佐藤匠(tek310)の贅沢音楽貧乏生活

新潟在住の合唱指揮者・佐藤匠のブログです。

新潟ユース合唱団2007について語る(その1)

2007年05月03日 00時07分21秒 | 合唱

 

 昨日ブログに書きました、

新潟ユース合唱団2007団員募集。

やはり、説明が要るなと思うので、

いくつか書いていきたいと思います。

気軽にお読み下さい。

 

 

 

 まず、

 

1、新潟ユース合唱団を今年も開催するに至った理由

 

 

 昨年の解散時点で決まっていました。

何故今年もやろうということになったかは、

正直覚えていませんが(笑)、

箕輪先生と話したんでしょうかね。。。多分。

一旦解散するのは予定通りでした。

年中活動するタイプの合唱団ではないと思っていたので。

解散した後に、昨年のうちから、

2007の活動については考えていました。

 

 

2、演奏会を開く理由

 

 

 様々な活動方法がある中、

今年は演奏会の開催を考えました。

何故かというと、それは昨年の演奏に遡ります。

 

 昨年は、アジアユース合唱団の演奏会開催に際し、

新潟ユース合唱団を創ろうという話になりました。

で、アジアユースの演奏会へ賛助出演しました。

つまり、人の演奏会の場を、いわばお借りしたわけです。

で、団員の中から挙がった感想の中に、

アジアユースと新潟ユースの演奏への責任というか、

集中力のようなものの差を感じたという意見が幾つかありました。

アジアユースは小出でリハーサルキャンプを張って、

小出と新潟で演奏会を開きました。

とにかく、膨大な作品を短期間に練習し、

初めて集まる団員と(今回は全員過去の参加者でしたが)、

サウンドを創る。

この演奏会に向けた取り組む姿勢、集中力が、

アジアユースの音となって表れるわけです。

 

 新潟ユースは、当初から祝祭的な雰囲気を重視していました。

「新しい歌」という選曲もそれにふさわしいもので、

練習もたった4回。

でも、アジアユースの様に、

県内から初めて集まる80名弱の団員。

若者たちのエネルギーに満ちた演奏になりました。

しかし、そのクオリティはまだ改善の余地はありましたし、

なにより、演奏会というものに

責任を持ち、練習を行ってきたアジアユースと比較すると、

今回はこれで良かったというふうには僕は思ったのですが、

新潟ユースの”弱さ”みたいなものを感じたわけです。

新潟ユースの団員も、アジアユースの演奏を客席で聴いていたので、

そう思った人は結構いたのではと思います。

もっと自分たちの演奏に責任を持つ場、

それが、演奏会の開催という形でした。

合唱祭とかコンクールではなく、今回は演奏会でした。

 

 あとは単純に、新潟ユース自体を

多くの人に知って欲しい、ということです。

昨年の演奏会は、平日の夜で、

高校生以下の客数が非常に少なかったわけです。

ユース合唱団という枠組みである以上、

特に同世代の人に発信したいという気持ちがありました。

新潟ユースの演奏を多くの人に聴いて頂くためには、

新潟ユースが中心となった演奏会を開催する必要があった、

ということです。

今回は祝日と日曜に挟まれた土曜の午後開催です。

 

 

3、なぜ、Juneとユートライに声をかけたか

 

 

 新潟の合唱事情を少しでも知っている人なら

分かると思いますが、両団体は、新潟を代表する実力を持つ

女声合唱団と混声合唱団です。歴史もあります。

しかし、同じ舞台に立つということは、これまで、

コンクールの場でしかなかったと思います。

つまり、お互いの演奏は聴けません。

で、僕が知る以上、お互いの演奏会などへの行き来も、

練習と重なったりで、正直少なかったと思います。

つまり、お互いの演奏をじっくり聴く機会がなかったのですね。

コンクールという場には出て、そこでは競う相手でありながら、

お互いに対して、今日まであまりに意識して来なかった

という状況でした。

 

 で、新潟ユース合唱団は、演奏会を開くと決めたものの、

ステージ数などから、単独で開くだけの力はありません。

で、どこかの団体に出演願えないかと考えていたのですが、

どうせやるなら、今までにない枠組みで演奏会を開こう、

そう思いました。

で、僕の中で思い描いたのが、上記両団体でした。

僕はユートライの団員ですが、

両団体に限らず、新潟の一般団体は、もっと交流があればいいなと

ずっと思っていました。

 

 で、新潟ユース合唱団は、

普段活動する合唱団の枠を超えて集まる合唱団です。

そういう合唱団の性格は、この合唱団ならではです。

そこにこそ意味があって、刺激があります。

そういうこの合唱団の性格こそ、

僕が新潟県全体に求めていることでした。

それがあったからこそ、

僕は新潟ユースの創立にかなりの力を注げたのです。

 

 で、思ったのです。

新潟ユースという団の持つ特徴を、

演奏会という場で体現するにはどうしたらいいか。

それが、合唱団の枠を超える、

つまり、これまで誰も考えなかったような枠組みを、

新潟ユースが媒介となって、演奏会で体現する。

そういうことでした。

それが、これまで誰も考え付かなかった

June、ユートライの饗宴でした。

こんな図々しい考えを持つのは、

多分自分くらいだと自負しています(笑)。

まあ、理由なんて後付けも多いですが(爆)、

新潟ユースが軸となって、

演奏会のクオリティを上げることや、

これまでない枠組みを目指すこと、

新潟ユースや共演団体の演奏を

もっと沢山の人に聴いてもらうこと、

新潟をグラグラ揺さぶるようなインパクトを与えること、

それらをひっくるめたのが、

今回の3団体での演奏会でした。

勿論、承諾して頂いた両団あってのことです。

感謝しています。

 

 

 さて、長くなりましたね。

でもまだ書きたいことはあるので、また。

指揮者のことや、選曲のこと、

今回への懸念

(楽観視どころか、個人的にかなり不安や危機感もある)

などなど。

説明が必要なことは、少しずつ書き足したいと思います。

気楽に読んでください。