佐藤匠(tek310)の贅沢音楽貧乏生活

新潟在住の合唱指揮者・佐藤匠のブログです。

違和感。

2020年03月08日 16時57分42秒 | 日記
 日々もちろん家にいるだけではないので
昨日は所用を足しに某所に出ていました。
 
 広い某店に入ったのですが
お客さんは少なかったけどいるにはいたんですね。
 
 その時、自分でも思いもしないことを感じました。
 
「あ、ここでは経済活動がなされているんだな」
 
 と思い、あちこちにいる店員やお客さんを見て
 
「なんで自分は今経済活動を全く出来ていないのだ?」
 
 と思ったのですね。
 
 
 政府の方針とかいろいろなこと、
全ての感染を防ぐために自粛したり学校を休みにしているわけではないこと
動かないといけない人たちもたくさんいるし
対策しつつ動ける範囲で動くべきだ、自粛しすぎるな、
と頭では理解しているのですが、
 
「なんなんだこの差は」
 
 と、
納得を超えたところから感情が(少しですが)飛び込んできました。
 
 私はフリーランスなので、
政府に補償してほしいとも思っていないし(公的な最低保障はいるけど)
今置かれている状況は小さな店とか会社を経営されてる方ほど大変ではないから
同情されるほど辛いものでもないし(時間も出来たので)
(ただ自粛は自粛だからキリはないよねとは思っていますが)
まあそれなりに納得しながら動いているのですが
 
 言葉に表現出来ない「理不尽だ」という感情が
少しだけ生じたことに自分でも驚きました。
 
 景気の気の話を数日前に書きましたが
良くも悪くも比較的理性の働きが強めな(と自分では思っている)自分ですら
こんな気持ちを一瞬抱くわけですね。
ざっくり言えば、ほとんどの人間は気持ちや雰囲気で行動するということ。
  
 働いている人や動いている人が悪いわけではないし
そんなことは十分理解しているけれど
なんだろうこの感じ、という違和感が怖くなりました(もう無いけど)。
「俺はこういう状況なのに」「俺は我慢しているのに」
という考えで人を見るのが嫌いなのに(それで自責ということはありましたけど)。 
 
 こういう状況になると、
そういう考え方が蔓延することが怖いんですよね。
自粛しないことが協力していない、悪いとか、
証拠に基づかず人に難癖をつけ始めるとか、
余裕がなくなる時に決まって起こることです。
そうならないために国や個人がどうするのか、という話。
 
 私は、この生じた感情は自分を見つめる良い機会になりました。