寺嫁な日々

嫁・妻・母・坊守として日々感じた事、大きな声じゃ言えない本音の所・・・お話しします

「大経の会」(22)ご案内

2014-02-25 17:44:34 | Weblog

第22回「大経の会」

以下のようにご案内申し上げます。繰り合わせてご参加ください

日時  3月10日 10時~15時

テキスト 「浄土三部経(上)」岩波文庫

※昼食代500円 & 会費10,000円を持ち下さい

     

無量寿経ではお釈迦様が阿難に法蔵菩薩の物語を説く。法蔵菩薩は人々を救うため苦しみを超えた世界を模索し、48願をたて実現を誓う。そして法蔵は阿弥陀仏となり、浄土は実現された。浄土は素晴らしく、そこに生まれんと欲する者、生まれた者は功徳を得る。阿弥陀仏の浄土を信じ求め、精進して歩みなさいと説かれる。 しかし、私たちは三毒の煩悩が引き起こす現実の中で苦しみ喘いでいて、浄土を求めようとしない。そのような穢土のありさまについてお釈迦様が具体的に述べられる。ここからが三毒五悪段。そして釈尊は阿難(出家の弟子)ではなく、弥勒(在家生活をしていて穢土の苦しみ・悲しみを知る者)に対して説法を始める。穢土における人間の苦しみや悲しみを釈尊は良く知っていて、だからこそ良いことをしなさい(善行とは何か?それは人間の行為は「道理」により見通され、悪行は因として積まれていく、ということが前提となっている※中国的思想)、無常なるものにしがみつかず、阿弥陀仏の安楽国に生まれたいと願いなさい、そうすれば智慧が明らかになり、浄土の功徳に預かることができると説かれた。「苦しむものがどうしたらそれを超えられるか」を示してくれたことに弥勒は大変喜んだ。・・・が、そのような仏智に遇いながら、まだ本願を信じられない自力の徒は辺地七宝の宮殿にしか生まれることしかできない。ここは我々が想像しうる苦の無い理想の世界ではあるが、仏にも、法にも仲間にも会えない。傲慢で、智慧の開かれない世界。快適な世界はより快適なものを求め満足することがない。人間が不都合、苦、悪と思っているものが実は人間を潤し、他者や智慧に目覚めさせるのではないか。     以上・・・前回講義より   

毎度ギリギリ発送ですみません!

前回、因果応報についてはともかく
善因善果、悪因悪果については
やはり、真宗門徒には馴染みの無いところなので
もう少しお聞きしたいところ
 

 


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