今月末にご主人の一周忌を勤めるご門徒さんちにお月忌参りだった
草だらけだった庭がきれいに掃除されていた
「娘は3時間程度の法事だからそのままでいいよ・・・・・って言うんだけど
やっぱりねぇ、ちゃんとしとかな
・・・・って、思って、一人で必死で草むしりしたのよ~」って
頑張りすぎたみたいで、血圧がものすごく高くなって
これから病院に行かれるらしい
「血圧高くなって、脳出血でぽっくりいけたらいいんだけど
半身不随になって、子ども達に迷惑かけるような生活はしたくないからね」って
半身不随
家族に助けて貰いながらの生活
瞬間、実家の父の事を思い
「そんなこと言わないで~(>_<;)」って心の中で叫んだ
どんな存在であれ否定されることは辛い
すこし置いて
思う
「お連れ合いさんの闘病を支えていた時
やっぱり大変だったんだろうなぁ~
迷惑?そりゃちょっと違うような・・・・・
今、介護も、看護も必要でないアナタは誰にも迷惑をかけずに生きているというんだろうか?
「血圧上がるから止めときっていうのに、無理して草むしりするけん
ホント言う事聞かんけん困る」・・・・って娘さん言ってそうだよなぁ」
ちょっと批判的な気持ちになる
そんで
「批判した自分も又、迷惑をかけずには生きていけない存在なんだ
不用意に自分や誰かの存在を否定するような事自分も言ってるんだろうな」
と気づかされる
・・・・って展開するのが綺麗なまとめ方
なんだけど
私の場合
実はこれは知識、理屈だけで反応してるので慙愧が無い
自分の事はいつも棚あげしてるって知ってはいるけど、感じてない
実は口に出すのも「はばったい」
こんな自分はとっても傲慢なんだろうってことはぼんやり感じてはいる
草だらけだった庭がきれいに掃除されていた
「娘は3時間程度の法事だからそのままでいいよ・・・・・って言うんだけど
やっぱりねぇ、ちゃんとしとかな
・・・・って、思って、一人で必死で草むしりしたのよ~」って
頑張りすぎたみたいで、血圧がものすごく高くなって
これから病院に行かれるらしい
「血圧高くなって、脳出血でぽっくりいけたらいいんだけど
半身不随になって、子ども達に迷惑かけるような生活はしたくないからね」って
半身不随
家族に助けて貰いながらの生活
瞬間、実家の父の事を思い
「そんなこと言わないで~(>_<;)」って心の中で叫んだ
どんな存在であれ否定されることは辛い
すこし置いて
思う
「お連れ合いさんの闘病を支えていた時
やっぱり大変だったんだろうなぁ~
迷惑?そりゃちょっと違うような・・・・・
今、介護も、看護も必要でないアナタは誰にも迷惑をかけずに生きているというんだろうか?
「血圧上がるから止めときっていうのに、無理して草むしりするけん
ホント言う事聞かんけん困る」・・・・って娘さん言ってそうだよなぁ」
ちょっと批判的な気持ちになる
そんで
「批判した自分も又、迷惑をかけずには生きていけない存在なんだ
不用意に自分や誰かの存在を否定するような事自分も言ってるんだろうな」
と気づかされる
・・・・って展開するのが綺麗なまとめ方
なんだけど
私の場合
実はこれは知識、理屈だけで反応してるので慙愧が無い
自分の事はいつも棚あげしてるって知ってはいるけど、感じてない
実は口に出すのも「はばったい」
こんな自分はとっても傲慢なんだろうってことはぼんやり感じてはいる
順縁のときは教えが聞こえない、と先日の聞法会で言われました。
でも聞いていることで、逆縁になったときに、教えのことばが響いてきたり、心にストンと落ちたりします。
観念でもなんでもいいから聞き続けることが大切なのでは、と思います。
ご門徒さんが言われたことも分かります。
それは、自分が自分らしく生活し続けたいという願望のような気がします。もし介護されるにしても、子どもたちに迷惑をかけたくないという親心の延長なのでは?
今年の4月に、20年近く自分のお母さんの介護(野う梗塞)をしていた友人が先日言ってたのですが、「もう反応と言えばウ~~とかア~~とかしか言えないし、意思疎通もできてないんだけど、今から思えばそんな状態でも母は母だったんだと思う。自分にできる最低限のことで私(娘)が楽に介護ができるようにしてくれていたんだと思う時があった」と、言われていました。
でもね。子どもは、そういう状況に直面した時には、どんな形でもいい。この世に居て欲しいと願うものです。お互いが健康である時に、色々と安堵感から「まったくもう!」ってなるんだと思います。
それは、この友人が介護をしている姿を見聞きしていてずっと思いました。因みに、彼女は介護の傍ら5人の子どもを育てていました。
はたして自分がどんな状況に置かれるのかは、分かりません。私の方が半身不随になるかもしれないし・・・こればっかりは、順番ではないので・・・
・・・・・時々不安になります
>逆縁になったときに、教えのことばが響いてきたり、心にストンと落ちたりします。
・・・逆縁の時でも、未練多らしく自分の力や思いにすがってお預けできないことがままあります
でも、心にストンと落ちる時も自分の思いではそうなるのではなくそういうご縁があってのことなのでしょうね
介護真っ只中にあっても
気持ちは一つではなくて
いろんな思いが交錯することと思います
最近は人に迷惑をかけない、手間ひまを煩わせたくない・・・・・という気持ちが
ぽっくり死にたい
葬儀は直葬で
法事も最小限の人間しか呼ばない
という傾向に拍車を掛けている気もします
親心、あるいは気遣ってのことなのでしょうが
人との関わりを一方的に拒否する感も否めません
御殿さんの言われるように
自分がいつどちらの立場になるかわかりません
その時、どんな気持ちになるのかも
日頃思っている観念や信仰する教えの言葉がその時私に間に合うのかどうか・・・・それさえもわかりませんけどね
「おくられ人」っていう題で書かれていたと思うのですが、最近はお葬式を簡単にしてほしいと望まれるかたがいらっしゃるけど、そうなるとご遺族は四十九日が過ぎたころに、故人とゆかりのあった方などにお知らせすることになる。
知らされた側は「そんなことなら知らせてほしかった、是非お線香の一本でも・・・」ということになって、訪問される方もいらっしゃるので却って煩わしいことになったりもする。
お葬式というのは送られる側だけの物ではなく、送る側も死を受け入れるための大切な儀式なので、やみくもに規模を小さくすれば迷惑がかからないというものでもない。
と、いうような内容だったと思います。
物凄く「そうそう!!!」と、思いました。
直葬だけは・・・ないと思いますね。