではないかと思います。

そして自分もそうするのがいいのかなと最近思い始めてます。

 


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5 コメント

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Unknown (ゆみこ)
2008-01-22 00:34:29
こんばんは。のんべの妻さん、私の突然の相談にお答えくださってありがとうございます。のんべの妻さんの生活スタイルを読ませていただき、とても参考になりました。そしてタイトルの「自分の居場所」、今悩んでいることそのまんまの文字で、のんべの妻さんも色々考えられていること、悩むのは自分だけでは無いんだと少し孤独感から抜けられました。
誰に相談できるわけでもなく、結局ひとりで悩むばかりだったのでココでホッと一息出来た気がします。
賃貸なのでいずれは越すことを考えてはいましたし、実際のところ夫が入院したその日には賃貸から近い土地を契約することになっていて、それが急遽入院先から電話してキャンセルし夫が亡くなり夢が無くなり居場所がわからなくなり・・・
結局解約するのも寂しくて何処へ行けば自分の居場所があるのか見つからず、かと言って賃貸に数回帰ってみたものの帰らぬ人を待つ自分がいて、それもまた寂しくて。
先日更新の手続きの用紙が送られてきて、ようやく「決めなくちゃ」と思うようになりました。
↓続く
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Unknown (ゆみこ)
2008-01-22 01:06:56
そうそう、保育園のお迎えのことだけを考え小学校の夏休みのことなど頭に無く、読ませていただきながら「あっ、学校にあがるまでじゃなくて今度は夏休みかぁー」と気付くことが出来ました。そうですよね、子供には夏休みがあったんだ。。
遺族年金も収入のうちなんですね、なんだかホッとしました!ただ県営や市営に入れたら最高ですが、ウチにはもう1人息子がいて、、犬なんです。
最近不動産屋さんを見てペット可で実家近くを見つけたところです。でも、借りても払いながら金銭的に育児出来るのかなぁとか、老後の蓄えとか出来るのかなぁとか、不安もあり・・・かと言って実家に腰を据えるのも居心地が・・・苦笑。やっぱり一度出るとそれぞれリズムも出来上がっている中、難しいこともあり・・・いや、居心地とか言っていられない現状なんですけどね。
すみません、こんなに長文で。
こんなにも吐き出せて、少し頭の整理が出来ました!
看取ってから悩み続けていたこと、そろそろ一歩歩き始めます。。。
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Unknown (すみれ)
2008-01-22 09:53:21
こんにちは。
のんべの妻さんやゆみこさん、これからの生活のことが書いてあって。
私も今の同居がそろそろしんどくて、出る決意をしましたが「これでよかったんだ」とか「これでよかったのかな」とか頭でっかちになっています。
時期や場所。子供達のことを思うといつが最適かとか。やってみないとわからないけど、やってみてだめだったときにもう戻れないことはわかっているから、その決断がしんどい・・・。
死別って「とうちゃんがいなくてさみしいこと」にプラスして「とうちゃんがいなくて生活が急変してしまうこと」も大変なことだなあって思います。
母子家庭になるなんて一年前は思いもしなかったから。
またブログ、訪問させてもらいますね。同じ境遇の方の存在が励みになっています。
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Unknown (Berri)
2008-01-23 22:34:49
のんべの妻さん、よくぞここまでカミングアウトしてくださいました。
私も読んでいて、「うん、うん」と同じオモイをされたんだと心強く感じました。現在、私は賃貸アパートで暮らしています。主人が生きていた時に借りていたアパートは家賃が高く、支払いが困難だったためです。実家は私に戻ってきなさいとは言いませんでした...嫁に出した以上、戻るなってことです。なので私はこのままずっと、二人の子供と3人で賃貸パートで暮らしていきます。主人の母は私たちと暮らしたいと言ってきました。でも主人が亡くなった今、主人ナシで同居なちょっと考えられませんでした。
長文になりました。
今後とも、仲良くしてください。
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Unknown (のんべの妻)
2008-01-24 22:01:00
ゆみこさん
レスが遅くなってごめんなさい。
本当に色々悩むし、これでいいのかと自問自答の毎日ですよ。
もう6年になるのにこれですもん。
でも、無理をしないでいいタイミングで自分のこれからを決められたらいいと思いますよ。
でも、川口引き払うならその前に絶対会いましょう。実家の最寄り駅は川口ですから!!(鳩ヶ谷市民です(^^ゞ)

すみれさん
本当に母子家庭になるなんて思いもしなかったというのは死別したもの皆思いますよね。
しかし、すみれさんはご自分の足で歩き出そうとしてるじゃないですか。すごいですよ。無理をせずに頑張って。とうちゃんもきっと応援してますよ。

Berriさん
本当に皆さん同じ思いをされているんですね。ご実家から帰ってこいと言われないというのもお辛かったでしょうね。
なかなか自分の進むべき道を私も見つけられずにいますが、こうやって皆さんのお話を聞いてすごく励まされます。

皆さん!頑張っていきましょう!!!!

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