「大使の家族は最後まで残って、一番最後に去るもの。二度とそのような話をしないように」
今年3月、日本の東北地方で起きた巨大地震の後、当時の権哲賢(クォン・チョルヒョン)大使(現・世宗財団理事長)は、妻を叱りつけた。福島第1原子力発電所の事故により放出された放射能で、東京も危険だと報じられるや、妻が孫娘を韓国に帰らせようと懇願したときのことだ。権前大使は当時、妻の実家からも孫娘を韓国によこしてほしいと言われたが拒否した、と29日に出版した著書『大胆な大使、堂々とした外交』でつづった。
権前大使は、著書で「私がなぜ、愛する孫娘をそのまま東京に居させたのか。危険ではなく、安全だったからだ」とし、動揺していた周囲の韓国人も説得することができたという。
そんな権前大使も、巨大地震であらゆる交通が途絶え、人々が暗い表情で言葉もなく歩いている姿を見て「ああ、まさにこれが人類最後の姿なのだろうか」と、ぞっとしたと打ち明けた。
権前大使は「私は後ろめたいことがなく、よく見せなければならない人もいない、初心者大使だった」とし、信頼の外交、予防の外交、粘り強い外交を行おうと努力したという。日本による独島(日本名:竹島)領有権の主張については「独島は私のポケットの中の宝石のような存在だ。日本が騒ぐたびにポケットの中の宝石を取り出し『私のものだから』争いは必要ない」と考えた。また、日本の国会議員らが鬱陵島に行こうとした件をめぐっては「彼らが鬱陵島や独島に行くためには、韓国政府の行政手続きを踏まなければならないが、その手続きをしようとすること自体が、まさに独島が韓国の領土だということを認めさせることだ」と話した。
権前大使は2008年12月に李明博(イ・ミョンバク)大統領の特命を受け、日本と300億ドル(現在のレートで約2兆3000億円)の通貨スワップ協定を締結した経緯も明らかにした。
当時、非協力的だった中川昭一財務大臣(当時)と、大使の公式日程に記録せず極秘に会い「韓国を助けることは、結局日本のためにもいいことだ」と説得し、成功させたという。また釜山市長に出馬しようとしてあきらめたとき、親交の厚い森喜朗元首相が、耳元で「2度とそんなことをするな」とささやいたというエピソードもつづった。
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